MARU にひかれて ~ ある Violin 弾きの雑感

“まる” は、思い出をたくさん残してくれた駄犬の名です。

解放と解答

2009-08-20 01:55:40 | 私の室内楽仲間たち

08/20 私の音楽仲間 (94)  ~  解放と解答

       メンデルスゾーンの四重奏曲 ⑨



          私の室内楽仲間たち (74)



         これまでの 『私の室内楽仲間たち』




                 関連記事

            ピアノ六重奏曲 ニ長調     Op.110
               若々しいメニュー

            弦楽八重奏曲 変ホ長調    Op.20
               自己吟味の大家
               八人で育む夢
               魑魅魍魎
               16歳の構成力
               ヒマなアンサンブル

            弦楽五重奏曲 第1番 イ長調  Op.18
               瑞々し。 目まぐるし。

            弦楽四重奏曲 第2番 イ短調  Op.13
               いろはのイ
               イ短調のパッション
               偉大なる先輩
               偉大なる理解者
               「人生は死への…」
               「…前座に過ぎない」
               循環って、元に戻るの?
               音色の妙味
               解放と解答

            弦楽四重奏曲 第1番 変ホ長調 Op.12
               快速、快足、怪足

            弦楽五重奏曲 第2番 変ロ長調 Op.87 
               スコットランドの夕映え
               春になれば

            弦楽四重奏のための4つの小品 Op.81
               姉が手ほどき? 手招き?

            弦楽四重奏曲 第6番 ヘ短調  Op.80
               叫ぶ動機
               呻きから慰めへ





 セザール・フランクの名作、交響曲ニ短調の話をしていた
のに、またまた脱線です。




 きっかけはコーラングレ (イングリッシュ・ホルン)。 同じ楽器を愛用
していたというだけの理由で、リヒャルト・ヴァーグナーに登場して
もらいました。 その作品は、かの『トリスタンとイゾルデ』です。



 共通するキー・ワードは "苦悩" でした。 もっともその質には、
両者の間でかなり大きな差があるようですが。




 オーケストレーションから、再び話題を戻しましょう。




 フランクの交響曲で見られる、循環形式・循環主題。 主要
テーマの幾つかが、このサイト (↑) で紹介されています。

 このうち、コーラングレで奏されるのは、第Ⅱ楽章冒頭の主題
でした。




 どの楽章にも登場する循環主題。 それはもちろん、この曲の
大きな特色です。 「全曲を統一するために用いられている手段
である。」 しばしばそのように指摘される所以です。



 しかし大事なのは、「それらの一つ一つが、どのような役割を
与えられ、また組み合わされているか」ではないでしょうか。

 それは、あたかも演劇における、一人一人の役柄のようです。
その中には最初から登場している者もあれば、途中から顔を
出す者もいます。 コーラングレのテーマのように。

 そしてストーリーが展開し、ドラマが進行していきます。




 様々な紆余曲折と葛藤を経て、やがて第楽章が始まります。




 出だしの響きは、確信に満ちたニ長調。 全オーケストラに
よるffです。 チェロとファゴットによる新しいテーマ。 もちろん
第Ⅰ楽章の冒頭に登場した、基本テーマから出来ています。

 しかし突然全体が静まると、低弦に呻き声が! やがて再び
苦悩のテーマが、コールアングレに現われます。



 このテーマは、この楽章では全部で三回聞かれます。

 二回目は断片的、切れ切れです。 本来の 3/4拍子でなく、
窮屈な 2/2拍子の中に押し込められています。 一度目の
高い音域ではオーボエで、オクターブ下で繰り返されるときは
コーラングレで、ともに寂しげに奏されます。



 ところが楽章も押し詰まった三回目は、全オーケストラのff。
ニ短調です。明るく力強く、ニ長調で、曲が終わるのかと思わ
れた直後の出来事でした。 一種のどんでん返しと言えます。




 この最後の苦悩を経ると、あたかも魂が軽やかに解放された
かのようなパッセジが続きます。

 すると辺りは静まりかえり、突如、透明なニ長調の響きが!



 ハープの穏やかな分散和音が聞かれるこの部分、私には、
どうしても天国から射す光としてしか感じられません。

 至福の瞬間。




 次いで、これまでに登場した他のテーマも奏されます。
しかし苦悩のテーマはもう聞かれません。



 オーケストラの中には、テーマなど重要な動きに参加出来る
楽器ばかりあるわけではありません。 管楽器は長い音の
クレッシェンド、ディミヌエンド (<>) で支え、また弦楽器は
トレモロで期待と興奮を表わします。

 クライマックスの予感。 そして築かれる大団円。




 曲が終わってみると、主題のうちの、あるものは最初と同じ形
のままです。 しかしあるものは、形が微妙に変容しています。
ニ長調の光を浴び、深い疑念が克服されたからでしょうか。



