朝青龍の引退騒動をめぐって、彼の母国モンゴルでは、地元紙が一斉にブーイング。なんと、大統領府高官まで、「日本側が暴行事件を利用して相撲界から(朝青龍を)引退させた」と日本の「不正義」を批判したという。
つまり、大鵬の持つ優勝回数記録32に迫った朝青(25回)を嫌っての陰謀だというのである(http://www.news24.jp/articles/2010/02/05/10152966.html)。
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いやはや、ビックリものであるが、考えてみれば、そう思っても仕方のないことかも・・。
というのは引退会見で朝青が「報道と事実にかなり大きい差がある」と何の説明もせずに先ず断りを入れたこと。
そして、「品格、品格というが土俵に上がれば鬼にもなるし、やっぱり精一杯やらなきゃいけないという気持ちがあった」と言い訳。
さらには、肝心の引退理由として、「大勢の方々に迷惑をかけたし、責任を感じて今ここに座っている」だの、「最後にけじめをつけるのは自分しかいない」といって涙を流す。
もう、こうなれば、”ヒール”どころか、悲劇の”ヒーロー”にも見えてしまう。
おまけに、(朝青の引退の)感想を聞かれた白鳳まで、「ケジメ」がわかってかわからずか、感極まって何故か号泣する。
確か、この人、前日まで「相撲取りの手は武器になると兄弟子からよく注意されていた」と暴力を否定していたはず(?)と知っているだけに、この涙はなんとも理解に苦しむ。
ま、それはともかくも、これが日本人なら、「ケジメ」のひとことで、たとえ、彼がこれまで幾度となく横綱の品格を汚し、協会から5度の厳重注意と、二場所休場のぺナルティを受けようが、委細、分かったとなる。が、いかんせん、モンゴルは外国。
因みに、マッシーパパも調べてみましたが、「ケジメ」という言葉、日本以外ではほとんどが、単なる「区別」「隔て、仕切り」の意で訳されている。
決して、「道徳や規範に従って言動、態度に表す区別」という、武士道的身の処し方をあらわしたもので、理解されていないようだ。
おそらく、外国人には「横綱の品格」と同様に、客から金をとって見せるスポーツ(プロ)でどうして、強いが一番でなく、ショーマンシップが許されていないのか理解できないのだろう。
だからか、朝青のサッカー事件の時、同様、今回もモンゴルの英雄、朝青が不当な日本のバッシングにあっているように思えてならないのかも。
いや、この騒動、なんとも分からないのはモンゴル人だけでない。「ケジメ」も「横綱の品格」も分かる日本人でさえ、今回の事件の真相とあっけない幕引きは分からないことだらけというのが実態でないだろうか。
そして、あるものは、「今回の騒動はなぜか全貌(ぜんぼう)が見えてこない。ワイドショーやニュースが“被害者”であるA氏の素性や言動をきちんと報道しないことが大きいのでは」という。
要するに、「本来は事件化する案件が、カネや力関係で“なかったこと”になる可能性があるのだ。こうした動きにテレビマスコミはダンマリを決め込んでいる。朝青龍の素行の悪さは議論の余地がないが、テレビも歯切れが悪く、スッキリしない」というのだ(http://news.nifty.com/cs/entame/showbizddetail/gendai-07029092/1.htm)。
そして、「ワイドショーが悪い」といわれた当の日テレの「スッキリ」のコメンテーターは、「なめた朝青龍も問題だが、なめられている協会が悪い。横綱の品格を云々するならスタンダードを示して、それに対してノーだったら絶対に許しちゃいけない。なあなあと甘やかしているバカ親のバカ息子みたいだ」と、これ又、協会のせいにする(http://news.livedoor.com/article/detail/4569354/)。
ま~、こういうのをお互い、「猿の尻笑い」というのだろうが、そういえば、もう一匹、「事件性を最初に認知しながら横綱ということで穏便に見逃したサル山の警察官」もいましたっけ。
どうやら、この三者が最初から毅然とした態度を貫いていれば、おそらく、こんな混乱も起こらず、又、国民の間にも釈然とした気持ちを残さずにすんだのでないだろうか?
いや、何よりも、モンゴルとの間に不要な摩擦は生じ得なかったのでは・・。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。ご批判ご賛同、なんでもいいですからコメントもいただければ幸いです。♪
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