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言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

政府が紙幣を印刷しすぎると、物価が上昇する

2011-06-15 | 日記
N・グレゴリー・マンキュー 『マンキュー入門経済学』 ( p.19 )

 第9原理:政府が紙幣を印刷しすぎると、物価が上昇する

 ドイツでは、1921年1月における新聞の値段は0・3マルクであった。しかし2年もたたない1922年11月には、同じ新聞の値段が7000万マルクになっていた。経済の他の価格もすべて同じぐらい上昇していた。このエピソードは、インフレーション(インフレ)という経済の全般的な価格上昇の史上最も劇的な例の一つである。
 アメリカは1920年代のドイツに匹敵するようなインフレーションを経験したことはないが、インフレーションが経済問題になることはたびたびあった。たとえば、1970年代には、一般物価水準が2倍以上に上昇し、ジェラルド・フォード大統領をしてインフレーションこそが「国民の最大の敵」であると言わしめた。対照的に、1990年代になると、インフレ率はほぼ年率3%となった。この上昇率であれば、物価水準が倍になるには20年以上必要である。高率のインフレーションは社会にさまざまな費用を払わせるので、インフレ率を低く保つことは、世界中の経済政策立案者にとって共通の目標の一つである。
 インフレーションは何によって引き起こされるのだろうか。大幅で持続的なインフレーションについては、そのほとんどが同じ原因によって発生することが明らかになっている。それは貨幣供給量の増大である。政府がその国の貨幣供給量を大幅に増やすと、貨幣の価値は下落する。1920年代初期のドイツにおいて、物価が1ヵ月ごとに3倍になっていたころ、貨幣供給量もやはり毎月3倍に増えていた。それほど劇的ではないにせよ、アメリカ経済の歴史も同様な結論を示している。1970年代の高インフレは貨幣供給量の急激な増大とともに起こっており、1990年代の低インフレは貨幣供給量のゆるやかな増大に伴っている。


 政府が紙幣を印刷しすぎると、物価が上昇する。貨幣供給量の増加率が大きいほど、インフレ率も大きくなる、と書かれています。



 「貨幣の量が増えれば、インフレになる」という理解は一般的に広く(社会に)いきわたっています。これは常識であるといってよいと思います。

 しかし、ここにはひとつ、問題があります。その問題とは、

   貨幣の量を増やせば、インフレになるといえるか
  =貨幣の量が増えれば「つねに」インフレになるといえるか

です。



 上記、経済学者のインフレ研究が「インフレーションが発生している経済のみを研究し、インフレのときには貨幣供給量も(ほぼ比例的に)増えていた」というものであれば、

   (大幅で持続的な)インフレーションの原因は、
    貨幣の量が増えたからである…………………(a)

とはいえます。しかしその逆、すなわち

   貨幣の量を増やせば(原因)、
    インフレーションが発生する…………………(b)

とは「いえない」はずです。



 「貨幣の量を増やせば、インフレーションが発生する」というためには、「貨幣の量を増やしたけれども、インフレーションが発生しなかった」例が「ひとつもない」ことを示さなければなりません。しかし、歴史上、このような例がひとつもなかった(と示された)場合であっても、それは「たまたま」そのような状況が発生しなかった、ということかもしれません。

 したがってこの証明は難しいと思いますが、

 (a) と (b) が「異なる」ことは「きわめて重要」です。



 (a) と (b) のちがいは、「(緩やかな)インフレを発生させたい」ときに重要になります。

 現在、デフレの脱出策として、日銀(日本銀行)に対し「紙幣をもっと発行しろ」という要求が(一部で)なされています。このような要求は、

   「紙幣の量を増やせばインフレになる」ので
   「デフレが終わる」ことを理論的前提としています。

 しかし、もし「紙幣の量を増やせば、インフレーションが発生する」とは「いえない」のであれば、このような要求は「おかしい」と考える余地が生じます。デフレを終わらせるために、デフレを終わらせる効果のない紙幣供給量の増大を要求している、ということになりかねないからです。

 日本銀行は「紙幣の量を増やしたところで、デフレ(デフレーション)は終わらない」という考えかたをとっているのではないかとも思われますが、日銀の主張の是非を考えるうえでも、これは重要です。

 そこで、この教科書が上記「第9原理」の詳細を論じている部分で「紙幣の量を増やせば、インフレーションが発生する」といえるか否かを検討したいと思います。

南沙諸島の領有権を「位置」で考えると

2011-06-14 | 日記
産経ニュース」の「南シナ海領有権争い 中国の狙いは資源独占」( 2011.6.13 20:50 )

