11月15日 国際報道2017
2024年には人口が中国を抜いて世界一になる見通しのインド。
子どもの数も急増していて
学校不足による教育の質の低下が課題となっている。
インドの典型的な公立の中学校。
肩を寄せ合って授業を受ける生徒たち。
生徒が多すぎて教師の目が行き届かず
授業の質の低下が課題となっている。
こうしたなか教育界で注目を集めているのが動画配信のアプリを使った授業である。
動画は講師の授業をCGなどと組み合わせているのが特徴で
インド国内で1,200万人の子どもたちが利用している。
(利用している生徒)
「グラフィックスを使って説明してくれるのでわかりやすいよ。」
世界中からIT企業が集まるインド南部の都市ベンガル―ル。
授業のアプリを作っているのはここに本社を構えるITベンチャー「バイジュース」。
8年前 大学の試験対策の動画を制作したのが始まりで
今では小中学生の授業を1,700の都市で配信するようになった。
授業の動画は各教科の教育関係者やアニメーターなどのチームで制作。
学校での予習や復習に合うよう
学校のカリキュラムに沿ってテーマを決めていく。
講師の動きやCGの挿入部分など入念に構成を決めたあと授業を撮影。
そこにCGやより臨場感のある映像を加えよりリアルに加工していく。
こうして完成した授業が子どもたちをひきつけているのである。
(講師 アビナシュ・アナンどさん)
「動画は子どもたちの理解を促すのに最適です。
3次元のアニメーションで見せられるからです。」
去年から授業アプリの配信を受けているマナウ君(13)。
放課後は授業に代わってスマホの授業が日課になった。
この授業の配信を受けるようになって学校の成績は常に上位につけている。
(マナウ君)
「このアプリを使うことで新しい知識も得られて
勉強が以前より楽しくなりました。」
子どもたちを魅了するテクノロジーを駆使した新たなオンライン教育。
インドの教育の向上に大きな役割を果たしそうである。
このサービスは海外からも注目されていて
フェイスブックのザッカーバーグ氏も出資している。
11月15日 おはよう日本
修学旅行(高校)の行先ベスト3は
3位 京都
2位 東京
1位 沖縄
沖縄は13年連続1位になっている。
沖縄の修学旅行では「ひめゆりの塔」など沖縄戦の戦跡をめぐるのが定番だが
沖縄が抱える今の問題にも向き合う修学旅行が
全国の学校や教育委員会から注目されている。
年間45万人もの修学旅行生が訪れる沖縄。
この日東京の文京区にある高校の生徒たちがやって来た。
まず向かったのは沖縄戦で大きな被害を受けた場所である。
(語り部)
「兵隊にピストルで撃たれて死にます 小さい子どもが。
誰も声をあげることができなかったそうです。」
語り部の話を聞きながら
当時住民や日本兵の隠れ場所だった「がま」と言われる洞窟を見て回る。
さらにこの修学旅行
いまの沖縄にも目を向ける。
訪れたのは普天間基地。
ここで基地問題について学ぶ。
地元の学生ガイドの話の途中 轟音が響き渡る。
生徒たちの頭上をアメリカ軍の輸送機オスプレイが通り過ぎていった。
「もっと大きな飛行機・輸送機が飛ぶんです。」
この修学旅行を企画したのは地元沖縄出身の国仲瞬さん(24)。
戦争で亡くなった人たちの名前が刻まれた「平和の礎(いしじ)」。
ここに国仲さんのひいおじいさんの名前もある。
沖縄戦の話を聞いて育ち
大学時代は戦跡巡りのガイドもしていた国仲さん。
活動を続けるなかで
戦争の歴史だけでなく
今の沖縄の問題についても伝えるべきだと思うようになった。
そこで国仲さんは大学在学中だった3年前に沖縄の修学旅行をプロデュースする会社を起ち上げた。
沖縄を訪れる全国の若者たちに
修学旅行をきっかけに基地問題を知ってもらおうと考えたのである。
(「がちゆん」社長 国仲瞬さん)
「沖縄だけの固有の課題ではなくて
これは日本全体の話だと思っている。
思っているからこそ伝えたい。
基地問題が学べるタイミングを作り出してあげることが大事で
一生に一度かもしれないからこそ修学旅行でやらないといけないと思っています。」
国仲さんが企画した修学旅行では基地を見た後 地元の博物館に向かう。
