言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

日銀理論

2010-09-25 | 日記
田中秀臣 『デフレ不況』 ( p.22 )

 この深刻なデフレ不況に立ち向かう立場にあるのが、日本の金融政策を担う日本銀行です。後で説明しますが、政府の財政政策はあくまでも金融政策に従属した上で効果を発揮するか、あるいは単独では景気効果の発現が難しい、というのが経済学や経験が教えるところです。
 さて、不況対策の主砲であるその日本銀行のトップは、二〇〇八年四月に就任した白川方明 (まさあき) 総裁。白川総裁とはどんな人物で、金融政策についてどのような考え方の持ち主なのでしょうか。
 少し前の話になりますが、白川総裁がテレビ番組 (テレビ東京「ワールドビジネスサテライト」) で日本銀行の政策について説明したことがありました。
 番組の中で、白川総裁はデフレの原因を三つ挙げています。
 (1) 規制緩和などによって、内外価格差が縮小した。
 (2) 労使が雇用確保を重視し、サービス産業などの賃金低下を許容した。
 (3) バブル崩壊後の国民の自信の喪失が需要不足を生み出した。
 というものです。
 まず「内外価格差の縮小は規制緩和や経済のグローバル化の必然であり、これは日本銀行のせいではない」し、「賃金低下の許容は労使の自発的な交渉の行為の結果であり、これも日本銀行のせいではない」と言いたいのだと推察します。
 中でも総裁が最も重視しているのが、(3) の「国民の自信の喪失」であるようです。
 ここで白川総裁が指摘する「国民の自信の喪失」とは、経済学用語でいう「期待成長率の低下」ということになるでしょう。将来の日本経済がきわめて低い成長しか達成しないと国民が考えると、それが自己実現的に現在の成長率として跳ね返るという考え方です。比喩 (ひゆ) 的にいうなら、将来の自分の勉学の成績がたいしたことがないと信じてしまい、現在の勉強を放棄してしまえば、やはり現在の勉強の成果もたいしたことがなく、また将来も実際にたいしたことがないものになる、というのと同じ考えです。
「この国民の自信の喪失を是正する主要な役割は、日本銀行ではなく、政府にある」
 というのが、当日の総裁の説明の骨子のようです。

(中略)

 白川総裁は伝統の「日銀理論」を踏襲し、「需要自体が不足しているときには、流動性を供給するだけでは物価は上昇しない」とも発言しています。つまりデフレ対策としての金融政策の効果を否定しているのです。「日銀理論」とはつまり「日本銀行はデフレに何もできない」という理論なのです。
 この「日銀理論」が初めて公になったのは、一九七三年の第一次石油ショック時の狂乱物価に対して、日本銀行の責任を追及する声が上がったときでした。
 このとき、「狂乱物価は日本銀行がマネーサプライ (貨幣供給量) を増やしすぎたために起きた」と批判する東京大学の小宮隆太郎 (こみやりゅうたろう) 教授に対し、日本銀行側は「マネーサプライは金融政策によって操作できない」と主張、「インフレは日本銀行の責任ではない」としらをきったのです。
 法律によって日本銀行の目的は「物価の安定」とされています。物価の安定とは、過度のインフレやデフレを起こさないことで、それが日本銀行の存在目的なのです。
 ところがその日本銀行は、「インフレは日本銀行の責任ではない」「デフレも日本銀行の責任ではない」「金融政策によって物価はコントロールできない」と公言しています。
 まさにそのために存在している「物価の安定」に対して「そんなものは日本銀行と関係ない」と言い放っているのです。
 こんなバカな話があっていいのでしょうか?
 それでは日本銀行は、いったいなんのために存在するのでしょうか?

