08/19 私の音楽仲間 (93) ~ 音色の妙味
メンデルスゾーンの四重奏曲 ⑧
私の室内楽仲間たち (73)
これまでの 『私の室内楽仲間たち』
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セザール・フランクの交響曲ニ短調を語る際に
欠かせないのが、そのオーケストレーションです。
「オルガン的」、「渋い音色だ」とよく言われますが、
私もそのとおりだと思います。
まず金管セクションを見てみましょう。
ホルン、トランペット属、トロンボーン・チューバ類。
どれも四本ずつ使われています。 そう、ロマン派の
典型的な編成です。
しかし、目を惹くのは木管楽器でしょう。 いわゆる
"二管編成" なのですが、特殊楽器が二本あります。
それはコーラングレ (イングリッシュ・ホルン) と、バス・
クラリネット。 つまり低音のオーボエとクラリネットです。
一方で "甲高い" ピッコロや、"グロテスクな" コントラ・
ファゴットは使われていません。
そう言えば、同じオルガン的な響きの交響曲作家、
ブルックナーにも、大体同じ傾向が見られます。
彼も、きらびやかなピッコロやシンバルは、あまり
好みませんでした。 大半の交響曲では、各2本
ずつの木管楽器が使われています。 ファゴットは
概して冷遇されています。
ここに特殊楽器が参入し、各パートが "三本ずつ" に
なるのは、最後の大作、第8番、第9番のみと言って
よいでしょう。
ちなみにフランクの交響曲ニ短調では、第Ⅱ楽章の冒頭で
ただ一人、ソロを奏でる楽器があります。 それはコーラングレ
でした。 これは当時のフランス楽壇で物議をかもした、この曲
の大きな特徴でもあります。
当時の有力者の発言が残っています。 それは、「古典派
の巨匠たちでさえ、この楽器を用いた交響曲は作らなかった
ではないか! ただ一曲を除いて…」というものです。
同胞ベルリオーズの幻想交響曲 (第Ⅲ楽章) が正当に評価
されていなかったのではないかとさえ、感じられる発言です。
ところで、この "古典派の交響曲"、誰の作品か、おわかり
でしょうか?
この楽器を重用した作曲家の一人に、ヴァーグナーがいます。
その代表的な例は、フランクの交響曲の20年も前に初演
(1865年) された、『トリスタンとイゾルデ』です。 作曲された
のは、さらに10年近く前になります。
この楽器の独壇場となるのは、第三幕の冒頭部分です。
前奏曲に続いて幕が上がり、しばらくすると、舞台には瀕死の
重傷を負ったトリスタンが横たわっています。 彼はイゾルデに
一目会いたいと、ただその到着をのみ、待ちわびているのです。
この前に登場するのが、コーラングレの長いソロで、無伴奏の
まま、延々と41小節も続きます (ゆっくりな 4/4拍子)。
この部分は、今回の音源では③のみで聞かれます。
「舟が見えたら、明るい音色で知らせるように。」 しかし
そう言われても、牧童が奏でるのは悲しい響きばかり。
時間は空しく過ぎていきます。
やがて狂喜乱舞するのは、イゾルデの到着を告げる陽気
な調べ! しかしそのときには、すでに20分以上が経過して
います。 もちろん、コーラングレはずっと吹きっ放しではありません。
牧童の笛を表わすコーラングレ。 ここでは劇の進行と
深い結びつきがあります。
もっとも考えてみれば、これは楽劇の世界における情景
ですね。 交響曲ではありませんでした。
この楽器が大活躍することで有名な曲には、先の
幻想交響曲、ロッシーニの『ウィリアム・テル』序曲、
ベルリオーズの『ローマの謝肉祭』序曲などがあります。
その演奏ぶりは、あるときはたどたどしく、またあるときは
素朴で抒情的です。 確かに "牧童の笛" を連想させます。
一定のアイディアや情景を描写するという点で、その
起用法は文学的、舞台芸術的です。
それでは、交響曲などの「絶対音楽では、この楽器に
目立った役割を与えるべきではない」のでしょうか??
もしそうなら、交響曲第22番を作ったハイドンは、
大の異端者ということになってしまいます。 その上
作曲された年代は、『トリスタン』の初演をさらに100年
遡る、1764年のことでした。
ヴァーグナーがこの楽器に、牧童の姿を託したことは
疑いありません。
しかし音色の甘さと裏腹に、悲痛さもまた感じさせる
コーラングレに、トリスタンの苦しみを表現させようとした
と考えるのは間違いでしょうか。
第2幕で中断された「夜の愛の喜び」は、ここでは延々
と果てしなく続く、苦悶の訴えに変わっています。
もしそうなら、この作曲家から強い影響を受けたと言われる
フランクが、この楽器に同じような情感を込めたという可能性
も充分考えられます。 苦しみの内容や、音楽のスタンスは
まったく異なりますが。
不幸にして、初演当時はそこまで理解されなかったのも、
無理からぬことでしょう。
交響曲ニ短調、第Ⅱ楽章の冒頭で聞かれるのは、この
楽器としては高い音域です。 それは人間の声で言えば、
メゾ・ソプラノが歌うような緊張感を思わせます。 その、
どこかしら無理が感じられる音色の掻き立てる悲痛さ。
そして曲が進み、音域はオクターブ下がります。 その
最低音域における訴えの生々しさ。
さらに中音域に同じテーマが現われたときの、無理の
ない伸びやかさ。
そのそれぞれに、作曲者は異なった表情を醸し出させ
ています。
オルガン奏者らしい、音色に対する敏感さ。 そして
構成の妙味が窺われます。
(続く)
音源です
① Max Lorenz sings Tristan - Act III, scene one
(part I) (part II) (part III) (part IV) (part V)
『トリスタンとイゾルデ』、その第Ⅲ幕の冒頭です。
イゾルデの舟が見えたのを告げる喜ばしい音色は、
[part V]も押し詰まってから、やっと聞かれます。
② Wagner: Tristan und Isolde Act 3:
Muss ich dich so verstehn
(一部)
③ Shepherd's solo from Wagner's Tristan und Isolde
お時間の無い方はこちらをお勧めします。
以下はフランクの交響曲で、前回と同じです。
セル指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団
1953年12月6日録音
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