宇宙に羽ばたく日まで

その日は、きっと来るだろう。
その日まで、地に足をつけて歩こう。
その日まで、皆んな仲良く手をつなごう。

念波(2)

2015-10-28 21:47:27 | 思ったこと
念波のことをもう少し詳しくみていきたいと思います。

念波とはこの字が示すように、今の心が発信する波動です。
ですから、私たちが何かを想えば、もう念波を発信しているわけです。

それで、私たちはこの念波の発信器でもあるし、受信器でもあります。
携帯電話が電磁波の発信機であり、受信機であるのと同じことですね。
また、携帯電話は地球人が念波を感知できるようになるまでの
補助機具とも言えますね。

ところで、私たち人間(霊魂)は目に見える肉体と目には見えない霊体とを
この世で活動するための容器として神様から頂いています。
二重の容器ですね。

肉体から出て、私たち(霊魂)の容器が霊体だけになることを
私たち地球人は「死ぬ」と言っています。
「死」とは全てが無くなることのように錯覚する唯物教育を受けてきましたので、
必要以上に私たちは死を恐れるのです。

これからは、「死」という語を死語にして!、
転生という言葉に変更すべきだと思います。

それと、霊界に転生した方の発する念は、念波と言わずに霊波といいます。
ですから、念波も霊波も本質的には同じものです。
受発信する人がこの世にいるか、あの世にいるかだけの違いのようです。


さて、
携帯電話は番号で宛先を決めて送りますが、念波も想った相手先に届きます。
しかもこれは時間空間の影響を受けずに瞬時に届きます。地球上の光の速度よりずっと速く!

送られてきた念波は霊体に敏感に影響を及ぼします。
霊体の変化が時間の経過とともに肉体に変化を及ぼします。

例えば、夫婦喧嘩など激しい口論をした場合は、音波と念波を激しく飛ばし合います。
手を出さずとも、霊体は激しく歪んでいるものと思います。
霊体の歪みはやがて肉体に影響が出てきます。

夫婦に小さな子供がいる場合、子供は親の霊体波長と近似していますので、共鳴してしまいます。
ですので、子供の病気はほとんどが親の責任なのです。

それと、不幸な気持ちで亡くなった人で、まだ地上に執着を持っている人は、
往くべきところに行けずに、まだ地上をさ迷って子孫に助けを求める方もいるようです。
そうしますと、子孫はその霊波を受信しますので、憂鬱症などになるわけです。

ここに、先祖供養の必要性があるわけです。
ですので、転生するまでに出来るだけ洗心をして、
子孫に迷惑をかけないことが必要なわけです。




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 念波 | トップ | 先祖供養 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

思ったこと」カテゴリの最新記事