信濃大町あなログる生活

大町に移住で「便利」より「アナログ」へ。薪切り出し、薪割り、薪ストーブ利用、圧力釜、地産地消を目指す生活の記録。

照明のカバー

2014年08月15日 17時03分13秒 | 日記
一見トイレットペーパーに見えますが、ライトのカバーです。
日本手ぬぐいとして売っている薄い布を張りました。
5-6か所円形で切り抜いてあるので、明かりが灯ると光が漏れるタイプです。
基本下へのスポットですが、周辺には円で明かりと模様が見える感じ。

工作紙を土台にした方が、出来上がる効率が高いけれども、
和紙の何とも言えないぼんやりとした明るさには、勝てないような気がします。
てきとーにサイズを決めて、てきとーに作ってみたのですが、
有難いことに、日本手ぬぐい一枚で5個出来そうです。

こういう工作で活躍するのが、木工用ボンド。
100均で、速乾性のものも手に入れて、便利に使いました。
乾けば透明になるし、水性だし、固まればしっかりしてます。
指についたものは、乾くと綺麗に取れるし、良いことだらけです。
紙、布、木に使え、乾くと布はピンと張ります。

午後ずっと雨で降りこめられ、工作活動になりました。
夕方、農人さまに手ぬぐいで作った帽子を渡しに行くと、
草取りの作業中。
手渡すと、「まぁ、あんたぁコウシャだわ」
ん?褒め言葉かな。
後者?巧者?高車?
褒められたことにしときましょ。

今夜諏訪湖と佐久で花火大会があるというのに、結構な雨が降っています。
南部は晴れてるってことにしておきましょう。
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味噌を買ったから

2014年08月15日 12時12分19秒 | 日記
茄子とピーマンがとれたので、そして、久しぶりにちゃんと味噌を買ったので、
またしても、「鍋しぎ」、別名「ごった味噌」。
余っていたウィンナーと炒めました。

毎日昼ご飯を一番ビッグミールとしていて、納豆、漬物を添えます。。
朝獲れの野菜をその日に調理し、玄米ご飯で頂く。
こうした食事が、一番「昔」に近いはずなので、三食をばっちり食べなくていいように思います。
なんせ、我々の体は「飢餓状態」に耐えるようセットされていますから、
そんなに沢山食べる必要はないのです。

特に晩御飯は、これから寝るだけなのですから、最少でいい。
食べないと眠れない、というひとは、糖質依存かもしれません。
昼間の活動量が十分なら、必ず眠れます。
健康の常識は、必ず一度疑った方がいいように思います。
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なかなか大漁で

2014年08月15日 11時54分34秒 | 日記
我が家のトマトは、やはりダメですが、農人さまの苗が頑張ってます。
胡瓜は曲がってしまってるけど、勿論食べられるし、ピーマンも好調。
秋茄子にと植えた苗から、形の良い実が取れました。

いつもお裾分けしているHTさんが、「畑を見たい」というので、軽トラでご同伴。
山人さんは、HTさんにも「畑やらない?」ってオファーしたそうですが、
そんなの無理、とされなかったようです。
でも、ちょっと気が変わって来たかもしれません。
毎日こうして得物があるわけですから、試してみた方がいい。

農人さまとそのご両親が、開拓して土を運び入れたという土地を、放っておくのは勿体ない。
片隅でいいからお借りして、ちょっとした農業を楽しまない手はありません。
田んぼの稲も、穂先を垂れ始めています。
さて、中身がちゃんと詰まっていますかね?
新米、新蕎麦、楽しみです。
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試作品

2014年08月15日 11時33分44秒 | 日記
見たとこトイレットペーパーにも見えますが、ライトカバーです。
小じゃれた照明器具の余りの高さに、「自分で作ったる」と決意し、
今年に入って、ちょこちょこ和紙などで作っていました。

大町名店街で、手ぬぐいを使っライトカバーを見て、アイデアを頂き、
まずは土台を作ってみたわけ。
大体、行き当たりバッタさんなので、作り始めてからコンパスがない事に気付いたものの、
頓着せず、「てきとー」に円を描き、切り抜いたりしてみました。
こういう工作をすることもあるからさ、円周率は3.14ってちゃんと教えた方がいいと思うね。

全て和紙で作って、優しい明かりにするのもいいし、
工作紙で、照明の量を調節するのもいい。
色々やってみます。
また、100均ストアへ行って、ちゃんと定規、コンパスも買いますわぁ。

147号では、もうUターン渋滞が始まっています。
県外ナンバーが、どんどん南下するのを見ると、今春まで同じだったな、と思いました。
大町や白馬へ来るときには、ワクワクして張り切って運転するけど、
帰るときには、道路状況を気にしながら、後ろ髪を引かれながらの運転です。
皆さん、気をつけてお帰り下さい。
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終戦の日に寄せて

2014年08月15日 06時53分55秒 | 日記
敗色濃厚となったにもかかわらず、依然抵抗を続けていた日本軍は、
戦闘機で敵の艦船に突っ込むという特攻隊だけでなく、
人間魚雷回天を開発し、まだ十代の優秀な若者を訓練・戦死させて行きました。

父は十代で招集され、終戦間際に高知県に集められた最後の二等兵でした。
そこで三人一組で爆弾を抱え、敵の戦車に飛び込んでいく訓練を受けている時に終戦を迎えています。

人の命を大事にするどころか、消耗品のように死なせてしまう、
そういう狂気になるのが戦争なのだ。
家庭に居れば、温厚で優しい父親や兄弟が、
戦場に赴けば人を殺し、残忍な行為にも及ぶ、それが戦争なのだ。
父はそう教えてくれました。

だから、終戦後大学を卒業した後、父は教育者として平和教育に力を注ぎました。
また、指導教科では「みんなで100点運動」を早くから実施していました。
平和な環境で、正しい教育を受けることのできる社会を求めて、活動しました。
弱者の立場で、社会を考えようとしていました。

周辺国家の動きと日本が向かおうとしている方向、
昨今の学校教育者の不祥事、
平和なはずの環境で起こっている残虐な殺人事件、
止まらない薬物依存、等々。
あの父ならどう分析するだろうかと考えます。

高校球児の持つ白球が、いつの間にか手りゅう弾に変わらぬよう、
陸上選手の走る先に、戦車がないように、
水泳選手のゴールに、潜水艦がないように、
大人が正しく機能して、平和を守り続けるように、祈りながら今日を迎えました。
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