 【北京=川越一】中国が周辺諸国と南沙諸島などの領有権を争う南シナ海で13日、ベトナム海軍が実弾演習を強行したことで、中国がさらに、ベトナムに対する妨害行為をエスカレートさせる可能性がある。

 ベトナムが、中国漁船による探査船への妨害行為について中国に強く抗議した9日、中国外務省の洪磊報道官は「ベトナムは中国の南沙諸島で違法に石油・天然ガスの探査を行い、中国漁船を追い払うなど、中国の主権と海洋権益を著しく侵犯した」との談話を発表し、一歩も引かない姿勢を鮮明にした。

 中国にとって、経済発展を支える資源の確保は、社会の安定、さらには政権維持につながる重要課題だ。1990年代後半、武力行使もいとわない強硬姿勢を緩和し周辺諸国との共同開発を強調してきた。しかし、需要に供給が追いつかず、資源輸入国に転じている現状に危機感を募らせ、再び独善的な性格をあらわにし始めた。

 中国は、探査・掘削を進めようとするベトナムやフィリピンの動きに敏感に反応。7月から南シナ海で新たな探査を開始する計画とされる。中国メディアによると、すでに海底油田の掘削機が同海域に向けて曳航(えいこう)されているという。

 中国の国際情報紙、環球時報(英語版)は、ベトナムの実弾演習を「中国に公然と反抗するための軍事力の誇示」と非難。中国が威嚇発砲など“力ずく”の対抗措置をとることも考えられる。


 南沙諸島の領有権をめぐって、中国とベトナムの対立がエスカレートしつつある、と報じられています。



 この報道を読むかぎりでは、「どっちもどっち」という感じがしないでもありません。中国もベトナムも、どちらも「石油」が領有権主張の目的(…の一部)になっているようです。

 南沙諸島がどこにあるか、その「位置」を考えれば、どう考えても「中国領とは言い難い」のではないかと思われますが。。。



 この南沙諸島ですが、中国・ベトナムのほか、フィリピンや台湾も領有権を主張しているようです。



日本経済新聞」の「ベトナムなど、中国に対抗姿勢 南シナ海問題で」( 2011/6/13 20:39 )

 【ハノイ=岩本陽一】南シナ海の領有権を主張するベトナム、フィリピン、台湾の3カ国・地域は、中国の強硬姿勢に対抗する姿勢を鮮明にしている。ベトナムは13日、同国中部の沖合で実弾演習を実施。フィリピンは哨戒艦の配備、台湾は防衛装備の拡充に向け検討に入った。

 ベトナム海軍が実弾演習を実施したのは、同国中部クアンナム省の沖合数十キロメートルの地点とみられる。軍は同日、周辺海域の航行を制限したもよう。ベトナム人民軍関係者は「通常訓練の一環」と強調するが、中国とベトナムが主権を争う西沙(パラセル)諸島に近いことから、中国の反発も予想される。

 フィリピン政府は12日、南シナ海の領有権問題を巡り「米が同盟国の比と問題を共有し、支援してくれることを期待する」との考えを示した。比政府は国連にも問題解決への支援を求めている。

 米比連携の一環として、フィリピン海軍は領海警備用の哨戒艦(3250トン)を米国から調達する。8月にも就役の見通し。装備が脆弱とされる比海軍の中核戦力になる。

 台湾外交部(外務省)は今月に入り2度、南シナ海での自らの領有権を主張。馬英九政権は東沙諸島や南沙(スプラトリー)諸島の太平島を管轄する海岸巡防署(海上保安庁)の体制強化に動き出した。4月から駐留者に軍での訓練を義務付けたほか、防衛装備の拡充も検討している。

 【北京=森安健】中国は南シナ海の領有権問題に米国などが関与し、国際問題となることを懸念している。中国共産党系の「環球時報」は11日、1面全面と社説を使い「ベトナムは危険なゲームを進めている」と指摘。実弾演習などベトナム側の動きに不快感を表明し、「ベトナムは南シナ海の国々の中で最も極端な路線を突き進んでいる」「混乱を引き起こすことで自国に有利な状況を作り出そうとしている」などと批判した。


