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ゆめと心理と占いのはなし
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 Rosalia de Castro

伊良部秀輝

2011-07-29 13:31:00 | El mundo de futbol
伊良部秀輝がロスの自宅で亡くなった。ロッテ、ヤンキース、エキスポズ、レンジャーズ、阪神と渡り歩いた速球王が力尽きた。享年42歳。ここ何年か、妻子と別居して単身生活をしていたらしい。97年に渡米を決意し、「ヤンキースでなければイヤ!」と球団ともめにもめて、ロッテに独占交渉権を与えられたパドレスから三角トレードでヤンキース入りを果たした。

95年にドジャーズ移籍を決めた野茂が、まず近鉄を自由契約(クビ)にしてもらってからドジャーズキャンプ参加という経緯を辿ったのとはかなり違うけど、この2人の勇気ある行動こそが、その後の日本人選手のアメリカ球界流出のきっかけになったことは間違いない。現行のポスティング制度ができたのは「伊良部事件」の翌年だった。

伊良部は現役時代も引退後もマスコミの前にはほとんど姿を現さず、野茂のような人気とは程遠く、ヒールに徹していた。でも、野球仲間の先輩、後輩からは「いい人」「繊細な人」「本当に野球が好きな人」とえらく評判が良かった。アメリカでクビになると、帰国して03年から2シーズン阪神で投げ、09年には「また野球がやりたくて」と言って、半年間、米独立リーグで投げた。帰国後は四国・九州アイランドリーグの高知ファイティングドッグスで月給16万円で契約し、2試合投げた。執念というべきか、それとも気持ちが空回りし始めたというべきか…。

彼の人生の転機には、飲酒と病気があった。飲酒運転での逮捕やスナックの暴力事件があったし、アメリカ球界を去る直接的な原因になったのは繰り返す肺血栓だったという。ぼくは伊良部の試合を余り見ていないし、本も書かれていないから本当の彼の人となりはわからない。ただテレビで見た、彼がロッテ時代の先輩・牛島と話していたときの笑顔が印象に残っている。あんなきれいな笑顔を見せる男ってそういない。彼は沖縄生まれの兵庫育ちで、父親はアメリカ人だった。ヤンキース移籍にこだわったのは、父親がヤンキースファンで、晴れ舞台での父親との再会を夢見てのことだったのかもしれない。

果たしてその再会は実現したのか。「父親」という穴ぼこをアメリカで果たして埋めることができたのか。身長193cm、スタイン・ブレナーから「太ったヒキガエル」と酷評された大男の、柔らかなうぶ毛に包まれた内面を、一度垣間見たかった。合掌。

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