 そして私たちには、これらのテーマたちと共に、一つの人生を
経験したかのような感動が残るのです。




 この曲が私たちに与える感銘は、「循環主題」、「循環形式」、
「オーケストレーション」などの、手段としての言葉を越えるもの
のようです。




  (この項終わり)




 以下はフランクの交響曲の音源で、前回までと同じものです。



セル指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団
      1953年12月6日録音




音源ページ




 この曲を愛したフランスの名指揮者、ジャン・フルネさん
の言葉がありました。 どうぞご覧ください。 また、実演に
接した方が記した感想も一緒に、原文のまま転載し、紹介
させていただきます。




  ↓





ジャン・フルネ(指揮)インタビュー

~今年10月に新日本フィル(NJP)で3種類のプログラムを指揮されますが、各々でメ インとされる曲についてうかがいたいと思います。まず10日のオーチャード定期で取りあげるフランクの交響曲についてお願いします。

 まさしく、今私がこのシンフォニーについて申し上げたいと思っていることがあります。私は自分のデビュー以来、幾度となくこのシンフォニーを演奏してきましたが、この曲については大変特殊なケース、やや嘆かわしいとさえいえる状況があると思います。

 何故なら、この曲を書いたフランクという人は、音楽の面でも人間性の面でも、ある意味で純粋で奥深い人であり、また同時に他人から注目を集めてしまう才能のある人、感受性の豊かな人でもありました。その彼が曲を書いたとき、もちろん他の作曲家と同じように音の強弱とか、テンポ、音のつなぎ方など演奏に必要なことは指示したのですが、不幸なことに、そしてこれは一般的に音楽史上とても重要なことなのですが、彼はそれらの指示を必要最小限のみ、つまり強弱はフォルテ、ピアノ、メゾフォルテとか、テンポとしてはアレグロとかいうように、普通の半分ぐらいのものしか楽譜に残さなかったのです。これは演奏するには大変困難で、このことがドラマを生み出しています。

 フランクのこの曲は、これまでに何度も世界中で演奏され、これからも演奏され続けるでしょう。それは本当に嬉しいことですが、私にとって不快なのは、曲の解釈が不幸にも誤っていて、フランクの意図に忠実とは言いがたいことです。ある指揮者、特に外国人の指揮者は、フランクの作品に対しての特別なセンスが足りず、そのためテンポやフレーズなどを誤って解釈し、時にはやりすぎたり、また反対に表現不足だったりして良くない結果になっています。しかしもし、フランクの精神・スタイル等を正しく理解すれば、そして何よりも彼のシンフォニーを愛した時、まさしくフランクが望んだような演奏が出来ると思います。しかし先ほど話した演奏などは、そうしたところが全く感じられず、私は誤った解釈の演奏を、特に外国のオーケストラで、外国人の指揮者で何度聴いたかしれません。それは恐ろしい苦しみで、本当にひどいものでした。裏切りといってもいいでしょう。「これはフランクの望んでいたものと全く違う」と思ったものです。これには悲しみも感じましたし、時には怒りさえ覚えました。
 そこで私は自分の楽譜にありとあらゆる指示を付け加えました。つまりフランクがそうしたかったのだけれど、しないで終わってしまった指示をです。私は可能な限りのことを書き入れました。音楽のフレーズ、強弱、雰囲気など全てをです。私がフランクの交響曲の指揮を引き受けるのは、その譜面を使うのが条件なのです。




フルネ&NJPオーチャード・シリーズ

後半はフランクの交響曲二短調。フルネの語るところによれば、フランクは細かな指示を楽譜に残さなかったそうで、フランクが思い描いた音造りについてフルネ自身の解釈を披露するとのこと。実際に聞いたところ、とてもリーズナブルな自然さがあって、誇張の無い演奏に好感を持つと同時に、次第に驚嘆の連続となりました。あえて表現すれば煩くない演奏で、控えめなようでいて、コアにロマンティシズムが悠々と流れ、徐々に感動に至らしめるというアプローチでしょうか。コントラストの強すぎる写真は往々にしてケバケバしくて、中間色が潰れてしまうことがありますが、ちょうど音楽も同じで、響きのコントラストを適度にコントロールすることで、微妙な色合いといったものが聞こえてくるという感じ。内声部のチェロのトレモロなんかはCDなど録音では余り印象薄のように感じるのですが、一瞬一瞬の閃きのように聞こえてきました。とても色彩を感じる演奏なんですが、原色ではなくてカラフルな水墨画のよう。全ての色彩にモノトーン的な統一がありました。ブラスの輝きも全体の流れにぴったりと溶け合う感じで、音の流れに集中力が漲っていました。フィナーレに上り詰めるのも、ステップバイステップで決して焦らずに、極々自然にクライマックスに導かれるのでした。さすがフルネは偉大な指揮者です。フランスもの3曲をそれぞれの持ち味で全て味わい尽くすことができる稀有な演奏会でした・・・