 南シナ海の領有権を主張するベトナム、フィリピン、台湾の3カ国・地域は、中国の強硬姿勢に対抗する姿勢を鮮明にしている、と報じられています。



 南沙諸島の「位置」を考えれば、ベトナム領かフィリピン領であると考えるのが自然です。中国領だという主張も、「大陸棚」などの要素を考えれば、「まだわかる」のですが、

 さすがに台湾領だというのは。。。 このあたり、「台湾(人)は中国(人)以上に利己的である」という感じがしないでもありません。



wikipedia」の「太平島

座標: 北緯10度22分38秒 東経114度21分59秒

太平島(たいへいとう)は、スプラトリー諸島(南沙諸島)の北部に位置する諸島最大の島。別称は黄山馬礁がある。他の島と同じように中華人民共和国、中華民国(台湾)、ベトナム、フィリピンが領有権を主張している。

現在は中華民国が実効支配し、行政区画は高雄市旗津区中興里に帰属している。中華民国にとっては、この島はシーレーン防衛の要衝にあたり、警備のため軍人と警察官が常駐している。




 なんと、台湾は領有権を主張するのみならず、実効支配までしているようです。



 上記の座標「北緯10度22分38秒 東経114度21分59秒」を「Google マップ」で見てみます。

   「Google マップ」の検索窓(検索語句を入力する欄)に、
   「10°22'38"N, 114°21'59"E」を入力

してください。コピーして貼りつければ簡単です。

 (位置をみるかぎり) やっぱり「どう見ても台湾領とはいえない」ような。。。



 南沙諸島領有権問題については、機会をみて、さらに調べたいと思います。



 なお、上記報道をみるかぎり、日経は台湾を「国ではなく、地域」として扱っているようですね。この捉えかたは「公平」だと思います。私も日経と同じ考えかたをしています。これについては

外務省」の「台湾」(「対外関係」の部分 )

を参照してください。また、「「中国を特別扱いするな、台湾を特別扱いしろ」という「偏った」主張」のコメント欄もあわせご覧ください。

一国の生活水準は、生産性によってほぼ決定される

2011-06-13 | 日記
N・グレゴリー・マンキュー 『マンキュー入門経済学』 ( p.18 )

 第8原理:一国の生活水準は、財・サービスの生産能力に依存している

 世界全体を見渡したとき、生活水準の格差には圧倒されるものがある。2000年のアメリカ人の平均所得は約3万4100ドルであった。同じ年、メキシコ人の平均所得は8790ドルで、ナイジェリア人の平均所得は800ドルであった。平均所得に表れたこの大きな格差が、生活の質を測るさまざまな尺度に反映されているといっても驚くにはあたらないだろう。高所得国の国民は、低所得国の国民よりもたくさんのテレビや車を所有し、栄養状態もよく、よい医療を受けていて、寿命も長い。
 生活水準の歴史的な変化も大きい。アメリカでは、歴史的にみて、(生計費の変化を調整した)所得の成長率はほぼ2%であった。この成長率の下では、平均所得は35年ごとに2倍になる。過去1世紀で、平均所得は約8倍になったのである。
 国や時代の違いによって生活水準に大きな格差や変化があるのはなぜだろうか。その答えは驚くほど簡単である。生活水準の格差や変化のほとんどは、各国の生産性の相違によって説明できる。生産性とは、1人の労働者が1時間当たりに生産する財・サービスの量である。労働者の1時間当たりの生産量が多い国では、ほとんどの人々が高い生活水準を享受している。労働者の生産性が低い国では、ほとんどの人がもっと低い生活水準を甘受しなければならない。同様に、一国の生産性の成長率は、平均所得の成長率を決定する。
 生産性と生活水準との間の基本的な関係は単純であるが、その意味するところは深いものがある。生産性が生活水準の基本的決定要因であるのであれば、他の要因は二義的な重要性しかもたないはずである。たとえば、過去1世紀のアメリカにおける労働者の生活水準の向上を、労働組合や最低賃金法の功績であると考える人もいるだろう。しかしながら、アメリカ人労働者の本当の英雄は、彼ら自身の生産性の上昇なのである。もう一つ例をあげれば、アメリカの所得が1970年代と1980年代に低成長だったのは、日本をはじめとする外国との競争のせいであると主張する評論家たちがいる。しかし、本当の悪者は海外との競争ではなく、アメリカ国内における生産性の成長率の低下なのである。
 生産性と生活水準との関係は、公共政策にとっても重要な意味合いがある。政策が生活水準にどのような影響を与えるかを考えるときには、その政策が財・サービスの生産能力にどのように影響するかを考えることが大事である。生活水準を向上させるには、労働者がよく教育されていること、財・サービスを生産するのに必要な道具をもっていること、最高の生産技術を利用することができること、などを政策立案者が保証し、生産性を向上させなければならない。


