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総理の「出る幕」だったかどうか

2011-05-23 13:06:23 | 編集手帳
  5月18日付 編集手帳


  かつての殿様、加藤清正はのちのちも熊本の人々に慕われた。
  芝居でも、清正公が現れると観客の反応が違う。
  明治の頃だろう。
  「忠臣蔵」にも登場したと、扇谷正造『吉川英治氏におそわったこと』(六興出版)にある。

  区切りのいいところで舞台に清正公が登場する。
  ひとことセリフを言って去るのだという。
  「さしたる用もなけれども…」

  何の用があったのか――菅首相が野党から責め立てられている。
  震災翌日に原発を視察した判断をめぐって、である。
  首相は格納容器が破損している可能性を認識していながら、司令本部の官邸を留守にしており、
  「出る幕」だったかどうかは大いに怪しい。

  そういえば、
  政府と東京電力が一体となって原発事故にあたる「対策統合本部」の設置(3月15日)よりも、
  蓮舫行政刷新相に節電啓発担当相を兼務させる人事(同13日)のほうが先というのも、
  ピントがぼけていた。

  拍手がもらえそうならば無理にでも「出る幕」をつくってしまう
  “興行師”のような最高指揮官では困る。
  視察は意義があったと首相は言う。
  「さしたる用もなけれども…」と言うはずもないが。

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