言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

マッキンダー理論の背景

2010-09-16 | 日記
曽村保信 『地政学入門』 ( p.40 )

 それでマッキンダーは一般にシー・パワーと呼ばれるもの、とくに西欧のそれについて、きわめて背景の広い考察を行なっている。そしてそこに出てきたのが、西欧世界とその文明の発達は、とどのつまり内陸アジアからの衝撃ないし圧力に負うものであった、という結論である。これは、従来の西欧文明がアジアを征服するという通念とくらべれば、まさにコペルニクス的な転回のようなもので、歴史的事実に照らせばまったく正しい見方であるにもかかわらず、当時の西欧人の自己中心的な意識からすれば、すぐにはピンと来なかったわけである。
 しかしながら彼のいうところの歴史の大勢 (モーメンタム) についてみればその見方には、はなはだ理がある。ふつう人類文明の起源を論ずるときに人びとが引き合いに出すのは、チグリス=ユーフラテスならびにナイル川流域の文明だが、これらはインダス、ガンジスや黄河流域の文明と同列の河川文明である。そして、ナイル川流域の文明がエジプト人やフェニキア人のようなハム・セム族の開発した航海術によって、地中海に伝播されようとしたときに、小アジアからアドリア海沿岸一帯にかけて定住するさまざまな民族とのあいだに接触や葛藤が起こり、次々と覇者が交代したあげくに成立したのがギリシアとローマの文明だった。一方同じセム族に属するアラビア人は、まだ歴史によって確認できない古い時代から、すでにダウ (dhow) といわれる独特な船型を発明して、季節風を利用しながら広くインド洋方面を航海していたとみられる。つまり、これまで歴史の説くところによれば、人類は河川文明から出発して、やがて地中海とかインド洋のような部分的な海による交流を深めていった、と考えられるわけだ。ここらの考え方は、どうやらドイツの地理学者、フリードリッヒ・ラッツェル (一八四四―一九〇四年)と共通している。
 しかし、このような河川型と海洋型の文明とはまったく別に、内陸アジアではあまり歴史にくわしく知られていない諸民族の大移動があった。そしてこれらの遊牧民族達は、ハンガリーの草原から黒海とカスピ海の中間を経て、延々とモンゴルの大高原にいたるまでの一連の草原 (ステップ) という大きな交通のルートをもっていた。ただ、彼らは遊牧民族であったために、河川や海上交通の拠点として発達した諸都市のような顕著な痕跡を現代の歴史に残していない。むろん、アジアの内陸にも大きな河川はある。しかしながら、それらはアムダリア、シルダリアのように内陸の海に注ぐか、またはシベリアの諸大河のように氷海に注ぐばかりで、内陸アジアは原則として海洋との連絡をまったく断たれていた。けれども、そのかわり彼らには騎馬という絶好の移動戦力があり、その集団による来襲と掠奪はしばしば周辺に定着する諸国民の生活に脅威をあたえてきた。
 原則としてという表現を使ったのは、そこには若干の例外があるからである。それには大きくいって次のようなものが挙げられる。
 (一) 北ヨーロッパの平原を経て、バルト海および北海にいたるルート。
 (二) 黒海の周辺とボスポラスおよびダーダネルスの両海峡を経て、エーゲ海に出るルート。
 (三) イランの高原を経て、ペルシア湾にいたるルート。
 (四) ヒンズークシ山脈の峠を越えて、インダス川の流域に出るルート。
 (五) モンゴルの大草原を経て、華北または満州の大平原に出るルート。
 以上のなかで、第一のものだけはその冬の気候が酷寒であるために、遊牧民族の突出を大きく阻んできた。しかし一般的にいって、これらのルートの存在がいかに戦略的に重要なものであったかということは、たとえば北京やデリーのような政治の拠点となる都市が、かつてはこれらの遊牧民族によって築かれたものだったことからも知られる。ただ彼らがユーラシア大陸の周辺地帯を永続的に支配できなかったのは、つまるところ当時その人的資源が相対的に少なかったことによるものである。


 マッキンダー理論の背景 (根拠) が書かれています。



 要は、ヨーロッパの歴史上、ユーラシア大陸に居住する遊牧民族によって攻撃・侵略されることが多かったので、それに対抗するためにヨーロッパの文明は発達してきた、ということだと思われます。つまり、

   ヨーロッパ (西欧) 人は、遊牧民族が怖かった

ということになります。



 これだけでは話がわかりにくいので、以下、「私の」理解を記します (私の誤解かもしれません。その場合には、誰か教えてください) 。



 地理的にみて、ヨーロッパはユーラシア大陸の端っこにある「半島」です。したがって、

 遊牧民族 (大陸内部) からヨーロッパ (半島) に進攻する場合、侵攻されるヨーロッパにしてみれば、「逃げる場所がない」ということになります。どんどんどんどん、半島の先っぽへと、追い詰められるかたちになります。もちろん、海へと逃げる手もありますが、侵略に弱く、占領されやすいことは、たしかです。

 逆に、ヨーロッパ (半島) からユーラシア大陸に進攻する場合、侵攻される遊牧民族にしてみれば、「どこまでも逃げればよい」ということになります。大陸は広いですから、奥へと奥へと逃げればよいのです。これを侵略者の側からみれば、「どこまで進撃してもキリがない」ということになります。そこで、適当なところで進撃をやめなければならないのですが、敵 (大陸側) の軍隊を殲滅しないかぎりは、

   たんに戦線 (前線) が拡大するばかりで、占領地の防衛が大変

です。遊牧民族側は隙をみて、侵略軍 (ヨーロッパ軍) を攻撃すればよいのです。



 つまり、

   大陸に広大な国土を持つ国家が存在する場合、
       その国家を侵略するのは非常に難しいが、

   大陸側からヨーロッパ (半島) を侵略するのは、比較的たやすい、

ということになります。そこで、

   ユーラシア大陸を制する者が、世界を制する、
   したがってユーラシア大陸を制覇する国家の出現を阻止しなければならない、

というマッキンダーの理論が導かれるのだと思います (「地政学の概要」参照 ) 。