196万PV達成!漫画史研究家・本間正幸監修【少年画報大全】(少年画報社・現在三刷)更新復活

【20世紀冒険活劇の少年世界】メトロポリス漫画総合研究所(since1997)から、昭和の映画、出版美術、音楽を!

漫画史研究〓戦後少年雑誌の歴史

2012-01-01 14:21:24 | 昭和末期・横浜鶴見のある不良少年の物語
昨年から2012年にかけて考えていること。

《はじめに》

BS-TBS
【関口宏の昭和青春グラフィティ】にて、

「昭和のマンガ~子どもから青年そして大人へ僕らの傍にはいつもマンガがあった」


【ゲスト】藤子不二雄A・タケカワユキヒデ


を昨年に見た。
番組を見て、改めて誰でも簡単に判る日本の漫画史と、研究者用資料公開の必要性を痛感する。
その二日前には、のらくろ館のある東京都江東区森下文化センターで、

『貸本マンガの時代』第4回「貸本マンガの世界~貸本マンガから週刊誌へ~」

のゲストに漫画家の川崎のぼる先生とビッグ錠先生が来館。
大阪の貸本漫画が末期となる時期に上京し、表舞台となる週刊少年雑誌へ登場する過渡期の頃についての珍しい話を聞くことが出来た。
現在も関西在住で、当時からの熱心な読者代表と思われる風貌のアマチュアの漫画研究者が司会。
会場には、主に川崎のぼる先生の作品や、ビッグ錠先生の作品を週刊少年雑誌やテレビアニメを見て育った私と同世代から上の読者達が集まったため、随分と参加者の年齢層が高いイベントになりました。
私的には、現在熊本在住である川崎のぼる先生がワザワザ上京していただけたのだから、もう少し聞き手である司会者が作品の研究をして、配布される資料類も充実させてくれたらと大変悔やまれる内容でしたが、正統な日本の漫画史を理解出来る研究者やインタビュアーが少ないこれが悲しい現状なのです。(涙)
会場に展示されていた

【のらくろ館】

の資料の収集が、在野の漫画コレクターの協力の下、及第点を行くものであり、年配のアマチュア研究者の精一杯の努力とこれからの研究成果に期待して今回だけ大甘に68点の合格点を出しときますか。(笑)
*このイベントは、1700円と有料である。
お金を徴収する以上、その金額にみあったものであるかどうか数少ない正統な漫画史研究家の立場として採点を下す義務が私にはあるだろう。

さてネット上に溢れる情報の中で、正しい漫画史に関する情報が少ない悲しい現状を、最近になって私は痛感しました。
唯一、参考になる実証的な情報を発信しているのは、私が年間購読している大好きな季刊紙『まんだらけZENBU』(定価1500円に対してこちらは内容盛り沢山。100点満点ですね!)くらい。
こちらで、時たま戦後の重要な少年雑誌が登場することがあるのですが、どうやらその雑誌について、正しく理解出来ているオークション参加者はあまりにも少ないようだ。
そのため、近年、漫画史において非常に重要と思われる少年雑誌が、私の元へ続々と集結しつつある。(笑)

『まんだらけZENBU』の楽しみ方のひとつに、本誌掲載の全商品が、インターネットオークション方式で購入出来るチャンスがあるのが嬉しい。
ここのところ、アナログだった私も、まんだらけさんの術中にはまり、すっかりオークション好きになってしまい嬉しい悲鳴をあげております。(涙)
手塚治虫先生の虫プロアニメや、東映の平山プロデューサーの特撮番組の影響もあり、大の漫画好きとなってしまった私は、小学生の頃から漫画の歴史に興味を持ち、手塚治虫先生の作品を中心にトキワ荘系の漫画家さんに『COM』や『ガロ』、『少年キング』や『少年マガジン』、『少年チャンピオン』系の作家さん達の単行本を集めるようになりました。
周りとは違って、昔から、ジャンプ系の作家さんの作品には、あまり興味が湧かなかったのです。

