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小島教育研究所

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任天堂山内前社長逝去。享年85歳。中興の祖。ファミコンにより一躍世界有数企業に。

2013-09-20 | 日記

 このところ著名人の訃報が続く。

任天堂の山内さんといえば、花札のメーカーから、ゲーム機、ゲームソフトメーカーに社業を拡張した人だ。

その、販売にあたって、先行のMSX機(アスキーが提唱した8ビット機。10数社が統一規格で販売した、主としてゲーム、ホビー用のパソコン)に対して、その勝算を聞かれた山内社長の一言。「量より質。ゲーム機には良いソフトが必要だ。」MSX機用にはすでに200本以上のゲームソフトが開発販売されていた。本数を絞り、出来上がったのがかのスーパーマリオブラザーズ等の有名ソフトだった。日本国内でも、そしてアメリカ国内でもともに2000万台以上を売り上げ、ファミコンを名実ともに、日米でファミリーコンピュータとしての地位を築いた。このあたりの記事は、今回の訃報でも、マスコミで報道されていないだろう。

以前、本ブログの「コンピュータよもやま話」でも紹介したように、ファミコンの心臓部分はモステクノロジー社の6052であった。かのアップル社がアップルⅡに搭載した、すてきなCPUであった。特徴は、パイプライン処理が得意で、画面制御と音の制御が同時に行え、ゲーム機として使うには、もってこいのCPUだった。しかし、財政基盤の乏しい弱小メーカーのモステクノロジー社では心もとない。そこで、任天堂がとった戦略は、他社にライセンス生産させることだった。その辺をサポートしてくれたのが、株式会社リコーだった。快くライセンス生産をリコーが引き受けてくれたお陰で、CPUは安定供給され、ファミコンの拡販に成功することとなった。

また、大リーグのマリナーズのオーナーとなった背景についても、思いのほか正しく認識されていない。ファミコンの成功で富を得た山内氏は、欧米の流儀を踏襲した。すなわち、社会に何らかの形で利益を還元する。お世話になったお礼を忘れないところに、山内さんのダンディズムを感ずる。イトロー君の加入、そして岩隈投手の加入を通し、米国への感謝の気持ちを著し、球団経営で、実際に米国民に利益を還元していたのだ。そもそも、勝ち逃げは武士道に反するのだ。そのあたりのセンスが抜群に良かった山内さん、有難うございました。どうぞ、やすらかにお眠りください。

 

 


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