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生誕140年記念 下村観山展 (その1)

2013-12-20 21:30:00 | 美術
見てきました

横浜美術館

会期は2013年12月7日から2014年2月11日。

前回、横浜美術館へ行ったときは横山大観。
(記事はこちら→「横山大観展」)
今回は下村観山。
共に東京美術学校で学び、日本美術院に参加した日本画家。
今年は東京美術学校の校長を務め、日本美術院を創設し、後にボストン美術館中国・日本美術部長となった岡倉天心の生誕150年、没後100年でもあるのです。
年明けには「日本美術院展」が上野で開催と盛り上がりをみせています。

入口には平櫛田中による胸像がありました。

下村観山(1873-1930)は紀州徳川家に代々仕える能楽師の家に生まれました。
この展示は年代順に大きく4つの章に分けられ紹介されていました。
代表作を含む約150点の展示です。
今回は2つに分けて書いていきます。
「その1」は第1章と第2章になります。

《第1章 狩野派の修行》
下村観山の絵画修行は明治15年、9歳の頃に始まりました。
観山はまず祖父の友人の藤島常興に絵の手ほどきを受けるようになります。
常興は観山を最後の狩野派の絵師にして最初の日本画家といわれた狩野芳崖に観山を託します。
芳崖は観山の画才を認め、「北心斎東秀」の号を与えたそうです。
さらに明治19年、芳崖は同門の盟友・橋本雅邦に観山を紹介し、師事させます。
この年、お雇い外国人として来日し、日本美術の研究に努めたアーネスト・フェノロサらが主宰する「鑑画会」に作品を出品。
その才能は早くも話題となり新聞評も。
ここでは「北心斎」時代の観山の作品が展示されています。

「闍維」
これは第1回日本美術院展に、出品されたもの。
釈迦の火葬の場面です。
仏弟子筆頭の大迦葉が冥福を祈ると、釈迦の遺体が煙を発し、あたりに芳香満ちたという場面。
煙と輝きが画面を覆っています。
悲しみで手を顔に当てる人、ただただ見つめる人、母に抱かれる小さい子。
様々な様子が見て取れます。
鮮やかな色彩が際立ちます。
右から2番目の人物は観山自身とのことです。

「唐子」
とても可愛らしい唐子の様子。
琴を弾く子とそれを聴く子、3人の様子です。
まん丸で朗らかな印象。

「東方朔」
なんと10歳のときの作品。
"北心斎"の号が見られる最も早いものとのこと。
描かれているのは狩野派の典型的な画題だそう。
10歳でこの筆捌きは見事としか。

「許由」
中国古代の伝説的高士。
俗世間の汚れを嫌い、川で耳を洗い茸山に隠れた人物。
粉本模写の典型例とのこと。
人物と植物、水の描き分けや、濃淡での表現など年齢から考えても素晴らしいです。

「騎虎鍾馗」
11歳のときの作品。
虎にまたがる鍾馗が描かれています。
なんという力強さ、そして躍動感。
力強い眼差しも鍾馗のイメージどおりというか。

「鎌倉武士」
東京美術学校入学直後の作とされています。
が、筆運びなどからもっと前の作品では?と議論になっているとか。
文永・弘安の役の合戦に取材したもの。
武士といいますが泥臭さはあんまり感じません。
今日知られる作品のうち、「観山」の落款をもつ最初期の作品とのことです。

「鷹」
鷹を描いた作品が2つ展示されています。
その鋭い目つきや羽の表現など迫力あります。

「森狙仙画「狼図」(模写)」
狙仙といえば猿ですが狼。
ふわふわな毛並みや鋭い爪が目立ちます。
原画が小さくでもあれば比較できたかなぁ。

《第2章 東京美術学校から初期日本美術院》
明治22年、東京美術学校が開校すると、観山は横山大観らとともに第1期生として入学。
翌年2代目校長として着任した岡倉天心の薫陶を受けることとなりました。
「観山」の画号は美校入学の頃に使い始めたとされています。
この話は横山大観の話から。
仲がよかったことが伺えます。
美術学校では再び狩野派の筆法の修練から始めることとなったそうですが、観山は、やまと絵の線や色彩の研究にも励み、独自の画風を作り出していきました。
卒業後はただちに助教授となり、後進の指導をしつつ、自らも作画に励みます。
明治29年に天心が「日本絵画教会」を組織すると、観山は大観や1年後輩の菱田春草らとともに美校卒業組として参加。
そして明治31年、美術学校内部の確執に端を発し、天心は校長の職を辞すこととなります。
その先、大観、春草や他の教職員と共に美校を退職。
天心とともに「日本美術院」を設立しました。
ここでは、美校時代の課題や校内競技会の出品作、卒業制作や助教授時代に日本絵画教会第1回絵画共進会に出品した作品などが展示されています。

「信実 三十六歌仙絵巻」
佐竹本の模写です。
優麗な筆遣いで三十六歌仙が描かれています。
優美で雅な平安時代の歌人たちがやまと絵の柔らかさで表現されています。
観山の画家としての画力、器用さが見えます。

「辻説法」
鎌倉の松葉ヶ谷に庵を構えて、日々功徳を説く場面。
にぎやかな市井の様子が穏やかですがはっきりとした色使いで表現されています。

「熊野観花(画稿)」
こちらは美校の卒業制作の画稿。
平宗盛の愛妾、熊野御前が清水寺の花見に向かう途中、牛車を降りる場面。
下を向いているため、髪が顔に流れています。
浮かない表情なのは、病に倒れた老母に会うことが許されなかったため。
まわりは花見で賑わうなか、一人暗く印象的。
なお、本物は1月15日から2月11日の展示です。

「蒙古襲来図」
文部省が第一高等学校の講堂に飾るため橋本雅邦に依頼したもの。
ですが、やまと絵の研究から歴史画が得意な観山が描くことになりました。
戦闘の激しいようすや人々が細かいところまで描かれ、さすがといわざるを得ない説得力です。

「雨の芭蕉」
葉の一部が大きく描かれた大胆な構図。
葉の下で雨宿りする5羽の雀。
雨に濡れた感覚までも伝わってきそう。

「浜菊」
透けそうなほど白く可憐な浜菊。
静かで優しい色使いがほっとします。

「猫牡丹」
青い花瓶に入った白い牡丹。
そしてその後ろには白い猫。
鮮やかな色と猫の愛嬌のある表情が可愛らしい。

下村観山・横山大観「日・月蓬莱山図」
左幅は横山大観が描いた月の出。
薄暗い景色の中、飛ぶ鳥もシルエットで描かれ、海の景色が幻想的。
右幅は下村観山が描いた日の出。
松に止まり、日を仰ぎ見る鶴。明るみ始めた空が眩しく感じられます。
朦朧体で描かれていますが、ぼんやりとしたところが幻想的で神秘的な印象を与えています。
どちらもそれぞれとても美しい。

「春日野」
こちらも朦朧体で描かれた作品。
柳の枝が垂れる元、のんびりとくつろぐ鹿たち。
淡い色使いがのどかな印象を与えます。
美しい緑に惚れ惚れしてしまう。

「春秋鹿図」
屏風です。
右隻は藤の花咲く中にのんびりと過ごす鹿が2匹。中央に空間が大きく取られています。
左隻は白い花咲く中に佇む鹿が2匹。上部に大きく空間がとられています。
どちらも美しく幻想的な景色です。

最初から素晴らしい作品だらけでなかなか前に進みません。笑
明日の「その2」で留学や日本美術院時代の作品などに触れていきます。
こちらも素晴らしいのです。



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