さて、今回の『まんだらけZENBU』の雑誌特集には、講談社の『ぼくら』にとても珍しい『少女サンデー』(小学館)『少女』(光文社)『りぼん』(集英社)。
『少年画報』(少年画報社)『痛快ブック』増刊(芳文社)『別冊少年ブック』(集英社)。
講談社の学年誌である『たのしい四年生』などが登場。
昭和20年代の少年雑誌も出ているが、これは別途解説が必要だろう。
私には、ストライクである。(笑)

現在の私の専門領域は、無声映画時代からの映画やアニメーションと大正・昭和の少年少女雑誌、少年少女小説、街頭紙芝居に絵物語、挿絵に音楽、ラジオ、テレビ、そして漫画史の研究になります。

私が、漫画史研究家として『まんだらけ』や『まんだらけZENBU』がとても好きな理由は、実物の書影とデータが明記されているから。
無断引用や孫引きが多く実証的でない、大学教授などの肩書きを持っている評論家や研究者達のグループが作っているマンガ学の入門書の類より遥かにためになると私には思えます。
漫画史研究家は、漫画評論家と違い、独自にデータベースを作るのが最低の必須条件。
作家の作品リスト、単行本リスト、年譜などを調査し、更に本当かどうか作家本人もしくは遺族や編集者など当時の関係者に確認しインタビューする。
他人が発表したデータは実物が確認出来るまで、半信半疑のままである。
ちなみに、私が『少年画報大全』(2001年・少年画報社)を監修した時、それ以前から活躍している評論家達が発表していたデータと私が調べたデータとでは、100箇所以上の違いが見受けられた。
『少年画報大全』巻末の参考資料と本文の記載データが違う場合、原本から実証的に確認した私のデータの方が99.9%の確率で正しいと自負している。
2001年以降に発表された書籍でも、『少年画報大全』を参考文献に加えてないもので、同じ事柄のデータが違っていた場合、私のデータの方が正しい筈だ。(笑)
『少年画報大全』発表後、私に何の挨拶もなく、データや掲載した画像を無断引用している評論家や研究者がいる。
素人のファンの人やマニアの人が趣味で楽しんでくれているならお役に立てて嬉しい限りだが、評論家や研究者を名乗りながら、参考文献として、『少年画報大全』の書名をあげてくれる研究者としての最低限のマナーを守れる人が少ないのはなぜだろうか?
彼等のような高学歴ではなく、横浜鶴見の不良少年上がりの私では全く理解出来ない深い謎である。
ちなみに、有名古書専門店の間では、『少年画報大全』は日本の漫画史を知る上での必須アイテムであり、店の店長達の間では私の顔と名前や正体までがすっかりバレてしまっている。(笑)

漫画史研究家は、漫画評論家と違い、日々の地道なデータ集めが必要とされ、その成果を発表する場も非常に少ない。
出版不況が深刻となり、書籍や雑誌などで研究者が、その研究成果を発表する場が少なくなっている今、購読者の少ない専門の学会誌や自費出版だけでなく、ネットによる情報発信もこれからは、十分有効性を持つようになるだろう。
かつて映画スターがテレビドラマに出演することは少なかった時代がある。
けれども、足掛け三年の歳月をかけて制作されたNHKの『坂の上の雲』を観る限り、最近はテレビドラマでも、映画を越えるクオリティーを持つ作品が制作されるようになり、映画でもテレビドラマよりクオリティーの低い作品がたくさん溢れている。
出版の世界でも、大学准教授など肩書きがご立派なだけで、自費出版などネットで地道に活動している在野のブロガーより知識や成果が劣る文章や、商業出版でも直ぐに自由価格本となり古本屋に出回るなど、僅か数年で絶版になるような本が多数出版されているのが悲しい日本の出版界の現状だ。
日本に数少ない正統な漫画史研究家を名乗る者として、私も2012年からはこれまで以上にネットの利点を十分活用して、正しい漫画史研究の在り方の模範を示さなければいけない時期が来ていることを自覚した。
ネットの最大の利点として、情報発表の速報性や、書影などオールカラーによる図版の紹介が可能であること。
又、完成された文章でなく中途半端な草稿を発表しても、担当する編集者から怒られることがない。(笑)
最大の欠点としては・・・原稿料が出ない。(涙)
そして、発信した情報が直ぐに無断で引用、孫引きされるなど著作権の保護が不完全のままである。
そうした問題点も全て承知の上で、草稿状態の文章での発表をして行きたいと思いますので、皆さん2012年もよろしくね!(笑)


