N・グレゴリー・マンキュー 『マンキュー入門経済学』 ( p.16 )
市場が政府を必要とするのは、権利の保護が必要であることと、市場の成果(効率性・衡平性)を改善できる場合があるからである、と書かれています。
まず、権利の保護が必要であることはあきらかだと思います。権利の保護がなくとも「別の形の」市場が成立するとも考えられますが、「現在の」市場を前提として考える以上、これは問題にしなくてよいと思います。なお、ここからは経済が法律の原則(私的自治の原則など)と密接に結びついていることもわかります。
次に、政府は市場の成果(効率性・衡平性)を改善できる場合もある、という点についてですが、これは経済学の第6原理「通常、市場は経済活動を組織する良策である」の例外にあたります。
著者は
効率性は、(経済の)パイの大きさの問題であり、
衡平性は、(経済の)パイの分配の問題である
ということになると思います。そしてこれら両者を「改善する」ために、市場への介入がなされる(許容される)ことになると著者は説いているのですが、
「市場の失敗」とは、
市場の力では効率的な資源配分を実現できない状況
であり、「市場の失敗」の原因には次の2種類、
そして著者は「効率性」(効率的な資源配分) のところで外部性と市場支配力を説明し、「衡平性」(経済的繁栄の衡平な分配)を外部性や市場支配力とは独立した記述にしています。つまり著者の枠組みでは、
政府が市場に介入すべき場合は次の2種類
(1) 効率的な資源配分の失敗
(効率性=パイの大きさの問題)
★これを「市場の失敗」という
★これは次の2種類に分類される
(a) 外部性…………例:環境汚染
(b) 市場支配力……例:独占
(2) 経済的繁栄の衡平な分配の失敗
(衡平性=パイの分配の問題)
となっています。
これはおかしくないでしょうか?
「環境汚染」を許容すれば、経済効率は高まると考えられます。つまり私の理解では、
「市場の失敗」とは、
(1) 効率的な資源配分の失敗、
または
(2) 経済的繁栄の衡平な分配の失敗
であり、
政府が市場に介入すべき場合は次の2種類
(1) 効率的な資源配分の失敗
(効率性=パイの大きさの問題)
(b) 市場支配力……例:独占
(2) 経済的繁栄の衡平な分配の失敗
(衡平性=パイの分配の問題)
(a) 外部性…………例:環境汚染
ということになります。
私の理解と著者の枠組みとの相違は、「外部性」を「衡平性=パイの分配の問題」として捉えるか「効率性=パイの大きさの問題」として捉えるかにあります。私には、環境汚染がなぜ「経済的繁栄の衡平な分配の問題=衡平性の問題=パイの分配の問題」ではなく、「効率的な資源配分の問題=効率性の問題=パイの大きさの問題」になるのか、それがわかりません。
もっとも、さらに読み進め、理解が進めば著者の枠組みが「正しい」と判明するかもしれません。これについてはさらに考えたいと思います。
第7原理:政府は市場のもたらす成果を改善できることもある
市場の見えざる手がそれほどに素晴らしいのなら、なぜ政府が必要なのだろうか。一つの答えは、見えざる手には、政府による保護が必要だというものである。財産権が護られないと、市場は機能しない。自分の収穫物が盗まれるとわかっている農民は、作物を育てないだろう。レストランも、客が支払いを済ませてから出ていくとわかっていないと、食事を出さないだろう。政府の提供する警察・司法によって、自分たちの生産物に対する権利が護られることに、われわれは依存しているのである。
政府が必要である理由が、もつ一つある。通常、市場は経済活動を組織する良策だが、この原則には重要な例外がある。政府が市場に介入するのには、二つの大きな理由がある。一つは効率性を高めるためであり、もう一つは衡平性を高めるためである。つまり、多くの政策は、経済のパイを大きくすることか、パイの分配方法を変更することを目的としているのである。
通常の場合、見えざる手は、市場を導いて効率的な資源配分を実現するが、うまく働かないことがある。経済学者は、市場の力では効率的な資源配分を実現できない状況を市場の失敗と呼んでいる。市場の失敗を引き起こす原因の一つは外部性である。外部性とは、1人の行動が無関係な人の経済的福祉に及ぼす影響のことである。外部性の古典的な例として環境汚染がある。市場の失敗を引き起こすもう一つの原因としては、市場支配力があげられる。市場支配力とは、1人の個人(あるいは少人数のグループ)が市場価格を過度に左右できる能力のことである。たとえば、町中の人たちが水を必要としているにもかかわらず、井戸が一つしかないとしよう。井戸の所有者は、水の販売に関して市場支配力(この場合は独占)をもっている。井戸の所有者は厳しい競争に直面していないので、見えざる手は通常のようには彼の利己心を制限することができない。このように外部性や市場支配力がある場合には、公共政策を上手に設計することによって、経済効率を高めることができる。
経済的繁栄の衡平を分配を実現する点でも、見えざる手は失敗することがある。市場経済システムにおける報酬は、人々が喜んでお金を支払うなようなものを個々人がつくりだせるかどうかによって決まる。世界最高のバスケットボール選手が世界最高のチェス選手よりも所得が多いのは、チェスよりもバスケットボールをみるために人々がより多くのお金を支払うからにすぎない。すべての人が十分な食糧とまともな衣服をもち、適切な医療を受けられることを見えざる手は保証していない。所得税や社会福祉制度などの多くの公共政策は、経済的福祉のより衡平な分配を実現することを目的としている。
