宇宙に羽ばたく日まで

その日は、きっと来るだろう。
その日まで、地に足をつけて歩こう。
その日まで、皆んな仲良く手をつなごう。

葡萄の下で・・

2014-12-31 17:59:49 | 学んだこと
社交ダンスを英語で言うとソーシャル・ダンスですが、これは和製英語で、
正式名はボール・ルーム・ダンスというようです。

ですのでその名の通り、室内で踊られるわけですが、
地球よりもっと精神が進化した星では、

人々の集まる野原や山や街では、
友の歌に合わせて、人々が舞い踊る(┓^ω^)┛))♪・・らしいです。^^

これはまるで、私たちが舞台劇や映画で観るミュージカルの世界そのものですね!

この地球でもそんなことができたらなぁぁ。。と思い、
私は住宅地で周りを囲まれた畑で農作をしているのですが、
例年は畑の中央付近のスイカを育てているところに、
ピオーネというブドウの木を先月植えました。^^

以前家の裏庭に、普通よくある品種のデラウェアというブドウの木を植えて、
木はまだ細いものの、三年目にたくさん実をつけてくれましたので、
このピオーネもきっと成長してくれるだろうと思います。

それで、氣の長い話しですが、将来的に成長に合わせてブドウ棚を作って、
ブドウがたわわに実った頃、それを食べながら、
その下でダンスパーティーを催したいと思っているのです。(笑)

社交ダンスの靴のウラにはフェルトが貼ってあり、
フロアーとの間にある程度の滑りが必要なのですが、
それをどう克服するかは、おいおいの課題としたいと思います。

私がこの世にいる間には実現してみたいと思っています。(笑)

今年最後の日に、思い切って告白してみました。^^
コメント (2)
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ワルツとタンゴ

2014-12-30 17:51:50 | 学んだこと
社交ダンスの一般的な種目は10種類以上あるのですが、
その中でもよく踊られているのはワルツとタンゴだと思います。

そしてこの二つはとても対照的な性質を持っているように思います。

ワルツは3拍子のリズムに合わせて、なめらかにジェットコースターのように、
カウント1で低いところから、2で高く、2~3でまた低くなる、
というふうに音楽的にはスラーがかかったように優雅に踊ります。
原則的に、体は常に動きを止めないダンスです。
気分的にはアナログ時計の感じです。

それに対して、
タンゴは2拍子といいますか、4拍子といいますか、
行進曲?のようなリズム感のある曲に合わせて、
少し腰を落とし、頭の高さの位置は一定に保ちながら、
音楽的にはスタッカートのリズムに乗って、
急加速、急停止というふうに切れ味鋭く踊ります。
気分的にはデジタル時計の感じです。


私の好みはやはり、ワルツです。
現代文明はデジタル的ですが、自然界はアナログだから
何かしら自然なものに私は魅力を感じるからかも知れません。
まっ、これは私の感じですけれども。。。

それでは、もしよろしければ近年の世界のトップダンサーたちの

スローワルツ



タンゴ

をお楽しみ下さい。^^

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ダンスのこと

2014-12-29 13:31:28 | 学んだこと
ちょっとカタイ話が続きましたので、ちょっと柔らかい?話しを。。

私たち夫婦が社交ダンスを始めて今年でちょうど10年になります。
始めたきっかけは、映画「Shall we ダンス」を見た妻と妻の友人が
私にいっしょにダンスを始めよう(=・ω・)ノ
と誘ってくれたのと、
以前から優良星界では人々は歌とダンスを好む、ということを聞いて知っていたからです。

初めは、ダンスの練習場に行くのにも、とてもテレくさくてやってられないなぁ・・と
気持ちは尻込みしていたのですが、あの映画のようにだんだんと面白くなりました。

私は熱しやすく冷めやすいタイプですので、これだけ続けてきたのはマレです。
やはり、パートナーである妻がいてくれるおかげだと思います。

昨日はダンスパーティーに招待して頂きましたので、妻と行ってきました。
この頃は、よりダンスの楽しさを味わえるようになってきたように思います。

昨今は、ダンスが学校教育にも取り入れられるようにもなってきて、
そしてまた、歴史的にダンスがいかがわしいものとされていた、
風営法の規制からも外されるようにもなってきて、
ダンスを楽しむ者にとっては嬉しいことであります。