《序章》

これから日本の戦後の漫画史、特に少年雑誌の歴史を知る上での必須アイテムになる一番有効な書籍は、私、本間正幸が監修し2001年に発売した


【少年画報大全】(少年画報社)定価2900円


である。
発売時に朝日新聞始め、毎日新聞、読売新聞夕刊、日本経済新聞や、雑誌の書評など当時の様々なメディアに大きく取り上げられた。
発売十年を過ぎてもロングランを続け、現在は三刷。
大学教授の肩書きを持つ著者が、発売数年で増刷もなく自由価格本となり、絶版の道を辿る多くのマンガ評論、研究本の類とは、明らかに一線を画しているのである。
紹介した漫画家さんや作家さんの本など、毎年のように復刊され続け、美術館や博物館などの企画展も開催されている。
藤子不二雄A先生の【怪物くん】や望月三起也先生の【ワイルド7】の実写映画化など、私が特集を組み、インタービューした先生方は、今や再ブームが起きているのだ。
ここ十年来、今だ【少年画報大全】を越える実証的な少年雑誌の研究書は出てこない故、今も古さを感じさせないようだ。
別冊付録として付けた

【冒険活劇文庫】(昭和23年8月発行)創刊號のオリジナル本は、当時の市場価格が数十万した稀少本。


江戸末期から昭和に到る日本の漫画史研究の第一人者である清水勲先生や、小野耕世先生、少年小説研究の第一人者である故・二上洋一先生からは、


「この創刊號の完全復刻のアイデアが素晴らしい!」


と大絶賛され、この本が縁となり、当時無名だった在野の研究者である私の名前を覚えてもらえるようになったのだ。
それまでの漫画研究本と、【少年画報大全】が一線を画した理由、それは実証的なデータと徹底した図版重視による初の漫画史研究本であるからだ。


戦後、日本の漫画が諸外国と比べ、独特な変化を遂げることが出来たのには、手塚治虫先生の登場だけでなく、戦前からの街頭紙芝居【黄金バット】や【ハカバキタロー】の影響があることをいち早く提唱した。
街頭紙芝居から、【黄金バット】や【少年王者】、絵物語オリジナルとなる【地球SOS】が誕生。
絵物語が昭和20年代の少年雑誌の世界を席巻し、昭和30年代前半に【赤胴鈴之助】の空前の大ヒットで漫画が一般の人達の間でも市民権を得る。
戦前からの流れを汲む大資本の出版社から出ていた少年雑誌『少年クラブ』や戦後生まれの『少年』などは、A5版で読み物や少年小説など活字が主体のままだった。
戦後、街頭紙芝居の大ヒット作【黄金バット】を看板に、絵物語中心、版型が一回り大きなB5判で新たに立ち上げられた革新的な少年雑誌が『冒険活劇文庫』である。
後に『少年画報』へと発展し、僅か十年足らずで日本一の少年雑誌へと急成長を遂げる。
けれども、世の中が落ち着きを取り戻し、人々の生活水準が向上すると、大資本系列の光文社発行の少年雑誌『少年』へとその王座を譲り渡さなければならなくなる。
戦後の少年雑誌の歴史は、とてもドラマチックであり、史料も煩雑となるため、正しい全貌を把握するには、ある程度の専門性と知識が必要とされる。
また、個人的な感情や思い入れにより、間違った認識の少年雑誌観を発表する人達が多いのも、漫画史研究を遅らせている明らかな原因のひとつだ。
ともあれ、戦後の少年雑誌において、漫画史的に一番重要な雑誌は『冒険活劇文庫』と『少年画報』の歴史である。
『少年』は二番手となり、『漫画少年』が、その後に続く。
少年週刊誌誕生となれば、『少年マガジン』『少年サンデー』『少年キング』『少年ジャンプ』『少年チャンピオン』の五大少年週刊誌の歴史を押さえればいい。
そして『ガロ』と『COM』『ヤングコミック』に『ビッグコミック』の青年誌の流れも押さえておけば、入門編は完成だろう。

次回から、具体的な少年雑誌の歴史と研究方法について触れて行きたいと思う。

映画と漫画史研究家


本間正幸
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