 一国の生活水準は、生産性によってほぼ決定される。生産性とは、1人の労働者が1時間当たりに生産する財・サービスの量である。(ほとんどの)労働者の生活水準も同様であり、他の要因、労働組合や最低賃金法などは大きな影響を及ぼさない、と書かれています。



 ここでは「なぜ、生産性(財・サービスの生産能力)によって生活水準がほぼ決まるのか」が説明されていないので、これだけでは「本当かどうかわからない」わけですが、

 「国全体の」生活水準であればいかにもありそうな話なので、ここでは追及しないことにします。この原理はあとで(ページが進むにつれて)詳しく説明されると思われるので、そのときに詳しく検討します。



 また、著者は
労働者の1時間当たりの生産量が多い国では、ほとんどの人々が高い生活水準を享受している。労働者の生産性が低い国では、ほとんどの人がもっと低い生活水準を甘受しなければならない。
と主張していますが、これには「やや」疑問があります。しかしこれについても、あとで検討することにします。



 今回の記事は(引用せずに)要約すれば、わずか数行ですみます。それにもかかわらず、私が「引用」したうえで「独立した記事」にしているのは、
  1. 著者がこの教科書で最初に「経済学の十大原理」を述べ、その後で詳細を論じるスタイルをとっていること、
  2. 労働組合や最低賃金法などの「生産性以外の要因」は生活水準に大きな影響を及ぼさない、という部分がきわめて重要だと思われること、
  3. 私が「証拠」となる記述を引用しつつブログを書いていること
が原因です。やむなくこのような引用をしていることをご理解ください。

普天間飛行場、名護市辺野古への移設方針を正式伝達

2011-06-13 | 日記
YOMIURI ONLINE」の「沖縄・国頭村の安波地区、普天間代替施設を誘致へ」( 2011年6月11日 )

 沖縄県の米軍普天間飛行場の移設問題を巡り、沖縄本島最北部の国頭村(くにがみそん)安波(あは)地区(85世帯、約170人)の区民総会が10日、同地区公民館で開かれ、普天間飛行場を誘致することを前提に、国と交渉を始めることを賛成多数で決めた。

 基地受け入れに伴う振興策で、過疎化が進む村の活性化を図るのが狙い。ただ、宮城馨村長は同飛行場の誘致に強く反対しており、実現の見通しは不透明だ。

 誘致計画は、集落南側の海岸沿いにある農地約260ヘクタールに2500メートル級の滑走路を持つ空港を建設。自衛隊と民間との共用とし、米海兵隊のグアム移転が完了するまでの間、一時的に普天間飛行場の機能を受け入れる一方、振興策として安波地区への高速道路延伸などを求めている。

 現行計画の同県名護市辺野古のキャンプ・シュワブ沿岸部埋め立てと異なり、陸上に建設するため、工期や工費が大幅に圧縮できるという。

 この日の総会には地区の半数の約90人が出席。委任状を提出して欠席した住民を含む125人で採決し、賛成75人、反対50人だった。


 普天間飛行場移設問題で、住民の過半数が「基地を受け容れてもよい」と思っている地域が現れた、と報じられています。



 沖縄県民は「なにがなんでも反対」ではないし、県内移設に「全員が反対」ではないことがわかります。



47NEWS」の「防衛相、沖縄県内移設推進を伝達 知事「残念で遺憾」」( 2011/06/13 10:46 )

北沢俊美防衛相は13日午前、沖縄県の仲井真弘多知事と県庁で会談、21日に開催予定の外務、防衛担当閣僚による日米安全保障協議委員会(2プラス2)で米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)代替施設の形状を滑走路2本のV字形と決め、同県名護市辺野古への県内移設を進める方針を正式に伝えた。

 仲井真氏は県外移設を重ねて求め「日米両政府が決めても住民の納得がないと進められない。誠に遺憾で残念だ」と反発した。沖縄の意向に真っ向から反する対応となり、辺野古移設の実現性は一段と厳しくなった。