ところで、社交ダンスにはパーティー会場で相手を替えて楽しむダンスとは別に、
競技会場でスポーツとしてカップルで美を競う競技ダンスがあります。

ですので、ダンスをより美しく踊りたいと思う人は、やはり競技ダンスをするわけです。
美を競うわけですから、女性は華やかなドレス、男性は燕尾服に身を包むわけです。

私は美しく踊りたいとは思いますが、小さい時から競争は好きではなく避けて通ってきましたので、^^;
競技ダンスに出るのはかなり抵抗がありました。。。
しかし妻は女性ですので、やはりきらびやかなドレスを着て美しく踊りたいという変身願望があるようです。
ですので、今も年に数回は競技ダンスに参加しています。

この頃の競技ダンス会場の雰囲気は、
他より秀でたいという厳しい競技の意識から、だんだんとみんな仲良く楽しくという意識に
変わってきつつあるように思います。

これも、地球が優良星に近づいているためではないかと私は思っています。
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老と病

2014-12-28 12:23:46 | 学んだこと
それから、
老と病は今の私たちにとっては苦と感じるわけですけれども、
それらはその人の精神内容の表象である、ということです。
その人の過去からその時までの心の表現である、ということです。

ただその過去というのが今生だけでなく、たぶん前々世からのものも背負っているわけだと思います。
(前世は霊界で、前々世は地上界です。)
何ってったって、私たちは霊界と地上界を往復しながら数百万年、人間経験をしているのですものね!
(ただ、数百万年はこの地球だけでの経験ではありません。)

それで病のうち、癌は昔は業病と言われていました。
業(カルマ)とは一般的には、
その人が過去世において良くない心と行為があったことを示していますので、
この世で癌を体験して苦を味わうことによりその業が解消される、
ということのようです。

ですから、病は前々世やこの世での心と行為が原因となり、その結果が表現されて、
それで消えてゆくわけです。
ですから、こういうことを知ったなら、病はありがたいものだと分かります。

しかし、あまりにも業が深い場合は死ぬまで病いという現象は続くのだと思います。
近頃は癌も治る人が増えてきたのは、今生で解消するべき予定の業を解消できたのだと思います。


老も精神内容の表象ですから、本来は肉体年齢に関係しないのです。

私たちは地球社会に暮らしていますので、地球人類意識(年齢を重ねると老いるという意識)の影響を受け、
肉体の中に入っていますので、先祖から伝達されてきたDNAの意識の影響も受けます。

ですから、いくら私は30歳くらいの体でいたいと思っても、その影響力を避けられませんので、
世間並に60歳くらいの姿です。(笑)
ただ、ダンスもしてますので、少しは若いかも知れません!

宇宙の中には肉体寿命が数百年、数千年にも及ぶ星もあるそうです。
地球もこれからそのような優良星に少しずつ近づいてゆきますので、徐々に肉体寿命も延びてゆくのでしょう。

個人的には、
その人が自分の心を洗う努力をし、
「憎しみ、妬み、羨み、怒り、不平、不満、いらいら、せかせか」のようなマイナスの心を浄化し、
イエスさんの仰るような愛の心に少しずつ近づくに従って、
老いとか病いの現象はその人から無くなってゆく!、
ということなのでしょう。
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心の進化のお仕組み

2014-12-27 12:02:34 | 学んだこと
先ほど、この世に生まれてからもうすぐ三歳の孫と食卓で対面していると、

  よごれてしまった・・・、か・な・し・み・に。。。

と、ポカンとした顔で言ったかと思うと、その後

  あ~~、しあわせ!

と天を仰ぐようにして言いました。

私の知らない近頃流行の物語のフレーズかどうかは知りませんが、
私が三歳の頃はこんなに大人のような感覚は持っていなかっただろうな、
と思い、感心しました。(笑)

悲しみ、というのは心の汚れだったのですね!

