今日は八女市・上陽町への石橋探訪の(その3)です。紹介は唯一つの石橋です。私は石橋について、
まったく勉強しておりませんが、昨年訪れました熊本県矢部町・通潤橋の素晴らしさを忘れられません。
この日本最大の石橋を架設したのが、肥後種山石工・丈八氏でした。この通潤橋を架設後、肥後藩より
苗字帯刀を許され、橋本勘五郎と名を改められた。
彼はご存知のように、時の明治政府から東京に招かれ、万世橋、浅草橋、蓬莱橋、江戸橋、京橋を架け、
皇居の二重橋(正門石橋)などを架設したそうです。
この偉大な石工・橋本勘五郎氏の架設した石橋を、私はこれまで、通潤橋、霊台橋、下鶴橋、小さな中道橋など
を見ることが出来ました。
そして、この洗玉橋も彼が最後に監督したとされる最後の石橋になったようです。今回の探訪で一番感激・感動
した石橋でした。だから、今日はこの洗玉橋だけ!の紹介になります。
ご覧頂いたみなさまも、私と同じような感動が味わえるようでしたら、良いのですが、いつものように紹介が不味い
ので、どうでしょうね。
本日、紹介しましたのは、次の石橋 1基です。
⑤洗玉橋
上陽町大字北川内字洗玉
星野川
橋長:32.5m 橋幅:5.0m 径間:22.5m
架設:明治26年(1893)
<<
まったく勉強しておりませんが、昨年訪れました熊本県矢部町・通潤橋の素晴らしさを忘れられません。
この日本最大の石橋を架設したのが、肥後種山石工・丈八氏でした。この通潤橋を架設後、肥後藩より
苗字帯刀を許され、橋本勘五郎と名を改められた。
彼はご存知のように、時の明治政府から東京に招かれ、万世橋、浅草橋、蓬莱橋、江戸橋、京橋を架け、
皇居の二重橋(正門石橋)などを架設したそうです。
この偉大な石工・橋本勘五郎氏の架設した石橋を、私はこれまで、通潤橋、霊台橋、下鶴橋、小さな中道橋など
を見ることが出来ました。
そして、この洗玉橋も彼が最後に監督したとされる最後の石橋になったようです。今回の探訪で一番感激・感動
した石橋でした。だから、今日はこの洗玉橋だけ!の紹介になります。
ご覧頂いたみなさまも、私と同じような感動が味わえるようでしたら、良いのですが、いつものように紹介が不味い
ので、どうでしょうね。
本日、紹介しましたのは、次の石橋 1基です。
⑤洗玉橋
上陽町大字北川内字洗玉
星野川
橋長:32.5m 橋幅:5.0m 径間:22.5m
架設:明治26年(1893)
それでは、感動の石橋、八女市・上陽 洗玉橋です。
クリックでご覧下さいね。(どんぐりさまのソースです。)
<<クリックでご覧下さいね。(どんぐりさまのソースです。)
八女市・上陽町への石橋探訪 (その3) |
洗玉橋について・上陽町説明板 |