見せるのは宜野湾市全体の模型。
市の中心部に広大な普天間基地があることが一目でわかる。
この模型を見て何を感じるのか生徒たちに聞いていく。
ふだんはあまり考えない基地周辺の生活を想像してもらうのが目的である。
(ガイド)
「宜野湾市の街に米軍基地がある影響を考えてほしいです。
街のど真ん中にあることでどんな影響があるか。」
(生徒)
「例えば基地のこっち側にいるときに街を突っ切れないとかあると思います。」
(ガイド)
「いい視点ありがとうございます。
消防署とか本当は大きい道が通ってるところにあったりします。
ただ宜野湾市の場合は真ん中に米軍基地がありますので
消防署は3つに分かれています。」
その後生徒たちが訪れたのは地元の大学。
ここで行ったのは基地問題にはさまざまな意見があることを実感させるプログラムである。
基地に関する意見が書かれたカードを使う。
「抑止力のためにアメリカ軍は必要だ」という意見。
「生まれた時から基地があるので基地があるのが当たり前」という地元住民の意見。
まずはさまざまな意見が書かれたカードから自分の意見に一番近いカードを選んでもらう。
(ガイド)
「あなたに一番関わるカードはどれですか?」
多くの生徒が選んだのは
「自宅近くに基地が無いためメリットもデメリットも分からない」という意見である。
「日本の安全のためには基地が必要だ」というカードを選んだ生徒も多くいた。
次に基地周辺の住民の立場でカードを選んでもらう。
(ガイド)
「基地周辺で生活する人が訴えていそうなことはどれですか?」
多くの生徒が選んだのは
「ヘリコプターの墜落事故などがあり基地は危険だ」という意見である。
(生徒)
「住宅がいっぱいあるところに落ちて死者がたくさん出ると
やっぱり問題なのかな。」
基地問題はそれぞれの立場によって意見が違い解決が難しい問題であることを学んでいく。
こうしたプログラムを通じて生徒たちはあまり知らなかった基地問題に関心を持ち始めていた。
(生徒)
「基地問題をそんなに深く知ることはなかったと思います。
自分が知っていたこと以上の事を知れたので
来て良かった。」
「漠然と基地があるっていうのは分かってたけど
国の問題だよねっていう感じはしていました。
ここで話を聞いて自分たちも考えることが必要なんだな。」
沖縄の現実を知ってもらう修学旅行。
これにより基地問題が沖縄だけの問題ではないと考える若者たちが増えてほしいと
国仲さんは願っている。
(国仲瞬さん)
「基地問題を知って欲しい。
知ってもらうだけで僕らはすごい一歩踏めたなと思う。
基地問題がしょうがないじゃんという思考停止
しょうがないじゃんっていう人を減らしたい。
その取り組みの1つになればと思います。」
11月15日 おはよう日本
10月15日 オーストラリア アデレード近郊で行われたパレード。
オーストラリア唯一の国際自動車メーカー“ホールデン”が
戦前から続けてきた車の生産を終えるのを前に開催された。
アレックス・ハーバードさん(55)は息子とともに親子2代でホールデンの工場で働いてきた。
人口の増加を背景に国内や国外でも車の需要は伸び続け
会社も自分の生活も安泰だと思っていた。
(ホールデン社の工場で働いていたハーバードさん)
「安定した仕事が得られ
収入も良かった。
この国で人気があるすばらしい車を作っていたから。
ずっと生産が続くと思っていました。」
しかしホールデンは10月 生産を終了。
オーストラリアの人件費の上昇や通貨高などで採算が悪化したためである。
さらに「アジアの自動車工場」と言われるタイをはじめ
各国と自由貿易協定が結ばれ
輸入車が増えたことも追い打ちをかけた。
トヨタやフォードも相次いで工場を閉鎖し
自動車産業で失われる雇用は約20万人にのぼる見通しである。
ハーバードさんの職場でも次々に同僚が去った。
(ハーバードさん)
「このあとの予定はありません。
すべてを見直して
何をしたいか
どの道に進みたいか検討します。」
自動車の生産終了でチャンスを迎えているのが中国の自動車メーカーである。
上海自動車グループの販売店。
車はすべて中国から輸入。
広い国土のオーストラリアで人気のSUV車などに力を入れている。
