篆刻家さんは、注文があって彫る印を「依頼印」と呼ぶようです。
篆刻家の立場からみて、印は初期的には練習で彫り、そのうちに色々な展示会や公募展に応募し、それなりの評価を受けたのちに師匠からお墨付きを貰って篆刻家を名乗るというのが一般的なのです。著名な先生に師事し、公募展では推挙されて受賞するというのは、習い事では「あるある」で、そのためなかなかの「謝礼」も必要なのだと聞きます。
晴れて篆刻家になると、それで生活費を稼ぐために「依頼印」を引き受けるというのが最も重要になるのです。会員として出品するのが「作品」であり、自分で書や日本画を書いて落款などを入れるための「自用印」、これらは自身の特徴を出した芸術性のある入魂の作となるでしょう。しかし、それでは1銭にもならないので、彫って売ることが欠かせません。あの巨匠斉白石先生ですら、晩年は糊口を凌ぐため「売印」を制作したのです。
本日は、先日ヤフオクで入手した印まとめて37個を子細に紹介し、その価値を調べてみようというわけであります。もったいをつけることも無いのでその落札価格を発表いたします。「18,000円」でありました。一個あたり500円(笑)
2個を除いて、印面には彫があり、3セットが姓名印・雅号印(と関防印)という落款用二顆 (三顆 )なので使っていた人の姓名が分かります。花井さんと草野さんとお二方の印なので、この印が一か所から出されたものか複数の出所なのかは不明です。共通するのは半分ほどが一流の篆刻家さんに彫って貰った「依頼印」であることです。ワタシが、この「篆刻印まとめて」をぜひ落札しようと思った最大のポイントが、篆刻家さんを特定できる、印の側面に彫られた「側款」であります。
そこに見つけたのが「七十八 石峯 老夫」の側款でした。これは韓国人の篆刻家、高石峯さんだと確信しました。高先生の側款に全く似通ったものが見つかります。また、その古寿山石の様子や肝心の印面も只ものではない、と感じたのです。高石峯先生は昭和の初期に活躍した篆刻家で、現代書道の父と呼ばれる比田井天来先生に見いだされ、金子鴎亭さん 石田栖湖さんなど一級の書道家と親交があった印人であります。
さらに青田石の頭部に彫られた側款「蔵六」の文字も目につきました。蔵六といえば、江戸時代から明治時代にかけて5代続いた篆刻家の名跡であります。その名前の由来となった初世から伝わる「亀紐」の銅印は国立博物館蔵 という位の凄い人だったようです。
これ以外にも「成軒(辻成軒)」 、「楽園(林楽園)」「香城(植松香城 )」等という篆刻家さんの側款があったのです。また、「輝峰」「鑑海」「翠雨」などという雅号の側款もあり、由来を調べるのが楽しみなのです。こうしたことから、この花井さん・草野さんはかなりのお金持ちで立派な書人、また石に対するこだわりや造詣が深い方であったのだろうと思われるのです。
そこで、今度は石の種類であります。今回の「お宝」の中でも、石印材の本に出てくるようなブランド石が幾つも混じっていたのです。
写真左端は高山坑から出る「晩霞紅」や紅高山で二匹の猿の紐も可愛いのです。次の上下二本は、ワタシが好きな材「連江黄」か鹿目格と見ました。黒い印材は、特級の「楚石「ではなく、「吊耿 (ちょうこう )」かもしれません。うっすらと緑灰色の模様が流れていております。右の2石は、ねっとりとした灰白色で古寿山石の自然形の石です。底面に印泥の油が沁みこんだとおもえる風情が、長年愛用し使いこんだ古印の証でもあります。
そして、この丁寧な細工の草木紐がある二顆です。
一つは「水晶凍」かあるいは「田白」といわれる大変高価な希少石に見えます。「華月春秋」の彫りがある印面を除く全体に細かな細工があり、大変な銘品であろうと思います。
最後が「梅木紐」の大型の印であります。材は「古青田石」と見ました。
赤茶色の裂線のような筋が入り表面には擦り傷の様な細かい線が無数にあり、印面は一度潰したようであります。しかしながら、大変古色豊かで見事な紐は滅多にお目に書かれません。ワタシの収蔵物の中でもこんなのはありません。
ということで、今回の落札した品々は、ワタシのにらんだ通り、本物の素晴らしい逸品ぞろいでありました。金銭価値は分かりませんが、恐らく落札価格からしたらおよそ10倍といったところでしょうか。
これだから印材集めはやめられないのです。