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飾釦(かざりぼたん)とは意匠を施されたお洒落な釦。生活に飾釦をと、もがきつつも綴るブログです。

近松門左衛門NO.27・・・「その時歴史は動いた 人間ドラマ誕生 曽根崎心中」2006年

2010-02-26 | 近松門左衛門
興味あるテーマの番組はその時見る見ないにかかわらず録画しておくことがある、ということは以前にも度々書いてきました。今回のNHKで放送していた「その時歴史が動いた」も同様です。見るとその番組の進行を担当していた松平アナウンサーが2006年の始めの内容は…と話しますもで、それは4年前に放送された番組を録画していたものということです。(2006年1月11日放送・第240回)内容は、先日文楽の感動ものの公演を見た近松門左衛門の「曽根崎心中」が大阪の竹本座で初演された元禄16(1703)年5月7日を革新的な“人間ドラマ”が誕生した歴史が動いた日として構成しているもの。以下、番組は教養ものなので内容を箇条書きにて書いていきます。


・「曽根崎心中」は、それまでの英雄、豪傑の物語がメインであった人形浄瑠璃の世界に一般庶民の物語を描いた“人間ドラマの原点”といわれている。

・近松門左衛門は「杉森信成」という名前の公家に仕える武士であった。人形浄瑠璃に惹かれ芝居小屋に通っていたが25歳の時に武士を捨て宇治加賀丈弟子入りした。

・しかし当時は太夫の地位が絶対的で作者の地位はなかったのが当たり前だった。

・31歳の時、遊女を主人公とした新しい視点の物語「曽我物語」を書いた。

・文句は情をもととすと心得べし(近松)

・「出世景清」は新浄瑠璃と呼ばれるまで画期的だった。

・近松門左衛門は初めて“作者”を名乗った劇作家。

・京都で同時代を生きる人々を写実的に描いていた歌舞伎役者の坂田藤十郎と出会い歌舞伎の世界へ進む。

・当時、商家と奉公人は厳しい主従関係で結ばれていた。ある資料によると18歳の手代は、休みは1ヶ月に2日、酒が飲める日は1ヶ月に6日、仮病で休んだ場合は吟味の上解雇など、自由を奪われていたのが商家の奉公人であった。

・娼婦も足を洗うには見受けしてもらうしかなく、その手段として客の名前を腕に彫る、小指を切断する指切りなどで訴えていた。

・この時代に赤穂浪士の討ち入り事件(忠臣蔵)があり世間を騒がせた。

・歌舞伎に客をとられてしまいさっぱりな竹本義太夫が近松門左衛門に助けを求めた。(「曽根崎心中」上演の1ヶ月前)

・元禄16(1703)年4月7日、大阪の曽根崎で世間を騒然とさせた心中事件が起きた。江戸行きを命じられていた醤油屋の手代・徳兵衛(25歳)と九州の客に見受けが決まっていた天満屋の遊女・お初(21歳)が心中で愛を貫いた。人々は異常な関心を持った。

・近松門左衛門は、この心中事件を題材に「出世景清」で描いた“人の情け”歌舞伎で経験した“今という時代”の方法論を融合させた新しい浄瑠璃を描いた。

・芸といふものは実と虚と皮膜の間にあるもの也(近松)

・今を生きる一般庶民の男女の葛藤を描いた「曽根崎心中」は“近年の大当り 作者近松門左衛門”と評された。この大当たりによって竹本座は10年分くらいの借金を返済したという。

・シェイクスピアは芸術的保護をするパトロンがいたが、近松門左衛門にはなかった。近松は芸術のためではなく観客のために描いた。

・「曽根崎心中」上演後、心中する若者が増え、「曽根崎心中」は上演禁止となった。

・生涯で150もの作品を描いた近松門左衛門は72歳でこの世を去った。

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