(中略)

 ここで白川総裁に聞くとすれば、「国民が自信をなくしていることがデフレの原因というなら、それでは『自信回復』の手段はなんでしょうか?」ということです。
 小泉政権時代には、それは「構造改革」でした。少なくとも、当時の速水優 (はやみまさる) 総裁はそう明言していました。しかしデフレ要因を「規制緩和の進行による」と言っている以上、まさか「さらなる規制緩和こそデフレ脱出の道である」とはいえないはずです。
 番組の中で白川総裁の口から出てきたのは、「世界経済の回復」と「産業政策」でした。
 世界経済の回復によって「外需」が伸長し、それによって日本の景気が回復していくというシナリオは二〇〇〇年代前半にも見られました。今回もあり得るでしょうが、それは日本の外の話です。また反対に海外経済が悪化する可能性だってあるでしょう。

(中略)

 白川現総裁に限らず、歴代日銀総裁は、あるときは「構造改革」や「成長戦略」に期待すると言い、あるときは「産業政策」や「世界経済の回復」に期待すると言う、あなた任せの態度に終始しています。
 本来、当の日本銀行こそ、思い切った金融政策によってデフレ打倒の先頭に立つべき機関であるのに、そうした自覚がまったくありません。
「そのために必要と判断されるようであれば、迅速果敢に行動するという大勢を常に整えている」(白川総裁談) のであれば、いまこそがそのときのはずです。


 デフレについての日銀の考えかたを紹介したうえで、それに対する批判が書かれています。



 著者によれば、日本銀行は

   「日本銀行はデフレに何もできない」という理論 (日銀理論)

を主張しており、したがって

   日銀は、金融政策上、必要とされる政策を何もしない

ということになります。

 これをもって、著者は
 法律によって日本銀行の目的は「物価の安定」とされています。物価の安定とは、過度のインフレやデフレを起こさないことで、それが日本銀行の存在目的なのです。
 ところがその日本銀行は、「インフレは日本銀行の責任ではない」「デフレも日本銀行の責任ではない」「金融政策によって物価はコントロールできない」と公言しています。
 まさにそのために存在している「物価の安定」に対して「そんなものは日本銀行と関係ない」と言い放っているのです。
 こんなバカな話があっていいのでしょうか?
 それでは日本銀行は、いったいなんのために存在するのでしょうか?
と、日銀を批判しています。



法令データ提供システム」の「日本銀行法(平成九年六月十八日法律第八十九号)

(目的)
第一条  日本銀行は、我が国の中央銀行として、銀行券を発行するとともに、通貨及び金融の調節を行うことを目的とする。
2  日本銀行は、前項に規定するもののほか、銀行その他の金融機関の間で行われる資金決済の円滑の確保を図り、もって信用秩序の維持に資することを目的とする。

(通貨及び金融の調節の理念)
第二条  日本銀行は、通貨及び金融の調節を行うに当たっては、物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資することをもって、その理念とする。


 日本銀行法には、日本銀行は「銀行券を発行するとともに、通貨及び金融の調節を行うことを目的とする」「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資する」と書かれています。



 たしかに、日本銀行法には著者の指摘する規定が定められているのですが、

   日銀理論が正しければ、日銀の行動には問題がないはず

です。いかに日銀が金融政策上の責任を負っていようとも、「日本銀行はデフレに何もできない」ならば、日銀の責任を追及することは不可能だからです。そしてこれこそが、おそらく、日銀理論が主張していることなのでしょう。



 そこで問題は、本当に、日銀理論は正しいのか、になります。

 これについては、「金融政策と財政政策、どちらが効果的か」に引用した部分でリチャード・クーが述べているように、たんに国債が買われるだけで、金融政策は機能しない、とも考えられます。

 しかし逆に、「カバレロの議論」によれば、(また、カバレロの論理を支持しない場合であっても)「デフレの脱出策」として、量的緩和政策は効果があるとも考えられます。

 結局のところ、「どちらが正しいのか、わからない」というか、「どちらともいえない」のではないかと思われます。



 しかし、ここで重要なのは、日本銀行は「研究所や学者ではない」ということです。

 政策は、学問的知見を考慮して実施されなければならないこと、もちろんではありますが、学問的に「わからない」「どちらともいえない」のであれば、

   効果があるかもしれない以上、試してみるべき

ではないかと思います。誤った政策を実施してしまうことになる危険はもちろんありますが、それ以上に、なにもしない危険のほうが、大きいのではないかと思います。

 したがって、私も著者と同様に、日銀の姿勢には問題がある (または、問題があった) のではないかと思います。