マイクロソフトの副社長をしていたアスキーの西和彦氏は無類のUnix(ユニックス)ファンだった。社内業務も汎用大型機やオフコンを使用せず、ミニコン界の雄DEC(デジタルイクイップメント社)のVAXシリーズを採用していた。日本でのUnixコミュニティーがそろそろ出来つつあるとき、その裾野を広げるべく、雑誌「Unixマガジン」は創刊された。記憶ミスがなければ1984年(?)創刊だった。値段をいくらにするかの議論で、結局780円に収まったという。その根拠とされたのが、アスキーの使用機種名がVAX11/780だったことに起因したと言う。しゃれで、雑誌の値段が決まっていたとは想像も出来なかった。
南青山のアスキー本社の社長室でのこと。社員の開発スケジュールはいつでも社長室の端末で確認でき、会議その他の予定も社内メールで連絡すると言う時代を先駆ける会社であった。今日のコンピュータ文化を創造したのは、このアスキーといっても過言ではない。
南青山のアスキー本社の社長室でのこと。社員の開発スケジュールはいつでも社長室の端末で確認でき、会議その他の予定も社内メールで連絡すると言う時代を先駆ける会社であった。今日のコンピュータ文化を創造したのは、このアスキーといっても過言ではない。