ですから、心を洗う努力をすることによって悲しみはなくなってくる、
ということなのでしょう!

ところで、私たちは身近な人の死に接する時、悲哀の感情を発しますが、
これがよろしくない、と宇宙の叡智者は仰っています。

日本では人が死んだらお坊さんに来てもらって儀式を行いますが、
その時、参列者は押し黙ってしまい、明るい顔をすることは何となく憚られますよね!
(近頃は少しずつ明るいムードも出てきたようには思います。)

死後の世界の存在をみんなが当たり前のように知っていたら、
このような情景にはならないはずです。

例えば、私が昔子供の時に聞いたような別れの歌、憧れのハワイ航路

  晴れた空   そよぐ風
  港出船の   ドラの音たのし
  別れテープを 笑顔で切れば
  望み果てない 遥かな潮路
  あぁ憧れの  ハワイ航路

というようなイメージになるのではないでしょうか!

日本のお葬式が暗いムードであるのは、一つには仏教の根本の教えにあると思います。
四諦八正道が説かれてきましたが、
八正道は正しくても、この四諦の部分が良くないのだそうです。

四諦の中の苦諦(四苦)が生老病死であり、この四つの諦(あきら)めのことです。
この世に生まれて、老いて、病んで、死ぬ。
平たく言えば、これらは人にとって苦しみであるが、あきらめて暮せ。ということになりますね!?

生と死の正しい理解は、

この世、物質界(3次元)にいる私たちから見ると

 「生まれる」とは、霊界(4次元)から、物質界(3次元)にやってくること。
 「死ぬ」  とは、物質界(3次元)から、霊界(4次元)に行くこと。

であり、

あの世、霊界(4次元)にいる方(お霊さん)たちから見ると、
あの世は私たちのいる物質界で、この世が霊界になります!

 「生まれる」とは、物質界(3次元)から、霊界(4次元)にやってくること。
 「死ぬ」  とは、霊界(4次元)から、物質界(3次元)に行くこと。

となります。

ちょっと、こんがらがりそうですが、
宇宙の仕組みを理解するにあたり、この相対的認識が大切のようです。

生と死は宇宙の次元間移行の仕組みであるので、
それを諦めて悲しむというのは、私たちが無知であるためなのです。

(続く)
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感想

2014-12-26 10:25:22 | 学んだこと
3日かけて翻訳させてもらって、とても勉強になりました。
色々と感想を述べてみたいと思うのですが・・・、

イエスさん(・・って馴れ馴れしく呼びますが ^^;)は、
地球地上に降りてこられた2000年以上前から今も首尾一貫して、
私たち地球人に「愛」を説いてくださっているのですね。

まず、

  私はあなた方全てがそうであるように、神の愛し子の一人であり、
  ただ、あなた方より少しだけ年長で知恵のある愛に溢れた兄弟です。

と述べておられますので、
今まで、どこかで聞いた「イエス様は神の一人子である」といった認識を
まず修正すべきだと思います。
イエスさんも、私たち地球人も同じ神の子なのですね!

ただ、「少しだけ年長」といっても、これは入れ物である肉体の年齢ではなくて、
私たちそのものである魂の年齢ですので、スケールが違います。
(私たちは年齢は?と聞かれたら、肉体の年齢を答える慣習を持っています。^^)

一般的に私たち地球人の魂の年齢は、人体に宿れるようになってから数百万歳程度のようです。
それからすると、イエスさんは、数億歳程度のようです。
でも、同じく神から生まれてきた子には違いないわけです。^^


