徒然なるままに

人は一人で生きているのではない、みんなの愛の支えで生きていけるのです。
だから生ある限り、周りの人を愛していきたい。

明日は、わが身か

2015年05月10日 | 石橋紹介

 今朝は、何をするにも、気はそぞろです。

名古屋の妹が、容態がかなり悪いらしい。


 ちょっと軽く見ていたので、焦っています。

離れていると、こんな時には、戸惑いが有ります。


  

 兄貴のくせに、何の役にも立たないのが、悔しい思いだ。

先は長く無いようなので・・・


  


 ブログを書く、どころではないのだが。心が騒ぎ、自分が定まらない。

こんな時に、よく書くなあと、言われそうだが、力にはならないけど。


  


 連れ合いから、連絡はないが、かなり良くないようだが。

今更、会いに来られてもと、思っているのだろうか。


  


 早くから、うちを出て、苦労して、頑張ったのに、まだ早いよなあ。

元気で働いているとばかり、思っていたのに、苦しんでいるとは。


  


 人生には、何があるかは、誰も予測できない。

先が分かれば、良いことは無い。予測がつかないから、人生なのか。

 妹の容態が、少しでも楽になりますよう、仏様、どうぞお守りください。


 ※画像は、裏山の山桜の、色づきかけた、サクランボです。


 こんな内容ですので、コメント欄は閉じております。ご訪問、感謝しています。





故郷の石橋、田中橋

2015年04月24日 | 石橋紹介

 先日、帰郷の折、かほく道の駅から、菊鹿町方面に、進みました。

途中に寄りたい石橋がありますからね、出来るだけ、こちらに廻ります。


  

 田中橋(たんなかばし) (化嚴矼・車橋)


 この橋は、多久・椎持村の年貢を収めるのに、大切な土橋でしたが、洪水によりたびだひ

流され、往来に困っておりました。そこで、安政5年(1885)に、細川藩の許しをえて、お金を

出し合い、農民の奉仕活動で、やっと出来上がった。
 
 鹿北町で、一番古い眼鏡橋であります。

記念碑に、「藤からむ巌と化せよ車橋」と、有ります。  山鹿市の掲示板より



場所 鹿北町多久 田中(たんなか)

   岩野川

    橋長:16.7m

    橋幅:4.13m

    径間:12.7m

架設:安政5年(1858)

    石工:藤左衛門 ほか      *データは、にえもん様のHPから。


  


  

 ・上流側からの、眺めです。


  
 
 ・下流側からの、眺めです。


  

 ・橋の上部です。軽々渡れますね。 


  

 ・上流側、対岸からの眺めです。


 なかなか、立派な橋ですね。この橋の手前には、新橋が出来ています。


  

 親柱です。はっきりと。たなかばしと、ありますね。
  


 橋の手前には、二つの石碑が立っていました。




 背の高い方には、「孝子太郎右衛門の碑」と、書いてありますが、この橋を造るため、

尽力された方でしょうか、不明です。


 いずれにしても、この貴重な石橋は、郷里の宝です。これからも、大事に保存して欲しいです。

そんな想いで、後にしました。


 今朝から、これらの8枚の画像を、アップしていましたが、何時まで経っても、アップできず、

お墓参りを済ませ、昼を取ってから、アップをはじめ、やっと完了しました。

 従いまして、更新が遅れてしまいましたこと、お詫びします。

本日のご訪問、ありがとうございました。