宇宙に羽ばたく日まで

その日は、きっと来るだろう。
その日まで、地に足をつけて歩こう。
その日まで、皆んな仲良く手をつなごう。

体験の反復

2014-02-25 16:37:00 | 学んだこと
幼い子供が熱を出したり、お腹をこわしたりするのは親の責任だということですが、
全くその通りであることを今回私たち家族は追体験したわけです。

親の責任というと、一般によく考えられているのは、
子供を薄着にさせていなかったか?とか、何か食べ物に中ったのではないか?とか、
そういう物理的なことに注意が向きがちですが、
もちろん、そういった物理的原因もある場合もあるかも知れませんが、
ほとんどの場合は、親の発信する想念にあるのでした。

おそらく、幼い子供というのは、本人の思考がまだ発達していない純真無垢な状態ですので、
親の想念をそのまま受信して、体に反映させるのでしょうね。
親と子は霊体波長が似ていますので、共振しやすいということなのだと思います。
「子は親の鏡である」ともいいますが、
子は親の想念の結果を映している、ということなのでしょう。


普通、親にとっては小さな子供は自分よりも大切な宝物ですので、
宇宙創造神の御教えの中の「心配ごころはご法度の心」と少し聞いた?ぐらいでは、
心配するのは当たり前と思っても無理はないわけで・・・。^^;
それで、今まではS君は、
Rがお医者さんに行き、薬を処方してもらって、Rがその薬を服む服まないにかかわらず、安心した結果、
心配しなくなって熱が下がり、
元気を取り戻すといったことになっていたのではないでしょうか!?

今回はS君にとって、自分の発信した想念の作用を知るちょうどいい機会であったのだと思います。

・・・・・・

もともと人間には天の法則に基づいて、

  ○ 実際体験によって必要な多くのことを会得する方法

と、

  ○ 思弁(論理的思考)によって実際体験を補充・増補する方法

とが与えられている。

この思弁というのは、考えめぐらすことにより、常々に実際体験以上の効果を揚げ得る知的な方法である。

これを端的に申せば、
たとえば愚鈍な者は火に触れてやけどを負い、初めて火が熱いことを信ずるが、
知的な者は火の性質を学んで、火傷を負わずに火が熱いことを信ずるようなもの。

地球人はこの火に触れて初めて火の熱いことを信ずる型の者が多く、
直接至高な道を選ぶ者は少ない。
そのため、実際体験の反復が必要な訳である。

宇宙創造神の御教えに「我を折り、宜しからぬ欲を捨て」と在るのは、
この「体験の反復を容易に導く奥義」でもある。



最近自分自身思いますのは、
  今生クリアーするべきと感じる課題は、
  クリアーするまで繰り返し繰り返し繰り返し与えられているのだなぁ。。
  それがなかなかクリアーできないでいたのだなぁ。。
  しかしまぁ、少しずつ出来つつあるのだなぁ。。^^;
  クリアーすると環境は変わるのだなぁ。。
ということです。

その意味でも、人はわが師です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

念の作用

2014-02-22 22:35:27 | 学んだこと
先祖供養について書かせてもらう前に、
念の作用について丁度いい題材が生じましたので、^^
そのことから書かせてもらいます。

昨日の朝、S君が出勤前に起きてきて言うのです。
R(2才の孫)が夜中、高熱が出て上がったり下がったりで、親子3人ともほとんど
眠れなかった、とのことでした。
昼前になってから、長女がRと起きてきたといいますか、
居間のコタツにそのまま入って二人で休んでおりました。

その後私は夕方の用事を済ませた後、いっしょにコタツに入りRの面倒を見始めました。
絵本を読みながら一時間ほどいっしょに遊んでいたと思いますが、
Rはいつの間にか元気になってきて、熱も平熱になっておりました。

そこへ、Rを心配してか?、S君がいつもより早く帰宅してきて、
Rを膝の上に乗せながら夕食を取っておりました。
そうしますと、またRの熱が出てきたというのです。なるほど。。。Rを抱いてみると
確かにそうでした。
そして、「明日、・・また病院に連れていかなければ。。。」というようなことを呟きましたので、
私はちょうどいい機会だと思い、念の作用について少し説明することにしました。

  親が子供を心配する、ということは普通親なら当然のように思われているけれども、
  それは子供に悪影響を及ぼすマイナスの心であること。
  今は子供の数が少ないから、親は子供を過保護に心配をする。
  昔は子供の数が多く、子供をかまっている暇が無かったので、心配もされず、
  そのお陰で子供は自然に伸び伸びと育った。

  心配する心が幼い子供の体調を悪くしていること。
  心配して、医者、薬に頼ろうとする方向へ想いを向けるよりも、
  この子は良くなる、大丈夫!という念を発すること、これが大切。

というようなことを言いました。
すると、S君は急に明るい顔になり、Rを抱き上げながら、
「ああ、そうだったのか。。」というような嬉しそうな顔をしました。

・・そして、今朝、Rは元気よく起きてきたのはいうまでもありません。


このような簡単なことを教える学校や場所がないことが問題です。
これを知るだけでもどれだけ世の中がハッピーになるか知れません!
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