オーストラリアでは去年
新車の販売台数が過去最高の約118万台。
日本 韓国 アメリカの車が上位を占めるなか
このグループは1%に満たないシェアを大きく増やしていきたい考えである。
中国製の車として今年初めて
オーストラリアの安全基準で最高評価を得たこともアピールしている。
(上海自動車の現地法人 担当者 レナ―ティック氏)
「競争は激しいが車の需要が多く
事業を拡大する機会が多い市場。
客の期待に応え
需要にあった車を持ってくることに尽きると思う。」
車の生産が終了し
輸入市場にに切り替わったオーストラリア。
新興の中国メーカーも交えて新たなシェア争いが始まっている。
11月15日 おはよう日本
2020年の東京オリンピックに向けて工事が進む新国立競技場。
前回1964年の東京大会で旧国立競技場のトラックを手掛けた企業が
再びオリンピックの舞台を目指している。
前回の東京オリンピックの舞台となった旧国立競技場。
そのトラックを作ったのは競技場の舗装を手掛ける大阪の企業だった。
奥アンツーカ 奥眞澄顧問(85)。
当時トラック開発の責任者で
選手側からは
記録を伸ばすため固いトラックを作るよう求められたという。
(奥眞澄顧問)
「選手が力を出して走ろうと思ってもトラックが崩れるようでは記録が出ない。
とにかく固くしてくれ
非常なまでに固くしてくれと。」
当時の素材は焼いた土を砕いたアンツーカ。
水はけがよく競技場に多く使われていた。
それに特殊な材料を混ぜローラーで目いっぱい踏み固めた。
構想から2年半でトラックが完成。
競技場としては例を見ない固さに仕上がった。
本番では11個の世界記録が誕生。
トラックは国内外で最高の評価を得て
日本の技術力の高さを示した。
現在開発を担当する森石清さん。
約半世紀ぶりにオリンピックのトラックを手掛けようと意欲を燃やしている。
時代とともに舗装材の主流派ポリウレタンなどの合成素材に変わり
固さに加えて選手のけがを防ぐクッション性も求められている。
2020年の東京オリンピックに向けて開発した製品。
素材はプリウレタンで
空気の泡をまんべんなく取り込んだことがポイントである。
20キロの重りを落としても凹みはわずか数ミリという固さ。
その一方で泡が衝撃を吸収し
足への負担を大幅に減らす。
2020年をにらみこの製品を千葉にある大学の陸上トラックに使用。
記録が伸びたうえケガも減ったといい
選手からの評判も上々である。
(順天堂大 北川貴理選手)
「走っていてもちゃんと反発もありますし
すごく練習しやすい。」
森石さんはより記録が出やすいようトラックの固さをさらに改良していくことにしている。
(森石清技術部長)
「先輩から受け継いできた技術を肥やしにして
2020年 新たな技術を持ってチャレンジしていきたい。」
工事が進む新国立競技場。
森石さんたちは53年前に得た自信と誇りを胸に挑む。
新国立競技場は再来年の感性を目指している。
森石さんたちの企業はトラックの施工業者に立候補している。
11月14日「おはよう日本
Jリーグ加入5年目でJ1初昇格を決めたV・ファーレン長崎。
この快挙を感慨深く見つめる
地元長崎県出身でクラブ社長の高田明さん(69)。
(V・ファーレン長崎社長 高田明さん)
「たくさんの皆さんの力の結晶がJ1をもたらしたと思っております。」
高田さんが社長に就任したのは今シーズン。
昨シーズンは15位と振るわず
ホームゲームの平均観客動員数はJ2でも下位の4,625人だった。
高田さんはふるさと長崎のために
苦境にあえぐクラブの再建に自ら名乗りを上げた。
(V・ファーレン長崎社長 高田明さん)
「寝ても覚めてもサッカーがどうなるか心配と
子どもたちが思うような
そういう県民のV・ファーレン長崎にできたらいいなと思います。」
高田さんが30年に及ぶ企業経営で大事にしてきたのは
企業と地域の人たちは“ファミリー”だという哲学。
そのためたとえ試合翌日でも選手や監督を街に連れ出し
住民たちと触れ合うことから始めた。
得意分野のテレビも活用。
選手の思いや人柄を親しみやすい形で届ける。
選手がどういう方かすごく知りたがる。
結婚してる?
