飾釦

飾釦(かざりぼたん)とは意匠を施されたお洒落な釦。生活に飾釦をと、もがきつつも綴るブログです。

近松門左衛門NO.20・・・「恋湊博多諷 毛剃」(歌舞伎座)

2009-05-26 | 近松門左衛門
■日時:2009年5月23日(土)
■劇場:歌舞伎座

昨日に続き歌舞伎鑑賞記です。本日は近松門左衛門原作の「恋湊博多諷 毛剃(こいみなとはかたのひとふし けぞり)」。この作品は元々は「博多少女郎浪枕」という浄瑠璃で上中下の全三段で歌舞伎では上の巻にあたる部分までを上演するのが一般的であるそうです。「曽根崎心中」同様、近松はこの作品も実際に起こった事件を題材に書き下ろしているとか。享保3年(1718)九州博多の沖、玄界灘を舞台とした大掛かりな密貿易の摘発事件がそのネタで、罪人の一部はみせしめのために大阪の高麗橋で“鼻そぎ”の刑にあい、さらし者にされたようです。刑罰とはいえ何とも残酷な仕打ちです。昔は犯罪を市中引き回しとか、さらし首とか刑罰を残酷にすることによって恐怖心で防いでいたのでしょうか。

毛剃九右衛門を演じるのは市川團十郎、独特の滑舌といったらいいんでしょうか?こもったような、舌を噛んでしまいそうな台詞の言い回しが一際光っていたように感じました。毛剃というキャラクターが密貿易の親分として、その風貌がどう見たって異彩を放っているわけですから、その方が合っているということです。一幕目の最後に船がぐるっと回転し船頭に仁王立ちし汐の流れをみる“汐見の見得”はダイナミックさもありカッコよかったです。日本人、特に男はこうした見得に弱いですね。見得の意味が違うのでしょうが、最近は見得を張らんばかりに意地を通すということが少なくなってきたように思います。変に物分かりのいい子か、逆に自分の世界に閉じこもってしまっている子が多く古き良き日本の男というものが失われてきているように感じてなりません。歌舞伎などをみていると余計にそう思ってしまいます。

一方、小女郎が宗七との愛を貫くために、毛剃に身請けの借金を申し込みにいくとことも大胆で女の意地というものを感じたのですが、それを受ける“女郎の口から金貸してくだしゃんせとまで、恥を捨てての志、無にしてやらっしゃるは、そりゃ巌い邪見というものだ”と宗七を自らの子分にしてしまう毛剃にも意地を見ました。原作となるとこのラストまでが1/3ということなので、その後の展開がどうなるのか機会があれば一度観てみたいと思いました。こうした異形の?ヒーローはそうであるがゆえに声援を送りたくなるもんです。

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