ちょっと、話しは私の個人的なことになりますが、クリスマスには特別の思い出があります。

12年前の12月24日、
私は仕事で設計図を描いていると、窓越しに父が家の前の花壇で冬の花の世話をしていました。
何かしら平和な気分を感じていました。

夕方、それまで元気だった父が胸が苦しくなったと言って寝込んだようです。
元来、医者・薬には縁のない父でしたので、母がお医者さんに来てもらおうか、というのも断っておりました。
(この点、私も父親譲りです。^^;)
それで私は、離れの二階の寝床にいた父を見舞いに行きました。
父は苦しさも収まり、もう普段通りになってきた、と言っておりました。
それで私は一安心して、そこを立ち去る時、もう一度父を振り返って見ると、
上半身を起こした父の姿がとても小さく見えたのです。
アレ?!、っと一瞬不安に思いましたが、
しばらくすると元気になってよかったという思いのためか、それも忘れてしまいました。

そして夜、私たち夫婦は妻の友人から貰ったワインをグラスに注ぎ、
乾杯をしてクリスマスの雰囲気を味わっていました。

そこへ離れから母が慌ててやってきて、「お父さんが倒れた!」っていうのです。
慌てて行ってみると、寝床で意識不明で倒れていて、息だけはしていました。
その直前は、一階のトイレで用をたし、用事をしていた母と二言三言会話をした後、
寝床についたとたんドサッと倒れこんだようで、母はその物音に気付いたわけです。

私は父を腕に抱え込み、胸の辺りを摩りながら、初めは動揺し、
父に声をかけながら、何とか意識を呼び戻そうとしましたが、
だんだん冷静になって思いました。
父が小さく見えたことを思い出し、
ああ、やはり父にお迎えの時がやってきたのかなと・・。。
それで、父の胸を摩りながら、父が安らかであるように、ということだけを思いました。

その後、救急車が来たので、妻が同乗し、
私はその後をワインは少し飲んでいましたが、母を車に乗せ運転してついて行きました。
父は救急車の中で心肺停止になったようです。

病院で蘇生措置がとられましたが、
担当医師からこの後は、胸部を開いて蘇生を試みるしかないが、どうしますか?
と私たちの意志を問われました。
母は迷っていましたが、私はもう父が転生する時だと分かっていましたので、
母の思いを静めつつ、
お医者さんには、「もうそれ以上はけっこうです、ありがとうございました。」
と申しました。

さて、
宗教や道徳では人間の死後の世界を明晰に説明しませんので、
私たち地球人は殊の外、死を恐れるわけです。

ですので、イエスさんが仰るように愛の心が宇宙で一番重要なことなことですが、
愛の心の前に、この「死に対する恐れ」を克服しなければならないと思います。
地球人類、最大の恐れだと思います。

そのためには死後の世界を理性的によく知る必要があります。

それで、私は死後の世界があることを理性的に少し学んで知りましたので、
まだ学んでおられない方に、明日からそのようなことをお伝えしてゆきたいと思います。

・・・話しが愛からそれますが、これを私の「愛」としたいと思います。^^

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「愛」である平和は内側から(3)

2014-12-25 11:51:14 | Jesus through John
(続き)

あなた方全ては、愛があらゆる争点や問題に対する答えであることを知っています。
そう、それが答えです。

それが地球の歴史上のこの時期にあなた方が肉体に入った理由です。

「歴史は勝者によって書かれてきた」という引用文を思い出してください。
そしてあなた方の態度と行動によって、
これからは「愛が歴史を書く」ということを確かなものにしてください。
なぜなら、それが平和・調和・協働の歴史になってゆくからです。
その中で人類全てのメンバーは、彼らがそうであるところの神性な存在として、
完全、最高に喜んで包み込まれ栄光を与えられるのです。


あなた方の多くは地球の平和のための瞑想に定期的に参加しています。
そうすることは、実に優れたことです。

しかし、あなた方は平和であり、その他の人たちには、
あなた方の祈りや瞑想、あるいは他の同じようなグループのそれらによって
平和がもたらされる必要がある、
とする考えを持つことには注意をしてください。