政府が市場の成果を改善できることもあるということは、つねに改善されるということではない。公共政策は天使が立案しているわけではなく、完璧からはほど遠い政治的プロセスを通じて立案されている。そうした政策のなかには、政治的な影響力をもつ者に利益をもたらすためにだけ立案されるものもある。また、志は正しいが十分な情報をもっていない指導者によって政策が立案されることもある。効率性や衡平性を高める目的からみて政策が正当化できるか否かを判断するのを助けることも、経済学を学習する目的の一つである。
市場が政府を必要とするのは、権利の保護が必要であることと、市場の成果(効率性・衡平性)を改善できる場合があるからである、と書かれています。
まず、権利の保護が必要であることはあきらかだと思います。権利の保護がなくとも「別の形の」市場が成立するとも考えられますが、「現在の」市場を前提として考える以上、これは問題にしなくてよいと思います。なお、ここからは経済が法律の原則(私的自治の原則など)と密接に結びついていることもわかります。
次に、政府は市場の成果(効率性・衡平性)を改善できる場合もある、という点についてですが、これは経済学の第6原理「通常、市場は経済活動を組織する良策である」の例外にあたります。
著者は
政府が必要である理由が、もつ一つある。通常、市場は経済活動を組織する良策だが、この原則には重要な例外がある。政府が市場に介入するのには、二つの大きな理由がある。一つは効率性を高めるためであり、もう一つは衡平性を高めるためである。つまり、多くの政策は、経済のパイを大きくすることか、パイの分配方法を変更することを目的としているのである。と述べていますので、
効率性は、(経済の)パイの大きさの問題であり、
衡平性は、(経済の)パイの分配の問題である
ということになると思います。そしてこれら両者を「改善する」ために、市場への介入がなされる(許容される)ことになると著者は説いているのですが、
通常の場合、見えざる手は、市場を導いて効率的な資源配分を実現するが、うまく働かないことがある。経済学者は、市場の力では効率的な資源配分を実現できない状況を市場の失敗と呼んでいる。市場の失敗を引き起こす原因の一つは外部性である。外部性とは、1人の行動が無関係な人の経済的福祉に及ぼす影響のことである。外部性の古典的な例として環境汚染がある。市場の失敗を引き起こすもう一つの原因としては、市場支配力があげられる。市場支配力とは、1人の個人(あるいは少人数のグループ)が市場価格を過度に左右できる能力のことである。たとえば、町中の人たちが水を必要としているにもかかわらず、井戸が一つしかないとしよう。井戸の所有者は、水の販売に関して市場支配力(この場合は独占)をもっている。井戸の所有者は厳しい競争に直面していないので、見えざる手は通常のようには彼の利己心を制限することができない。このように外部性や市場支配力がある場合には、公共政策を上手に設計することによって、経済効率を高めることができる。という記述から判断すると、
「市場の失敗」とは、
市場の力では効率的な資源配分を実現できない状況
であり、「市場の失敗」の原因には次の2種類、
- 外部性、つまり1人の行動が無関係な人の経済的福祉に及ぼす影響。例:環境汚染
- 市場支配力、つまり1人の個人(あるいは少人数のグループ)が市場価格を過度に左右できる能力。例:独占
そして著者は「効率性」(効率的な資源配分) のところで外部性と市場支配力を説明し、「衡平性」(経済的繁栄の衡平な分配)を外部性や市場支配力とは独立した記述にしています。つまり著者の枠組みでは、
政府が市場に介入すべき場合は次の2種類
(1) 効率的な資源配分の失敗
(効率性=パイの大きさの問題)
★これを「市場の失敗」という
★これは次の2種類に分類される
(a) 外部性…………例:環境汚染
(b) 市場支配力……例:独占
(2) 経済的繁栄の衡平な分配の失敗
(衡平性=パイの分配の問題)
となっています。
これはおかしくないでしょうか?
「環境汚染」を許容すれば、経済効率は高まると考えられます。つまり私の理解では、
「市場の失敗」とは、
(1) 効率的な資源配分の失敗、
または
(2) 経済的繁栄の衡平な分配の失敗
であり、
政府が市場に介入すべき場合は次の2種類
(1) 効率的な資源配分の失敗
(効率性=パイの大きさの問題)
(b) 市場支配力……例:独占
(2) 経済的繁栄の衡平な分配の失敗
(衡平性=パイの分配の問題)
(a) 外部性…………例:環境汚染
ということになります。
私の理解と著者の枠組みとの相違は、「外部性」を「衡平性=パイの分配の問題」として捉えるか「効率性=パイの大きさの問題」として捉えるかにあります。私には、環境汚染がなぜ「経済的繁栄の衡平な分配の問題=衡平性の問題=パイの分配の問題」ではなく、「効率的な資源配分の問題=効率性の問題=パイの大きさの問題」になるのか、それがわかりません。
もっとも、さらに読み進め、理解が進めば著者の枠組みが「正しい」と判明するかもしれません。これについてはさらに考えたいと思います。