「はい。」
「しています。」
「していないです。」
独身?
チャンス チャンス
独身ですって。
「独身で~す。」
また自らもテレビCMに出演し
来場を呼び掛けた。
「皆さんの力でJ1を勝ち取りましょう。」
観客動員数は右肩上がりに上昇。
その声援に応えたいと選手たちは奮起し
勝利を重ねていった。
そして11月11日 J1昇格がかかったホーム最終戦。
スタンドは多くのサポーターで埋め尽くされた。
クラブ史上最高となる2万2,407人が応援に駆け付けた。
そしてV・ファーレン長崎はJ1昇格の夢をかなえた。
(V・ファーレン長崎 村上佑介選手)
「みんなでかなえた夢です。」
(V・ファーレン長崎 高田明社長)
「これでひとつの目的を達成できた。
次はJ1でどう戦っていくか
その方向に向かって
時は動いていますから
頑張っていきたいと思います。」
12月6日 編集手帳
菊池寛は将棋に熱中したことでも知られる。
腕にも自信があったらしい。
『将棋』と題する随筆に心得を並べている。
<怒つてはならない、
ひるんではいけない、
あせつてはいけない。
あんまり勝たんとしてはいけない。
自分の棋力だけのものは、
必ず現すと云ふ覚悟で、
悠々として盤面に向ふべきである>
例えばだれ?と問われれば、
羽生善治棋聖(47)をあげる将棋ファンは多かろう。
どこか淡々として気迫を表に出すわけではない。
きのうは将棋界の特別な一日となった。
竜王戦で羽生棋聖が竜王位を奪い返し、
史上初の永世七冠を達成した。
19歳で初タイトルの竜王位を獲得した頃の、
あどけない「はぶくん」を思い出す。
髪にちょっと寝癖がついていたりして、
女性ファンも多かった。
おごることなく将棋道を追究した結果だろう。
大山康晴、
中原誠にして永世称号は五冠にとどまる。
快挙というほかはない。
それにしても、
明るい話題の多い将棋界である。
知らない者同士が対戦できるネット将棋が普及し、
海外にも人気は広がりつつあると聞く。
永世七冠の名もたちまち横文字で知られることになろう。
12月3日 編集手帳
米アップルのコンピューターが日本に初めて入ったのは、
ちょうど40年前だという。
持ち込んだのは、
小さな企業を営む技術者と、
夏休みを使って渡米に同行した知人の会社員だ。
製品の設計思想の美しさにほれ込む人がいれば、
国内での事業成長を夢見る人もいた。
今は世界屈指の大企業も、
日本での普及初期には多くの個人が関わっていたと、
斎藤由多加著『林檎の樹の下で』(光文社)は紹介する。
今、
同様のエネルギーを感じるのは、
宇宙に挑む新興企業だ。
試練も多い。
宇宙空間に散らばる宇宙ごみの除去を目指すアストロスケール社の人工衛星は、
これを載せたロシアのロケットの通信が先週の打ち上げ後に途絶えたままだ。
小型で安価なロケットの製造と打ち上げをねらう別の企業も今夏、
北海道での発射実験に失敗した。
だが、
挫折は覚悟の上であることを、
関係者の取材では感じる。
同書に登場し、
大学で教べんも執るPR会社の井之上喬会長は「起業精神を持つ若者は今も多い」と話し、
若い人にもっと機会をと訴える。
過去を懐かしむのではなく、
今にいかす処方箋を探しているか。
自問する。
11月14日 おはよう日本
都内で行われたオーケストラのコンサート。
演奏されたのは「ドラえもん」をはじめとしたアニメの音楽である。
いまこうしたアニメ音楽のコンサートが
大人になった昭和の子どもたちの人気を集めている。
(観客)
「最高です。
泣きました。
人生の応援かなので。」
「子どものころからずっと好きだったアニメの曲が生で聴けるなんて
一生ないと思っていたのですごく感動しました。」
これらの音楽は実はすべて1人の作曲家が手掛けたものである。
昭和のアニメ音楽界を代表する1人
作曲家の菊池俊輔さん。
「バビル2世」1973年放映
「♪超能力少年 バビル2世
ロデムという黒ヒョウがいて
覚えています。
「Dr.スランプ アラレちゃん」1981~1986放映