「愛」である平和は、内側からやってくるのです。

あなたが平和のうちにある時、
あなたはそれを分かち合うことを避け得ないのです。
これが平和が広がり、全てを包むしくみなのです。

平和のために祈るのと同様に平和であってください。
平和はあなたの内にあります。
しかし平和は正義・審判の下では沈んでしまう傾向にあります。


あなたが愛であろうと意図して生活し、それがうまくいっている時、
あなたの愛のエネルギー領域はあなたの周りに広がり、
それに伴って平和をもたらします。

そこでたぶん、あなたは困難な日を過ごし、愛であろうとするあなたの意思は、
あなたの意識の中に溢れ、
あなたを意気消沈させるストレスや心配によって弱まります。

そんな時には、愛の神性な炎はあなたの中で永遠に燃え続けていること、
あなたは変化するためのあなたの全ての見方のために、
ただそのことを認識し受け入れるだけでいいのです。

繰り返しますが、
このとてもめでたいクリスマスシーズンを通して、愛であってください。


一日の間にあなたに何が起こっても、
真実常に存在しているそれ(愛)を
あなたの常のパートナーとする意図を再確認してください。
そして、直接の結果としての経験である暖かさ、満足、平和を楽しんでください。

そしてもちろん、あなたのエネルギー領域は他の全ての人に影響するのです。
なぜなら、全ては一つ、永遠のものだからです。


それでは、全てのあなた方に神聖な幸せなクリスマスを。。


あなたの愛する兄弟

イエス


<完>

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「愛」である平和は内側から(2)

2014-12-24 13:47:57 | Jesus through John
それでは、続きです。

・・・・・・・・・・・・・

最近、ここ精神世界においては、私たちは際限なく「愛」について打ち鳴らしてきました。
それはとても重要なことだからです。

「愛」より重要なものはありません。
しかし、あなた方はそのことを忘れ続けています。
あるいはまた、あなた方はしばしば自身に次々とやってくる葛藤に引き込まれます。
そして、恐怖があなた方に押し寄せてきて、あなた方の中で燃えている永遠の炎に暗く重いベールを効果的にかけてしまいます。

そして、それが感じられないかのように蔽い隠されると、あなたはそこに愛が在ることを忘れてしまうのです。

ですから、あなた方が忘却を克服するように、そして愛の生きた重要性への気づきに立ち返るように、私たちはその助けのために休みなく打ち鳴らし続けているのです。


数十年前、愛が何よりも重要なことをあなた方に伝える私たちの努力は遥かに無力なものでした。
それは今日あなた方がその真実に気づいているようには、以前はあなた方は意識していなかったからです。

あなた方はここ数十年の間に偉大な精神的進化を遂げてきました。
それは私たちがかつてそのような短期間の内に可能だと想像していた以上のことでした。
ですから私たちは私たちの努力をより加速させ強めているのです。
なぜなら私たちには、
あなた方がどれほど注意を払う準備ができているか、
また、私たちがあなた方に思い出させることを続ける限りにおいて、
あなた方が一日を過ごすあらゆる瞬間にどれほど愛であることを意図するか、
ということが分かるからです。


そしてもちろん、一人の人間としての私の誕生記念日をあなた方が祝う本当の意味は、
私は、
愛を行動で示すために、
そして、あなた方自身もまたそれ(愛)を行い続けるように(今の)肉体に入ったことをあなた方に告げるために、
(地球へ)遣ってきた、
ということをあなた方に思い出してもらうことなのです。


人類愛は愛により、愛のために創造されました。
ですから、あなたがそれに注意を払わないと、悲しみがあなたを襲ってくるのです。

愛はあなたのすぐ隣りに在ります。
そして、あなたがその存在を認識し、あなたのかつての愛する心にそれを招き入れるまで、
愛は辛抱強くあなたを待ち続けているのです。


愛はあなたの天然のものです。あなたはそれ以外は持っていません。

しかしながら、あなた方が「幻想」に注意していると、それが具象化されるのが避けられないので、
愛は、
もしあなた方が愛ための時間を持っていたならば、
また、個人間・国家間にかかわらず、
あなた方の全ての争点を決定するのにそんなに忙しくしていなければ、
よかったであろう「何か」、として出現します。

そして、あなた方の注意を引くために私たちが描き続けていることは、
もしあなた方が完全に愛に意を注いでいたなら、全てのあなた方の争点や問題は溶解され、
幻想もそれらに沿うことになる、
という事実です。

