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ゆめと心理と占いのはなし
Por donde, amor, he de ir?
 Rosalia de Castro

ファイト・クラブのシーンをよく思い出す今日この頃

2015-01-07 02:36:44 | 日記

ブラッド・ピットの最高傑作(←勝手にこう思っている)の『ファイト・クラブ』のシーンがよく思い出される今日この頃だ。

スポーツジムではアイテムが何か、インストラクターが誰かによってスタジオのプログラムに参加する、しないを決めるのが普通なんだけど、ときどき誰がクラスに出てるから行く、行かないを決めている女性会員を見かける。この人たちは、ぼくの知る限りでは、つねに最前列を陣取り、決まった仲間と固まっている。『ファイト・クラブ』では、不眠に悩む主人公が医師から勧められて自助グループに参加するシーンがあって、その中に、どう見ても深刻な病気じゃないっていった感じの彼女から「○○はあたしので、××はあなたにあげるわ」と、同じグループで出くわさないようグループを割り振られる場面があった。ジムでは面と向かってこんな取引はないけど、互いに密かに観察しあいながら、それぞれがそのスタジオで“女王”になれるように調整し合っている様子がなきにしもあらずだ。

それに、『ファイト・クラブ』では名前も社会的地位も匿名化した秘密のグループがやがてテロリスト集団に変貌していくけど、イスラム国やボコハラムの勢力拡大の様子を知るにつれ、『ファイト・クラブ』で描写された世界が現実になってきているような気がしないでもない。世界のグローバリズムと格差の拡大が、さまざまな立場の人間の欲望を極大化したり、弱者を極限まで追い詰めていたりする。そして、なぜか映画でも現実でもテロリスト集団はつねに「黒」をまとい、彼らの砂漠での訓練の様子などをニュースで見ていると、映画の中に描かれていた私的生活の中で自己欲求を削り取っていくメンバーたちの“修行層”のような姿とダブってくる。これは、社会を一人の人間としたとき、その意識の深層で散り散りになったパーソナリティたちといえるのか。

映画の結末では、大掛かりな爆弾テロを企むタイラーとそれを食い止めようとする主人公が同一人物の解離したパーソナリティだったというタネあかしある。そして、主人公がタイラーを殺すことで何か重苦しいものから解放されても、「タイラー」たちが仕掛けた爆弾は次々と高層ビルを炎に包んでいってしまう。初めてこの映画を観たとき、人間は欲望を抑えきれずにやがて地球を滅ぼしていってしまうというメッセージなのだと理解したんだけど、その思いはつのるばかりだ。


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