先祖供養の重要性

2014-02-20 10:08:13 | 学んだこと
また長いこと、ご無沙汰してしまいました。
ここしばらく、親族の不幸事?や、親族、家族の体の不調が重なり、妻と私はその対処に追われていました。
昨日あたりから、長女たち親子の体の不調(S君インフルエンザ、長女つわり?+インフル?、R(孫)?)もようやく峠を超えました。

TV報道でようやく?、山梨県の大雪の現地の人たちの様子が映し出され、
通行や電気が途絶えている間、ロウソクや湯タンポで凌いでいたとの事でした。

ロウソク・・、それと長女や孫の表情などから、
このところ私は先祖供養が疎かになっていたことに気付き、
昨夜、お仏壇にお光(ロウソク)を灯し、先祖供養を行いました。
そして、今朝も行ない、これからまた毎朝行なっていくことにしました。

そうして暫くしていますと、みんなが起き出してきまして、
皆んな、元の明るい元気さを取り戻してきました!

今回はS君は仕事をあまり休めないので、お医者さんに行って薬を処方してもらって服んでいましたが、
S君にも今回は病気、医者、薬の関係、免疫力強化、自然治癒力強化等を説明させてもらいましたので、
長女やRは自宅に居るだけでよく、お医者さんや薬の必要性のないことを納得してもらいました。^^

それと体の不調と先祖供養との関係を知ることもとても大切ですので、
ここでもまた、神の御教えを元に書かせてもらいたいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の現実

2014-02-04 18:25:06 | 学んだこと
やはり、「私の現実」というのは私の想念の産物であるな、ということをつくづく思います。

私の現実と言っても、その現実が直接私に有無をいわせずに影響を及ぼす現実もあれば、
テレビ画面の中の映像ニュースのような、影響のほとんどない現実もありますね。

直接的に体験する現実は、これはもう大部分が私自身の想念の結果でしょうし、
映像ニュースのような現実は、他の人の集合意識と少しの私の想念との結果なのでしょう。

昨夜また、UFOの夢を見ました。
UFOが大きな螺旋を描きながら、見る見る私の方に迫ってくるのです。
あっ、あぶない! と思いましたが、
私にぶつかったはずなのに、ぶつからずに透過してUFOの機体に乗って、
機体の色彩(白)と機体番号とロゴマークのようなものが見えたところで、残念ながら目が覚めてしまいました。^^
これも現実でしょうか!?

夢と現実の違いは何なのでしょうか。。

自分の発した想念はそれは「種」であるので、普通はいつかは必ずそれが蒔かれて現実化するわけで、
悪夢というのは、
3次元の物理的な現実になるのは可哀想だから、4次元の夢の現実の体験で済ませてもらっている、
ということだそうで、
そうであるならば、悪夢を見るというのはありがたいことなのですね。


話があちこちになりまとまらず、申し訳ないのですが、
先日、ほんの些細な事なのですが、因果関係としてはあり得ないような現実と対面しました。

それは、

私は妻とダンスするのは好きなのですが、競技ダンスはとても嫌いなのです。
しかし、妻が出よう出よう!と言うもので、気が進まないのですが、^^;
これも楽しむようにと与えられた事、と覚悟を決めて出ることにしています。

先日、2部門にエントリーして、4種のダンスを踊ることになり、
あまり練習も出来ていなかったので、妻との呼吸も合わず、ガタガタで、
初戦か2回戦で終わるつもりが、両部門ともなぜか3回戦まで駒が進んでしまったのです。
見ていたダンスの先輩が、「審査員、いいとこしか見ていなかったのね!」と妻に言っていたようです。

それで、朝早くから夕方まで競技会場にいることになったわけです。
私は洗心を志していますので、こういった場でも競技意識に影響を受けずに平静であるつもりでいたのですが、
まだ未熟で、その場の意識波動か雰囲気に影響されてか?、「競技は消えて無くなれ!」というようなきたない破壊意識が湧いてきたのです。

3回戦でさすがにお終いになり、そそくさと会場を後にして
帰路に妻と食事をした時は、気も治まらず、二人ともいつもの倍は食べました。
このきたない破壊意識はなかなか収めることがむつかしかったのです。

そして、翌日のことです。
孫が食事中にこぼしたものを拭き取ろうと、いつも置いてある洗面器の中の雑巾を手に取ったのです。
そうすると、奇妙なことに茶色く表面が汚れて乾いているのです。
「オカシイな? 汚れたままだれがここに置いたのだろう?」
と思って、流しで水洗いしかけると、黄色い汚水と共にプ~~ンとウ○チの臭いがするではありませんか!!
我が家でこの雑巾を扱うのは私だけなので、だれもそんなことはしないはずなのです。

そこで私は思いました。
物理的因果関係を追及することはもういいのだ。
これは、「私が競技会場で汚い想念を吸収し、その後始末を適切にしなかったこと」が物理的に表現されたのだと。。。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする