11月24日 おはよう日本
1997年1月24日
(山一證券 野澤正平社長(当時))
「これだけは言いたいのは
私らが悪いんであって社員は悪くありませんから。」
当時 四大証券とうたわれた山一証券が自主廃業に追い込まれた。
バブル崩壊による株価の急落。
そして巨額の損失隠しに手を染めていたことが発覚。
不正の果てに破たんしたのである。
あれから20年
神戸製鋼所
日産自動車
東芝
大企業による不祥事は今なお後を絶たない。
破たんした山一証券は明治30年に創業され
当時創業100年を迎えていた。
従業員は約7,500人。
顧客からの預かり資産は約24兆円にのぼっていた。
歴史ある大企業の経営破たんは当時大きな衝撃を与え
日本経済を大きな混乱に陥れた。
11月18日 都内に集まったのはかつて山一證券で働いていた社員たち。
自主廃業から20年という節目の同期会に全国各地から40人が駆けつけた。
20年経った今なお複雑な思いが胸をよぎる。
(元山一証券社員)
「何で俺がこんな大変な目に合わなきゃいけないかなと。」
「破たんした当時
37,38,39歳ぐらいだった。
時の流れは早いな。」
「この場に登場してこない人たちもずいぶん苦労している人もいるのでは。」
会の終わりに歌われたのは山一證券の社歌だった。
当時彼らは突如として職場を失ったのである。
元社員たちはそれぞれの経験を糧に生き抜いてきた。
ソニーフィナンシャルHD 石井茂社長。
生命保険やネット銀行などソニーの金融事業を束ねる会社のトップである。
20年前 石井さんは経営の中枢 企画室の部長だった。
山一証券の破たんは教訓として刻まれていると言う。
(ソニーフィナンシャルHD 石井茂社長)
「失敗の原因は
社会の変化に十分対応しきれていなかったということに尽きる。
あの時も企業によってはバブルの傷を負わずに済んだ企業もたくさんあった。
やっぱり現実を見る力
現実に合わせて行く力だと思う。」
山一証券の破たん後
金融事業への本格進出を検討していたソニーに招かれた石井さん。
インターネットの普及という大きな変化のなか
最先端を目指し
ネット銀行の立ち上げに奔走した。
(ソニーフィナンシャルHD 石井茂社長)
「いろんなチャレンジをして
銀行の限界を超えていくことをしたいと。
1人のお客様のニーズに合ったサービスを提供したい。」
しかしそのネット銀行も次々とライバルが現れいまや乱立状態。
ビットコインをはじめ仮想通貨が急激に広がるなど
金融業界はいま再び変革のうねりにさらされている。
試練を迎えた石井さんは新たな事業を育て活路を開こうとしている。
超高齢化社会の到来を見据え
介護施設の運営に乗り出したのである。
きっかけは生命保険を販売する社員から寄せられた
高齢者が信頼できる介護施設を求めているという声。
(ソニーフィナンシャルHD 石井茂社長)
「引き続き変わり続けないといけない。
先を行くサービスを常に提供し続けないと
私たちは大きな金融機関ではないからどんどん埋没してしまう。」
時代の変化をとらえ
社会のニーズをとらえていく。
山一証券の破たんで得た教訓を常に言い聞かせている。
金融とは全く異なる分野に挑戦した人がいる。
ラーメン店を開業した 齋藤賢治さん。
20年前はシステム開発を担当していた。
不正や経営悪化の実態を社員に隠し続けていたことに強い憤りを感じたという。
(ラーメン店経営 齋藤賢治社長)
「悔しいというか
信頼していた会社に裏切られた気持ちでいっぱい。」
齋藤さんのラーメンは好評を得て
今では首都圏に7店舗を展開するまでになった。
事業が大きくなっていくなかで齋藤さんはあることの大事さに気づいたと言う。
(ラーメン店経営 齋藤賢治社長)
「自分の目の届く範囲から広がりつつあるので
どこまでどういう形で全店を把握できるか。
自分ひとりだと全部自分の中で完結できるけど
僕と同じように
社員として同じ気持ちでやってくれているか
そこが一番不安になる。」
そこで
些細なことでも社員と共有しようと7店舗すべてに定点カメラを設置した。
「見える化です。
絶えず現場で何が行われているか。」
従業員とのコミュニケーションのため店舗に足を運ぶことも欠かさない。
何気ないことでも顔を見て話をしないと信頼関係が築けないと感じているからである。
(従業員)
「社長が来ても緊張しないです。
“自由にのびのびやりなさい”という感覚なので
そのつどアドバイスいただいたり。」
それでも考え方がくい違う場合もある。
従業員ととことん向き合い目指す方向性を常に確認し合う。
山一証券の失敗から得た教訓が店の経営を支えている。
(ラーメン店経営 齋藤賢治社長)
「お客様を支える
従業員を大切にしていきたい。
会社を信じている20名以上の社員が路頭に迷わないために絶えずどうすればいいか
ということを考えなくてはいけないと日々実感している。」
山一証券の破たんは社員の人生だけでなく日本経済に計り知れない打撃を与えた。
金融システムが根底から揺らいだのである。
全国各地で金融機関が次々と破たん。
日本経済は長きにわたる停滞に陥った。
なぜ金融危機を防げなかったのか。
政府日銀の当事者は答えを探し続けている。
元日銀幹部 和田哲郎さん。
当時日銀で金融システムを守る立場にあった。
(元日銀幹部)
「ありえないことが起きたことに大変驚いた。
金融システムがこうなったら大変こわいことが起きるということ。
風化させてはいけない。」
和田さんは金融危機の実態を次の世代に伝えたいと関係者を訪ね歩き
本に書き残そうとしている。
(元大蔵省銀行局長 西村吉正さん)
「正直言って私が担当している頃は
まだ大手の銀行がいろいろと問題あることは分かっていましたよ。
だけど経営破たんに至るまでには何とか自分たちで工夫するだろうと。
行政が十分対応できていなかった。」
当時の検証を通じ和田さんが得た教訓がある。
危機の予兆を見逃してはならない。
あれから20年
金融システムは安定を取り戻した一方
長期化する禁輸緩和でマネーはあふれかえり
国の借金も膨らみ続けている。
日本経済に危うさはないのか。
和田さんは自らに問いかけている。
(元日銀幹部 和田哲郎さん)
「謙虚な気持ちdものを見ていく。
数字であれ
経済の動きであれ
当然のことと思わず
どうしてこうなったか
先行きがどうなるか常に問いただしていく。
予兆が感じられたときに手を打つことが大事。」