 政府は、沖縄県知事に対し、沖縄県名護市辺野古への県内移設を進める方針を正式に伝えた、と報じられています。



 最初に引用した「国頭村(くにがみそん)安波(あは)地区」への移設ではなく、「名護市辺野古」への移設を国は求めたようです。

 どこに移設するかは、沖縄県民の意向も重要ではあるものの、最終的には「国レベルの判断」ですから、(国の)このような判断もあり得ると思います。国防という「国レベルの問題」に、(いかに地元とはいえ)沖縄県知事が反対し続けるのもいかがなものかと思います。

 とはいえ、知事も立場上、反対せざるを得ないのかもしれません。

 とすれば、場合によっては、国が「押し切る」こともやむを得ないのではないかと思います。必要であれば立法(または法改正)もやむなし、だと思います。



■関連記事
 「沖縄県知事選の結果と、普天間移設問題の見通し
 「普天間問題の根本的原因
 「那覇市長の主張はおかしい (普天間基地移設問題)
 「宜野湾市長の主張もおかしい (普天間基地移設問題)

政府は市場のもたらす成果を改善できることもある

2011-06-12 | 日記
N・グレゴリー・マンキュー 『マンキュー入門経済学』 ( p.16 )

 第7原理:政府は市場のもたらす成果を改善できることもある

 市場の見えざる手がそれほどに素晴らしいのなら、なぜ政府が必要なのだろうか。一つの答えは、見えざる手には、政府による保護が必要だというものである。財産権が護られないと、市場は機能しない。自分の収穫物が盗まれるとわかっている農民は、作物を育てないだろう。レストランも、客が支払いを済ませてから出ていくとわかっていないと、食事を出さないだろう。政府の提供する警察・司法によって、自分たちの生産物に対する権利が護られることに、われわれは依存しているのである。
 政府が必要である理由が、もつ一つある。通常、市場は経済活動を組織する良策だが、この原則には重要な例外がある。政府が市場に介入するのには、二つの大きな理由がある。一つは効率性を高めるためであり、もう一つは衡平性を高めるためである。つまり、多くの政策は、経済のパイを大きくすることか、パイの分配方法を変更することを目的としているのである。
 通常の場合、見えざる手は、市場を導いて効率的な資源配分を実現するが、うまく働かないことがある。経済学者は、市場の力では効率的な資源配分を実現できない状況を市場の失敗と呼んでいる。市場の失敗を引き起こす原因の一つは外部性である。外部性とは、1人の行動が無関係な人の経済的福祉に及ぼす影響のことである。外部性の古典的な例として環境汚染がある。市場の失敗を引き起こすもう一つの原因としては、市場支配力があげられる。市場支配力とは、1人の個人(あるいは少人数のグループ)が市場価格を過度に左右できる能力のことである。たとえば、町中の人たちが水を必要としているにもかかわらず、井戸が一つしかないとしよう。井戸の所有者は、水の販売に関して市場支配力(この場合は独占)をもっている。井戸の所有者は厳しい競争に直面していないので、見えざる手は通常のようには彼の利己心を制限することができない。このように外部性や市場支配力がある場合には、公共政策を上手に設計することによって、経済効率を高めることができる。
 経済的繁栄の衡平を分配を実現する点でも、見えざる手は失敗することがある。市場経済システムにおける報酬は、人々が喜んでお金を支払うなようなものを個々人がつくりだせるかどうかによって決まる。世界最高のバスケットボール選手が世界最高のチェス選手よりも所得が多いのは、チェスよりもバスケットボールをみるために人々がより多くのお金を支払うからにすぎない。すべての人が十分な食糧とまともな衣服をもち、適切な医療を受けられることを見えざる手は保証していない。所得税や社会福祉制度などの多くの公共政策は、経済的福祉のより衡平な分配を実現することを目的としている。
 政府が市場の成果を改善できることもあるということは、つねに改善されるということではない。公共政策は天使が立案しているわけではなく、完璧からはほど遠い政治的プロセスを通じて立案されている。そうした政策のなかには、政治的な影響力をもつ者に利益をもたらすためにだけ立案されるものもある。また、志は正しいが十分な情報をもっていない指導者によって政策が立案されることもある。効率性や衡平性を高める目的からみて政策が正当化できるか否かを判断するのを助けることも、経済学を学習する目的の一つである。


