飾釦

飾釦(かざりぼたん)とは意匠を施されたお洒落な釦。生活に飾釦をと、もがきつつも綴るブログです。

近松門左衛門NO.23・・・文楽公演「おさん茂兵衛 大経師昔暦」(国立劇場)

2010-02-22 | 近松門左衛門
■日時:2010年2月13日(土)、14:30~
■劇場:国立劇場・小劇場
■作:近松門左衛門

茂兵衛が悪いのかな?なんて会話が劇場からの帰り道に聞こえてきた近松門左衛門・作の文楽「おさん茂兵衛 大経師昔暦」を見ました。これで文楽は3回目の観劇です。ボクにとっては少しだけ行くまでは足が重いのですが、行くと良かったと満足するのが伝統芸能の演目。近松門左衛門ものは、歌舞伎や映画、ドラマに漫画と表現されたものをいろいろ見ていますが、やっぱり文楽で見るのが一番しっくりくるというのが実感です。近松が表現するあの男女の情感あふれる世界は義太夫によるものが合っていると。確かに現代口語ではないので聞きとりづらい、意味がわからない、字幕を追っかけないとだめというところも正直いってあるのですが、全体からでている波動のようなものといえばいいのか、生の声によって作られる近松の世界が、追いつめられていくことによって、浮かび上がり、極められてくる男女や親子の間に流れる情愛がくっきりと浮かび上がってくるのです。

特に得も言えぬ気持ちがグッとこみ上げてきたところは、不義の罪をきせられて失踪中のおさんと茂兵衛に、おさんの親が偶然出会うところです。(岡崎村梅龍内の段の後半)おさんの着物を売って金を作り食いつないでいる二人に、父は旅の途中の少しの足しになればと、その懐からワザとお金を落とすところ。“寺へ返すこの銀、『遣る』と云ふては遣らねぬ。『貰はふ』云ふては貰はれまい。道順が涙にくれ狼狽へて落といたぞ。落とした物は拾い徳、罰があたれば落とした者、拾ふた者に罰はない”と言って立ち去ろうとします。親だからこそできる慈悲深い行為です。しかし、“父が帰れば母だ止め母が帰れば父が止め”と親は娘が不憫で哀れで可哀想でその場を去ることができません。その行為がまた涙を誘います。

ただ今回の演目は情感たっぷりに描かれていますが、おさんと茂兵衛自体は愛し合って駆け落ちをしたとか、心中を決意したというわけではありませんから、その辺りの部分が切なくなるには少し弱い話であったと思いました。あくまでも濡れ衣であり、忠義の姿勢を貫く先の獄門、磔なのです。むしろ身分社会や当時の社会規範の矛盾に対して憤りを感じてしまうような・・・。

ところで今回見た「おさん茂兵衛 大経師昔暦」は、中盤地味なやりとりがあるので、その部分で途中、義太夫が子守唄のように聞こえ意識が朦朧としてしまう部分があったのですが、夢うつつになるもよしとした文楽を解説しテレビ番組が以前ありましたので、それも文楽を見るボク流の心得のひとつであると勝手に決めたのでありました。

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