新制中学卒業前の社会の授業が終わったあと、お別れノートがまわってきた。
まだ、物のない頃(s24年)だったので薄茶色の薄っぺらなノートだった。
絵の得意な子は漫画や少女の顔をかいたり、私は確か下手な詩を書いた。
学校は山間の小さな小学校の1部屋を間借りして開校し、生徒は20人足らずだった。
父は引き揚げて代用教員となり、国語、英語、社会を受け持っていた。
そしてお別れノートには”より良い社会人となるために”と書いてくれた。
兄と弟は体が弱かったので、私は父の後についてよく開墾の手伝いなどした。
あんたはお父さん子だねって言われるけれど、父は無口で、心の中に愛がいっぱい
なんでも挑戦して(ゴルフ、テニス、ラグビー水泳、野球、玉突き、野球)みんな相当な腕だった。
弟が亡くなって東京へ出てからは、間借り生活をしながら経理の仕事をして働いた。
やっとゴルフを楽しみ、好きなタバコやお酒をたしなむことが出来るようになったのにあっという間に54歳でお別れしてしまった。