 市場が政府を必要とするのは、権利の保護が必要であることと、市場の成果(効率性・衡平性)を改善できる場合があるからである、と書かれています。



 まず、権利の保護が必要であることはあきらかだと思います。権利の保護がなくとも「別の形の」市場が成立するとも考えられますが、「現在の」市場を前提として考える以上、これは問題にしなくてよいと思います。なお、ここからは経済が法律の原則(私的自治の原則など)と密接に結びついていることもわかります。



 次に、政府は市場の成果(効率性・衡平性)を改善できる場合もある、という点についてですが、これは経済学の第6原理「通常、市場は経済活動を組織する良策である」の例外にあたります。



 著者は
 政府が必要である理由が、もつ一つある。通常、市場は経済活動を組織する良策だが、この原則には重要な例外がある。政府が市場に介入するのには、二つの大きな理由がある。一つは効率性を高めるためであり、もう一つは衡平性を高めるためである。つまり、多くの政策は、経済のパイを大きくすることか、パイの分配方法を変更することを目的としているのである。
と述べていますので、

   効率性は、(経済の)パイの大きさの問題であり、
   衡平性は、(経済の)パイの分配の問題である

ということになると思います。そしてこれら両者を「改善する」ために、市場への介入がなされる(許容される)ことになると著者は説いているのですが、
 通常の場合、見えざる手は、市場を導いて効率的な資源配分を実現するが、うまく働かないことがある。経済学者は、市場の力では効率的な資源配分を実現できない状況を市場の失敗と呼んでいる。市場の失敗を引き起こす原因の一つは外部性である。外部性とは、1人の行動が無関係な人の経済的福祉に及ぼす影響のことである。外部性の古典的な例として環境汚染がある。市場の失敗を引き起こすもう一つの原因としては、市場支配力があげられる。市場支配力とは、1人の個人(あるいは少人数のグループ)が市場価格を過度に左右できる能力のことである。たとえば、町中の人たちが水を必要としているにもかかわらず、井戸が一つしかないとしよう。井戸の所有者は、水の販売に関して市場支配力(この場合は独占)をもっている。井戸の所有者は厳しい競争に直面していないので、見えざる手は通常のようには彼の利己心を制限することができない。このように外部性や市場支配力がある場合には、公共政策を上手に設計することによって、経済効率を高めることができる。
という記述から判断すると、

   「市場の失敗」とは、
    市場の力では効率的な資源配分を実現できない状況

であり、「市場の失敗」の原因には次の2種類、
  1. 外部性、つまり1人の行動が無関係な人の経済的福祉に及ぼす影響。例:環境汚染
  2. 市場支配力、つまり1人の個人(あるいは少人数のグループ)が市場価格を過度に左右できる能力。例:独占
がある、ということになります。



 そして著者は「効率性」(効率的な資源配分) のところで外部性と市場支配力を説明し、「衡平性」(経済的繁栄の衡平な分配)を外部性や市場支配力とは独立した記述にしています。つまり著者の枠組みでは、

   政府が市場に介入すべき場合は次の2種類
    (1) 効率的な資源配分の失敗
          (効率性=パイの大きさの問題)
      ★これを「市場の失敗」という
      ★これは次の2種類に分類される
        (a) 外部性…………例:環境汚染
        (b) 市場支配力……例:独占
    (2) 経済的繁栄の衡平な分配の失敗
          (衡平性=パイの分配の問題)

となっています。

 これはおかしくないでしょうか?



 「環境汚染」を許容すれば、経済効率は高まると考えられます。つまり私の理解では、

   「市場の失敗」とは、
     (1) 効率的な資源配分の失敗、
    または
     (2) 経済的繁栄の衡平な分配の失敗

であり、

   政府が市場に介入すべき場合は次の2種類
    (1) 効率的な資源配分の失敗
          (効率性=パイの大きさの問題)
       (b) 市場支配力……例:独占
    (2) 経済的繁栄の衡平な分配の失敗
          (衡平性=パイの分配の問題)
       (a) 外部性…………例:環境汚染

ということになります。



 私の理解と著者の枠組みとの相違は、「外部性」を「衡平性=パイの分配の問題」として捉えるか「効率性=パイの大きさの問題」として捉えるかにあります。私には、環境汚染がなぜ「経済的繁栄の衡平な分配の問題=衡平性の問題=パイの分配の問題」ではなく、「効率的な資源配分の問題=効率性の問題=パイの大きさの問題」になるのか、それがわかりません。

 もっとも、さらに読み進め、理解が進めば著者の枠組みが「正しい」と判明するかもしれません。これについてはさらに考えたいと思います。