クリスマスの近づいているこのクリスマスシーズンには、
私はあなた方に、あなた方の天与の光を高く輝かせ、愛を抱き、
あなたの関わる全ての人々とそれを分かち合うようにお願いします。
そうすることが、
あなた方が人類愛に捧げることのできる極限の一番有効な贈りものだからです。
そして、あなた方はその解明のために肉体に入ったのであり、
愛の欠如した問題のためではないのです。


(続く)


・・・・・・・・・・・

あと、残り1/3になりました。^^;













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宇宙で羽ばたく蝶

2014-12-24 08:48:03 | 学んだこと
今朝、表題のような記事を見つけました。↓

宇宙で羽ばたく蝶

私は何年か前、芋虫からサナギを経てチョウチョに変態する過程を想像した童話を作ったのですが、
元々、文学的なセンスは無いほうでしたので、
そのような想像が自分のどこから来たのか、今は自分であって自分でなかったような気分です。^^

それで、この記事を見て、やはり私たち人間は宇宙と無線LANで繋がっているのだろうな!、
って思った次第です。
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「愛」である平和は内側から(1)

2014-12-23 14:07:13 | Jesus through John
私が以前からチェックしていて、英語なのでほとんど読めなかったのですが、
"Jesus through John"というイエスさんの語りのブログがあります。

クリスマスも近づいて、12月16日付けの興味深そうな記事がアップされてました。
日本語訳がないかと探したのですが、残念ながら見当たりませんでした。^^;

それで、暇なので、自力で少しずつ翻訳してみることにしました。^^
私は高校で習った程度の英語力ですので、翻訳間違いもあると思いますので、
どなたかその時は指摘して頂けると嬉しいです。

・・・・・

「愛」である平和は(自分の)内側からやってきます。


私の誕生日が近づいています。(笑!)
それで私はあなた方に、それを祝う本当の意味に気づいてほしいと思います。

私はあなた方全てがそうであるように、神の愛し子の一人であり、
ただ、あなた方より少しだけ年長で知恵のある愛に溢れた兄弟です。

ですから私は、あなた方が「目覚め」のための道に留まるための手助けとなるように
ガイダンスを提示することを喜びとします。

私はあなた方に愛の贈り物をもたらしており、あらゆる瞬間に「それ(愛)」を示しているのです。
あなた方がそれを受け取るためには、ただ心を開きさえすればいいだけなのです。



とは言うものの、しばしばあなた方は、
「幻想」や痛みを伴う争いの中での日常生活の奮闘で、心をたいへん取り乱しています。
それで、あなた方は人間愛に対して、心を閉ざし、あるいはそれを防御する選択をしています!

そうです、あなたが争い事に気を取られている時、
全ての世界があなたに立ち向かってくるかのようにしばしば出現してきます。
そしてあなたがそのように感じると、
あなたのガイド(守護霊)や私に援助を得るために尋ねることをせずに、
あなたは私たちのことを忘れ、恐怖に心を閉ざしてしまうのです。


しかし、愛の神々しい領域があなた方を包み込んでいます。
地球上の全ての人は、その中に深く入り込み、
神々しい愛のそれぞれ独自の個別の炎を有しています。
そして、その人自身のあるいは他の人の、愛の言葉や愛の行動によって
(愛が)引き出されることを待っているのです。

ですから、あなたが恐怖を経験する時には、あなたは心を開く必要があります、閉ざすのではないのです。

そうすることはあなたにとっては、しばしば極めて困難なことでしょうし、
実際、極大な場合あなたはそんなこと(心を開くこと)は狂気の沙汰だと思うでしょう。

しかし、狂気の沙汰であるのは、心を閉ざすことなのです。
何故なら、そうすることは、「幻想」とのあなたの繋がりを強化することであり、
「幻想」をより現実らしく見えるようにするからです。


(続く)

・・・・・

今日は慣らしのため、この辺にしておきます。
25日までには訳し終えたいのですが・・^^;
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