MARU にひかれて ~ ある Violin 弾きの雑感

“まる” は、思い出をたくさん残してくれた駄犬の名です。

呻きから慰めへ

2012-01-22 00:00:00 | 私の室内楽仲間たち

01/22 私の音楽仲間 (355) ~ 私の室内楽仲間たち (328)



              呻きから慰めへ




         これまでの 『私の室内楽仲間たち』




 「フェリクスにとって音楽は天職でも、お前には飾りに
過ぎん。 妻となり、母となるのだから、将来のために
備えねばならんよ。」

 これは、ファニー・メンデルスゾーンが14歳のときに、
父アブラハムが書き送り、釘を刺した" 内容です。



 大作曲家フェリクス・メンデルスゾーンの姉ファニー (1805
~1847) は、自身も優れたピアニスト、作曲家です。 しかし
19世紀初頭のドイツでは、まだ女性の社会進出は不可能に
近い状況でした。

 同じ立場の人物には、広くヨーロッパ中で活動した、クララ・
シューマン (1819~1896) がいます。 二人の間には、それ
ほど年代差があったわけではないのですが…。



 しかしメンデルスゾーン家の場合には、もう一つ切実な事情
がありました。 それは、ユダヤの家系だったことです。

 富裕な銀行家とはいえ、一家が地域の上流社会に溶け込む
ためには、父母はプロテスタントへの改宗を余儀なくされました。
その受け身の立場を考えれば、"男女の役割" というしきたりや
社会規範に、敢えて反旗を翻すことなど、父のアブラハムには、
とても出来なかったでしょう。



 ピアニストとして公にデビューしたのは、結婚後の32歳のこと
です。 後年になって活躍の範囲を広げたとは言え、音楽家と
してのファニーに与えられた場は、主にメンデルスゾーン家の
"日曜音楽会" だけでした。

 彼女は500以上の作品を残していますが、その主なジャンル
がピアノ曲と歌曲なのは、その活躍の舞台が限定されていた
ことが、大きな原因だったからでしょう。



   List of compositions by Fanny Mendelssohn




 ファニーは1929年、23歳で結婚します。 夫ヴィルヘルム・
ヘンゼル
は画家でした。

 ファニーの17歳の誕生日に、未来の夫が自画像の肖像画を
添え、贈ったところ、翌日に送り返される…という、辛い出来事
もありました。 もちろんファニーではなく、母のレアのしたこと
です。



 「若い男が乙女に肖像画を贈るなど、どうかと思いますよ。
でも、それを言ったら、当夜のお目出度い気分が、ぶち壊し
でしょ。 だから、その場では口にしなかっただけなのよ。」

…というのが、その言い分でした。




 姉を偉大な音楽家として評価するものの、弟フェリクスの立場
は微妙でした。 ことに作品の出版に関しては慎重で、敢えて
自分の曲として発表したこともあります。

 「著作権に関わる諸々の煩わしさは、姉には不向きだ。 家事
を司る女性でありながら、作品の売れ行きを案じなければならな
いんだから。 そんな状態じゃ、音楽に打ち込むことなど、とても
出来はしないよ。 作品の出版は、ファニーにとってマイナスだ。
私には賛成できない。」




 この発言には、フェリクス自身の葛藤が含まれているように
も感じられます。

 弟として、メンデルスゾーン家の一員として、一男性として。

 また、同じ音楽に仕える人間として、自分の良き相談相手と
して、非凡なライヴァルとして、不遇な音楽家を援助する立場
の人間として。

 そして恐らく、幼い頃から一緒に過ごし、姉を最も深く理解
しているのは自分であるという、自負心に満ちた弟として。




 結果的に、ファニーに出版を強く勧め続けたのは、良き伴侶、
ヴィルヘルムでした。

 客観的な立場から、自分の音楽的才能を認め、支え続けて
くれた夫。 ファニーは再び演奏に、創作に、音楽会の開催に
と、活気を取り戻して励んだことでしょう。

 42歳を前にしての彼女の死は、余りにも早過ぎたと言えます。




 ファニーは、再び恒例となった "日曜音楽会" の準備中に
倒れ、急逝します。 自分が育った、ベルリンのメンデルス
ゾーン家でのことでした。



 「その日も午前中には、姉はアイヒェンドルフの詩によせて
歌を作っていた。 歌詞の最後には、こうあったよ。」

 "感謝と歌は天の国へ。"



 これはフェリクスが、書簡中に記した言葉です。




 今日になって、彼女の作品の研究、出版、録音が行われて
いるのは、まことに喜ばしいことです。



 なお、メンデルスゾーンの伝記の作成上、欠かせない人物に
なったのが、ファニーの一人息子です。 正確な資料を提供し、
また注釈者となった彼の名は、ゼバスティアン・ルートヴィヒ・
フェリクス (1830~1898) といいます。

 大作曲家の名が、3つも見られますね。




               参考サイト



       ファニーの残した独唱、合唱作品

  List of compositions by Fanny Mendelssohn

    Fanny Mendelssohn の作品 音源サイト

ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼルを含む簡易年表




 演奏例の音源は、前回に続いてフェリクス・メンデルス
ゾーンの弦楽四重奏曲第6番ヘ短調、その第Ⅰ楽章から
です。 [譜例]は前回ご覧いただいたもので、楽章の冒頭
部分です。



 展開部の終りの部分から始まり、ほぼ忠実に第一主題が
再現されます (23小節目~Aの4小節目に相当)。 ただし、
冒頭には無かった呻きが、チェロに聞かれます。

 続いてチェロがコラール風に上昇し、優しい第二主題へと、
聴く者を導きます。








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