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小島教育研究所

教育関連ブログです。数学を筆頭に学問全般に渡る有用な情報を提供致します。
東海生、名高生、半高生に最も読まれています。

君知るや、「人工無能」と「ボスが来た」。楽しかった、月刊アスキーの思い出です。

2012-10-12 | コンピュータよもやま話
その昔、伝説の「月刊アスキー」の、人気付録ソフトがあった。
「人工無能」は「人工知能」のパロディーであり、コンピューターが色々な質問をしてきて、それに応えると次第に知識が増すのだが、「アホ」で「トンチンカン」な質問を連発してくるソフトだった。また「ボスが来た」は仕事用のPCで仕事中、ボスの目を盗んでゲームソフトを行いたい人のための「レジデントソフト」でした。具体的にいうと、仕事画面を予め作成しておき「画面として登録」しておきます。ゲームソフトをやっている時、不意にボスが来たとします。すかさず貴方は「Ctrl+Escキー」を押します。すると、どうでしょう。画面が「仕事画面」にすばやく切り替わってくれました。当時、画面としては「一太郎」とロータス123がもっとも好まれた画面でした。今も昔も、仕事中に他ごとをやりたくなる人は多いのだろうか。
思えば、のんびりした時代でしたね、当時は。



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伝説の会社「アスキー」の伝説。マイクロソフト日本法人立ち上げの頃。

2012-10-12 | コンピュータよもやま話
 パソコンの草創期から業界をリードしてきたパソコン総合誌「アスキー」
一時期、マイクロソフトの極東代理店として、アスキーはマイクロソフトBASIC、MS-DOSの販売権を持っていた。BASIC,DOS,WINDOWSとMSの歩みは、常にアスキーと共にあった。
事実、和彦君はアスキーの副社長でありながら、マイクロソフトの副社長も兼務した時期があった。マイクロソフトがアスキーと袂を分かち、自前の日本法人を立ち上げたとき、社長以下10名は全員アスキーの社員だった。初代社長となったのは、古川氏だっや。記憶に間違いがなければ、NECのパソコンのキーボードにテンキーを付けさせたのは、若き日の古川氏だった。(これは、世界初のことだった。)

よちよち歩きのマイクロソフトの日本法人。営業部長も若かった。当時、私はMSの製品で教室展開を考えていた。ソフトにプロテクトがかかっていると、FD(フロッピーfディスク)がいかれた場合、修理に手間取り、ロスが大きい。出来ればプロテクトを外して欲しい。そんな要望をMS日本法人に伝えた。本国のこともあり即答は得られなかった。しかし、対応は意外と早く、2週間後にはOKが出た。「本国からOKがでました。またパイロットモデルとして、PC本体分のマルチプランの使用許可を無償で提供しましょか。」といった思わぬオファーもいただいた。「ゲーツ君に宜しくお伝えください。」「分かりました。」MS日本法人がビジネス・パートナーとして認めてくれたことがとてもうれしかった。今の若い方には、ぴんと来ないと思いますが、マイクロソフト・エクセルのご先祖様に当たるソフトが、マルチプランという表計算ソフトです。

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