植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

母の日に思う 日本人の優しさと非道

2021年05月09日 | 時事
 今朝は、以前から家内から頼まれていた庭の人工芝張りをいたしました。何十年もの間中庭には芝生がはえ、枯れかけたり、伸びすぎたり、犬が掘り返してはコガネムシを食ったりしていました。代々続く植木屋さんは、この芝生の養生や草取りがひと仕事だったのです。

 しかし、一番大変なのはワイフ、年中草取りをしています。スズメのかたびらやらドクダミ、ブタクサ、カタバミ、ヤブカラシなどもお構いなしに生えてきます。芝生の間から生えるので、すっと抜けず、草刈り鎌などで一掃もできませんし、除草剤も撒けません。一方、吾が愛犬すみれは、ここを駆け回るのではげちょろけになります。そろそろ年まわりからしても草取りはしんどいのです。

 小さな子供がいるでもなし、そもそも芝生は不要、無駄なのです。そこで、人工芝にすこしづつ置き換えて行こうというわけです。以前のワタシなら、いきなり並べて端を抑えるピンを刺して終わりにするところです。それだと、芝や草が生え小石が混ざってでこぼこの土に、人工芝を張ればどうしても表面が波打って、見た目が悪いのです。

 書道で美と空間を追求するようになり、篆刻でコンマ何ミリの世界で過ごすようになると、鏡面のごとく平らでないと気持ちが悪いのであります。レーキと鍬で表面を削り芝・雑草を根ごと除きます。板で表面をガリガリこすって出来るだけ凸凹が無いようにいたします。最後は足で踏み固め手で均しました。あとは、人工芝を止めるだけ。

 今日は母の日、数日前がワイフの誕生日でありました。出来の悪い夫は、妻の誕生日を失念し、母の日では、「アンタに産んでもらったわけではない」とうそぶいておりますが、少しは気になっていたのでちょうどよかったのでした。

 三人の息子は数年前から母の日にはプレゼントを寄こすようになりました。長男はアジサイ、バラ苗を贈ってきました。庭植えのスペースが無いので、鉢に居植えていましたが、今年は予め「花苗は植え場所がない」と断りを入れ、今年は切り花が届きました。次男は毎年サクランボと決めているようです。三男坊は洋菓子でした。歳を取るに従って、ようやく母親の有難味が分かってきたのでしょうか。

 そういえば、先日知り合いのSNSでこんな話がありました。
娘さんが、母の日のプレゼントで、料理を作るのでお母さんにはお出かけ、外食をしてほしい。と言われたそうです。その日のためにお母さんに献立を知られず料理の練習をするためだったのです。いい話ですね。こんな娘さんを育てたお母さんの人柄が偲ばれます。

 先ほど、なじみのカナちゃんの花屋さんに行ったら、それは多くの家族連れのお客が見えていました。特に、小さな子供を連れたお父さん。母の日に、カーネーションを買いに来たのですね。恵方巻やらバレンタインデー、ハローウィンなど商業目的で作られた押しつけがましいメモリアルデーなんかは、どうでもいいことでありますが、こうした母の日のような記念日は是非大切にしたい風習だと思います。

 それにつけても、スリランカ人の外国語教師志望の女性が、日本語学校の授業料を払えなくなりビザ切れで収監されたまま半年監禁、栄養不良などで亡くなった問題。病院で手当てを受けるまでもなく孤独に死んだようです。国の母親や妹たちが悲憤慷慨して日本に来ました。日本人はなんてひどい人種なんだと思っているでしょう。入館の職員たちは不良外人を強制送還することに躍起になっているそうです。彼女の場合は同じスリランカ人のDVに遭い帰国すると殺されるかもしれないことから帰国を拒否していたそうです。売人や不法就労・違法入国・不法滞在など問題を起こす外国人は後を絶ちません。しかし、一方で監視カメラを付けた狭い部屋に押し込められたまま収監中に何十人も亡くなるというのは異常なことに思えます。

 事情があって国に還れない人、母国を追われるように日本に来ている人さまざまな外国人も大勢います。日本は世界的にみても難民認定をしない国で有名です。難民受け入れは世界最低レベルなのです。日本人が持つ優しさや礼儀正しさ、思いやりなどがこうしたことで、世界から批判を浴び誤解されることになりかねないと感じます。

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