「ドクタースランプですね。
アラレちゃんの曲です。
子どもの頃の記憶と一緒になっておぼえている。」
作曲家の菊池俊輔さん。
「仮面ライダー」1971~1973年放映
激しいブラスで始まる「仮面ライダー」の主題歌など
リズミカルで疾走感のある音楽が菊池さんの特徴である。
「タイガーマスク」1969~1971年放映
一方でバラードなど心にしみるメロディも得意で
アニメや特撮の主題歌やBGMを1,000曲以上作曲している。
曲の知名度の高さは海外でも。
(カナダ)
「ドラゴンボール!」
(アメリカ)
「ドラえもん。」
♪こんなこといいな できたらいいな
あんなゆめ こんなゆめ いっぱいあるけど
JASRACが毎年発表している海外での音楽使用料ランキング。
菊池さんのアニメ音楽は過去30年余で7回1位になっている。
11月で86歳になった菊池さんは現在 病気療養中のため作曲活動を休んでいるが
その音楽はいまも愛され続けている。
菊池さんのアニメ音楽をオーケストラで演奏する初めてのコンサート。
リハーサルが行われた。
30代が中心のプロのオーケストラ。
演奏者にとってクラシック音楽と違う新たな魅力があると言う。
(ビオラ 伊藤春香さん)
「映像もいろいろ浮かんできて
楽しいしワクワクする感じ。」
(トロンボーン 山本靖之さん)
「どっちかというとトロンボーンは“押さえろ”“静かに”と言われることが多いので
思いっきり吹けるというのは
確かにちょっと魅力かもしれない。」
「どらえもん」で使われるユニークな効果音も楽器で巧みに表現している。
なぜアニメ音楽が人々をひきつけるのか。
コンサートを企画した音楽プロデューサーの西耕一さん。
昭和のアニメや特撮の音楽は
当時オーケストラの生演奏を録音して作られていた。
ロックやジャズなどその時代の最先端の音楽が組み込まれ
日本独自に発展していったという。
(アニメ音楽のコンサート企画 音楽プロデューサー 西耕一さん)
「普通のクラシックにはないような
ありとあらゆる音楽を吸収して作っている。
実はあのアニメの音楽は本当に素晴らしかったんじゃないか。」
さらに作曲家たちもそれぞれ独自の工夫を凝らしてきた。
「マジンガーZ]など数々の人気アニメの音楽を手掛けた
作曲家 渡辺宙明さん(92)。
菊池さんと並ぶアニメ音楽の巨匠である。
メロディーラインにある日本の伝統音楽を取り入れたという。
(作曲家 渡辺宙明さん)
「日本人には日本人の音階があるんだと。
それは民謡音階とロックのラドレミソラシ。
こうやってバックでやるとね
音は民謡の音と同じだけど
それをロックのリズムに乗っけちゃうとかっこよくなる。
民謡特有の音階
それを「マジンガーZ]にも取り入れていたと言う。
そしてもう1つ大切にしているのが
(作曲家 渡辺宙明さん)
「私の場合
子どもだからといって子どもっぽくしない気持ちは持って
大人も子どもも楽しめるようにということは
ある意味で長続きするんじゃないかと思う。」
しかしこうした作曲家たちは
音楽雑誌がまとめた作曲家リストには名前も載らず
日陰の存在だった。
きちんと光を当てたいと西さんはコンサートを企画したのである。
(アニメ音楽のコンサート企画 音楽プロデューサー 西耕一さん)
「アニメの作曲家が載っていないことに
私はすごくおかしいと言ったらあれですが
違和感も感じて。
オーケストラで日本のアニメ音楽を演奏することが誇りになっている。
そういう時代が来ればいいと。」
今回 西さんが手掛ける菊池俊輔さんのコンサート。
アニメのBGMは1曲1曲が短いため
20分近い組曲に編曲する。
編曲作業を行うなかでアニメ音楽の魅力を再発見した人がいる。
「ドラえもん組曲」を担当した東京芸術大学音楽部の木下紀子さんである。
木下さんは数多くのBGMに
主題歌のメロディーが巧みにアレンジされて使われていることに気づいた。
(木下紀子さん)
「♪こんなこといいな の部分
歌いだしの音型とモチーフが。」
聞けばすぐに作品が思い浮かぶ。
そんな工夫が凝らされていたのである。
(木下紀子さん)
「同じモチーフを使うことで作品の中で統一感を持たせている。」
「同じメロディーを重ねることでより印象をつけると。」
そして11月11日 菊池俊輔音楽祭当日。
大人になった昭和の子どもたち400人が集まった。
「Dr.スランプ アラレちゃん」
木下さんが編曲した「ドラえもん組曲」
「バビル2世」
最後はお客さんも一緒に大合唱。
♪砂のあらしに隠された
バビルの塔に住んでいる
超能力少年 バビル2世
地球の平和を守るため
三つのしもべに命令だ
11月13日 国際報道2017
ベートーベンの手書きの楽譜
第二次世界大戦の迫害の悲劇をつづった「アンネの日記」。
こうした世界各地に伝わる貴重な資料を
“人類の財産”として保護する目的で始まった事業が
ユネスコの「世界の記憶」である。
その世界の記憶として新たに朝鮮通信使の関連資料が登録された。
朝鮮通信使は
現在の韓国南部 釜山から長崎県の対馬を渡って江戸に入り
友好の証として朝鮮王朝からの“国書”と呼ばれる外交文書を幕府に渡した外交使節団である。
当時 鎖国していた日本と文化的交流も行った。
今回ユネスコはこの朝鮮通信使が
豊臣秀吉の朝鮮侵略によって途絶えていた両国の外交関係の回復や
平和的な関係の維持に貢献したとして
「世界の記憶」への登録を決めた。
しかし朝鮮通信使をめぐってはさまざまな解釈がある。
両国の関係は対等だったという考え方
朝鮮王朝が日本に貢ぎもものを献上する「朝貢」のための使節だったという考え方や
朝鮮側の進んだ文化を幕府側が求めたため派遣されたものだという考え方もある。
そのため日本と韓国の民間団体がユネスコに共同で登録の申請を行うまでには
解釈の違いをふまえて議論する必要があった。
長崎県の対馬で毎年行われる朝鮮通信使の再現行列。
日本だけでなく韓国からも多くの人が参加。
今こうした催しは通信使ゆかりの各地に広がりを見せている。
今回の登録を申請した日本側の代表で対馬の歴史を調べてきた松原一征さんと
韓国釜山に住む元大学教授のカン・ナムジュさん。
2人は通信使の歴史を学ぶ活動をするなか23年前に知り合った。
(日本側代表 松原一征さん)
「大変親しい大先輩です。」
(韓国側代表 カン・ナムジュさん)
「松原さんは朝鮮通信使に関する恩師です。」
2人が「世界の記憶」への登録を目指したのは3年前
日韓関係が冷えこむなか
朝鮮通信使が外交を通じて平和構築と相互理解を促した
両国の貴重な遺産だと考えたのである。
(韓国側代表 カン・ナムジュさん)
「朝鮮通信使が往来した200年間は戦争がありませんでした。
これは世界的に例のない平和な時期でした。」
登録を申請するため両国の歴史研究者などが集まり会議を開いたが
議論は最初から紛糾した。
朝鮮通信使が幕府に渡した外交文書「国書」
日本側が登録したいと提案したところ韓国側が難色を示した。
通常 両国の関係が対等であれば
「国書」への回答となる「返書」が送られる。
しかし幕府からの返書が残っていないことから
韓国側が
“朝鮮王朝が従属的な立場だったと評価されかねない”と危惧したのである。
(韓国側委員)
「これは見方によっては朝鮮側が貢物をしていると見られ
政治的に利用されるおそれもある。」
(日本側代表 松原一征さん)
「日本側とすれば国書は出すべきです。
そうしないと外交使節とは表せません。」
日本側の主張を受けてカンさんは資料を調べ直すことにした。
その結果
“朝鮮王朝の記録に幕府からの返書があったことが記されている”と
韓国の専門家から指摘を受けた。
(ハンリム大学 イ・フン教授)
「通信使は韓国でもあまり深く研究されていません。
“朝貢使”という先入観に韓国側がとらわれていたからです。」
カンさんは
“返書の存在を示す資料が両国が対等な関係だったことの証明”だと
韓国側のメンバーを説得した。
(韓国側代表 カン・ナムジュさん)
「調べてみるとどちらが上か下かではなく
“対等”の概念で登録しても問題ないと判断しました。」
一方 韓国側が譲らない問題もあった。
日本側が提案した対馬藩主の宗義智の肖像画である。
宗義智は豊臣秀吉の朝鮮侵略後の講和の交渉にあたった人物で
日本側は“この人物なしに通信使の派遣はなかった”として
肖像画の登録申請を強く求めた。
しかし韓国側は“宗義智は朝鮮侵略の先兵に立った武将だ”として猛反発したのである。
(日本側委員)
「宗義智の功罪をしっかり申請書に盛り込む形でも難しいものか?」
(韓国側委員)
「日韓の政治はいま行き詰っている。
この状態で民間レベルの事業に
肖像画の問題まで出れば
火に油を注ぐ結果になる。」
話し合いを続けた結果
日本側は肖像画の申請を断念することに決めた。
(日本側代表 松原一征さん)
「これによって
対馬の1つの物件によって申請が停滞したり
だめになったりすることは
私の責任として避けなければなりません。」
双方が歩み寄ることで申請した結果
「世界の記憶」への登録が実現した。
(韓国側代表 カン・ナムジュさん)
「朝鮮通信使の基本精神は両国がお互いに譲り合うことでした。
お互い譲り合う精神が登録を成功させたのです。」
(日本側代表)
「もっと両国民が深く認識し合う
理解し合う活動を進めなければなりません。」
4月13日 おはよう日本
大晦日に家々の幸せをもたらす男鹿のなまはげ。
各地で担い手不足によって存続が危ぶまれている。
男鹿市と市民団体は
去年まで2年間かけ全ての町内会を対象になまはげの実態調査を行った。
調査を行った男鹿市菅江真澄研究会の天野荘平会長。
5年前になまはげを休止した大倉集落を訪ねた。
当時の集落の会長 吉田巌さんは
担い手が少ないため70歳を過ぎてもお面をかぶっていたが
存続を断念することを決めた。
(大倉集落 吉田巌さん)
「非常に残念で本当に
私の時代でストップしたということは非常に心苦しいです。
先輩方に対しても。」
7月 天野さんはなまはげに携わる人たちを集めて調査結果を報告した。
男鹿市に148ある町内会。
もともとなまはげがない14を除き
134の町内で行われていた。
このうち昭和の間に途絶えたり休止したりしたのは15、
平成になってからの休止は35と
休止が増えていることが明らかになった。
存続しているのは84町内に減っている。
集まった人たちからも担い手不足に悩む声が続々と上がった。
「実家に戻らなかったり
いろいろ予定が入っていたり
なかなか大晦日に参加できない場合がある。」
「中学生も引っ張ってやっているけど
中学生も1人とかしかいなかったりする。」
担い手が減る中どうやってなまはげを存続させるか。
まずは集落内でよく話し合ってほしいと
天野さんは呼びかけた。
(実態調査を行った天野荘平さん)
「若者がいなくなった現在やっぱりどういう風にするかっていうのは
高齢者に負担はいくんですけども
どうしてもやっぱり若者がいないと諦めないで
やはり話し合いを持ってもらいたい。」
話し合いを持ちなまはげを復活させた集落も出ている。
田谷沢集落では25年ほどの中断を経て
一昨年なまはげを復活させた。
(なまはげ復活を提案 板橋純一さん(37))
「小さいころから
なまはげ途絶えてからも
いつかはなまはげをやりたいとずっと思っていたから
けっこううれしかった。」
復活できた理由の1つが
若い世代が復活を提案したことだった。
もう1つは子どもを怖がらせることにこだわらなかったことである。
お年寄りだけで暮らす家が増えるなか
なまはげが1軒1軒訪問することに意味があったと感じている。
(板橋純一さん)
「健康面を気にしてやったり
『元気だったか』ってそういうので顔も見られるし
1人暮らしの人もいるので。」
(田谷沢集落町内会長 吉田勇之助さん(80))
「ようやく なまはげをやって正月を迎えると
この節目ができたなという気分でしたね。」
天野さんは
“なまはげは家々に幸せをもたらす行事だという原点に返ることが重要”と考えている。
(天野荘平さん)
「子どもたちがいなくても
やっぱり爺さんばあさんの家でも歓迎してくれる。
そうすると別に子どもを追い回すとかそういう行事ではないことがわかる。
何百年も続いてきたこと
なぜ続いてきたかを考える必要があるのではないかと思う。」
11月11日 経済フロントライン
神奈川県にあるお菓子の卸売業者の物流倉庫。
仕分けの際に欠かせないのが出荷先を印刷したラベル。
しかし大きな課題があった。
プリンターを一定量使用すると
印字するプリントヘッドなど部品が消耗し印刷ができなくなるのである。
メーカーが交換するまでは出荷も止まっていた。
(山星屋 情報システム部 吉田翼さん)
「出荷が止まると流通業の基本である顧客への納品が遅れる。
時間内に届けられないというような信用低下にもつながる。」
ラベルのプリンターを生産しているメーカーでは
この問題に対応するためにインターネットを活用した新たなサービスを始めた。
プリンターの使用頻度など離れた場所から見守る。
数値が100に近づくと交換のサイン。
担当者が現場に向かう仕組みである。
(サトーホールディングス 松山一雄社長兼CEO)
「顧客がたぶん求めているのは24時間365日止まらないプリンター。
私たちのエンジニアが顧客の現場に常駐しているような環境をつくれば
それがいいサービスになるのではないか。」
プリンターを遠隔で見守るシステムを導入したことで
顧客だけでなくメーカーの側にもメリットが生じている。
プリンターが止まる前に交換にまわることで
トラブルが起きて突然顧客に呼び出される回数が以前の4分の1に減少した。
メーカーではこのシステムを顧客全体に広げて効率化を進め
2020年までにエンジニアが保守に架ける時間を3割削減する計画である。
その空いた時間でプリンター以外のオフィスの困りごとを発見し
新たなサービスを提案していいたいと考えている。
(サトーホールディングス 松山一雄社長兼CEO)
「顧客に何か新たな価値を生めれば
次の一手としておもしろい。
現場を進化させるためにパートナーになるというような
本来あるところにいける。」
11月11日 経済フロントライン
最新の技術を活用し顧客との関係を長く続けていこうというメーカー。
大手寝具メーカーでは今年3月から“ねむり”についてアドバイスを行うサービスを始めた。
都内に住む会社員の松宮弘樹さん。
寝てもなかなか疲れが取れないと相談に訪れた。
(スタッフ)
「1週間つけていただいた活動量計をお借りしてもよろしいですか?」
松宮さんが手渡したのは
24時間 体の向きや動きを記録するセンサーである。
データはAIが医療機関のビッグデータと照合し
専門のスタッフが分析してくれる。
(スタッフ)
「寝返りが少なめなのが気になるポイント。
仰向けが多い。
平均的に6~7時間寝た場合
20~30回寝返りを打てるのが理想的と言われている。」
睡眠のデータを見てみると
約5時間半の睡眠で9回寝返りをしていることがわかった。
寝る姿勢のほとんどが仰向けだということもわかった。
このデータをもとにおすすめの寝具は何かアドバイスを行う。
(スタッフ)
「枕もしっかり高さを合わせると寝返りがしやすくなる。
枕とマットレスのバランスも重要になってくる。」
データの計測とアドバイスにかかる費用は1回1,000円。
これまでに約500人が利用していると言う。
(睡眠の相談に訪れた松宮弘樹さん)
「自分の行動データは日頃見ることができない。
そこは大きい。
購入を考えようかな。
妻の了解を得ないといけない。」
メーカーでは1人1人の睡眠のデータを蓄積し
継続的にアドバイスをすることで
長期間にわたって自社の製品を使い続けてくれることを期待している。
(西川産業 竹内雅彦執行役員)
「寝具という領域から睡眠の環境全体をサポートして
睡眠の質を上げていくビジネスに転換期を迎えている。
寝室環境を整えるさまざまなアイテムの開発につながっていくと
まだまだビジネスは拡大できる。」