今日の天気は
のち
。今日も寒いわ
。
では昨日の続き
南禅寺天授庵を後にし、再び地下鉄に乗り
京阪電車に乗り換えて向かったのは東福寺。

臥雲橋から通天橋を臨む
ここは、紅葉の季節がめちゃくちゃ素晴らしいですよ~
東福寺の境内を通り、訪れたのは

東福寺 即宗院
ちなみに、東福寺三門も特別公開してはります。
今回は行ってないけど、この三門も素晴らしいですよ~

即宗院の手前にある『偃月橋』は、まるでプチ臥雲橋のよう。

…隙間がちょっと怖い
即宗院の山門には、塔頭寺院には珍しく仁王様が居はります。

小さくて素朴で可愛らしい仁王様です

吽形の仁王様。
石造りの仁王様は薩摩で見られることが多い為、
この仁王様達も薩摩から来はったと言われています。
なぜ薩摩から来た仁王様が居はるの?
それは、即宗院は1387年に薩摩の守護大名であった島津氏久の菩提を弔うため創建された寺院だからです。
江戸時代に島津義久が再興してからは、薩摩藩の菩提寺となりました。
幕末には薩摩藩士・西郷隆盛がここで討幕計画を練ったり、
鳥羽伏見の戦いではこのお寺の裏山から薩摩軍が砲撃したそうです
なので今回の特別公開では、西郷隆盛筆の書などを見ることが出来ます
また、凄いのが島津家の紋と牡丹紋の入った火鉢
牡丹紋は近衛家の紋
そうです、島津家と近衛家は親交があってんよね
再び登場のまろりんこの愛読漫画「イシュタルの娘」でも
ヒロイン小野通の旦那である近衛信尹卿の
父前久卿の代には既に薩摩とは親交があり、
信尹卿が薩摩へ配流された時も島津家のお世話になったというお話が出てきます。
この両家の紋の入った火鉢はそれはもう凄い物で
(そらお公家さんの紋が入ってるわけやから)
島津でも本流の人しか使えなかったそうです。
篤姫がこの火鉢で手を温めはったかも…とのこと

頂いたご朱印です
「月輪殿」というのは、ここがもともと関白・藤原兼実卿の別荘「月輪殿」があった場所だからです。
復元された当時のお庭を見ることが出来ます。

この時期は、お部屋からガラス越しに
ガラス越しにしか見れないので、池が心の形になってるのかは分からんかった
ちなみに、この藤原兼実卿は五摂家の一つ「九条家」の祖です。
九条家と言えば、こちらも「イシュタルの娘」に
子孫の稙通卿・兼孝卿・幸家卿が登場します。
そんなんやから、もう勝手に親近感が湧いてしもて興味深いったらありゃせんの

素晴らしいお庭の苔は、こちらの御住職が一生懸命育てはったものなんやて
凄いです~

万両も綺麗です

あっ
ハート形の石
案内の方が教えてくれはりました
即宗院を一旦出て、裏山へ

中で案内の方に「どれくらいかかりますか?」と聞くと
「5分くらいですけど、ちょっとしたハイキングになりますよ」。
「…頑張って行って来ます
」

綺麗な千両を見ながら歩いていると…

先の見えない階段登場
…これを登るのか

登り始めると、右側に羅漢さん達が。

いろんな羅漢さん。

…メガネ?
そうこうしてるうちに、すぐに着きました
5分もかからんかったかも?
息はゼーハー言うてたけど(ただの運動不足
)。
西郷隆盛が、明治維新での薩摩藩士の戦死者を弔うために自ら書いた

「東征戦亡の碑」があります。

藩士524名の名が刻まれています。合掌。
まだ時間があるなぁ。もう1ヶ所行けそう
再び京阪電車でGO
続く




では昨日の続き

南禅寺天授庵を後にし、再び地下鉄に乗り
京阪電車に乗り換えて向かったのは東福寺。

臥雲橋から通天橋を臨む

ここは、紅葉の季節がめちゃくちゃ素晴らしいですよ~

東福寺の境内を通り、訪れたのは

東福寺 即宗院
ちなみに、東福寺三門も特別公開してはります。
今回は行ってないけど、この三門も素晴らしいですよ~


即宗院の手前にある『偃月橋』は、まるでプチ臥雲橋のよう。

…隙間がちょっと怖い

即宗院の山門には、塔頭寺院には珍しく仁王様が居はります。

小さくて素朴で可愛らしい仁王様です


吽形の仁王様。
石造りの仁王様は薩摩で見られることが多い為、
この仁王様達も薩摩から来はったと言われています。
なぜ薩摩から来た仁王様が居はるの?
それは、即宗院は1387年に薩摩の守護大名であった島津氏久の菩提を弔うため創建された寺院だからです。
江戸時代に島津義久が再興してからは、薩摩藩の菩提寺となりました。
幕末には薩摩藩士・西郷隆盛がここで討幕計画を練ったり、
鳥羽伏見の戦いではこのお寺の裏山から薩摩軍が砲撃したそうです

なので今回の特別公開では、西郷隆盛筆の書などを見ることが出来ます

また、凄いのが島津家の紋と牡丹紋の入った火鉢

牡丹紋は近衛家の紋

そうです、島津家と近衛家は親交があってんよね

再び登場のまろりんこの愛読漫画「イシュタルの娘」でも
ヒロイン小野通の旦那である近衛信尹卿の
父前久卿の代には既に薩摩とは親交があり、
信尹卿が薩摩へ配流された時も島津家のお世話になったというお話が出てきます。
この両家の紋の入った火鉢はそれはもう凄い物で
(そらお公家さんの紋が入ってるわけやから)
島津でも本流の人しか使えなかったそうです。
篤姫がこの火鉢で手を温めはったかも…とのこと


頂いたご朱印です

「月輪殿」というのは、ここがもともと関白・藤原兼実卿の別荘「月輪殿」があった場所だからです。
復元された当時のお庭を見ることが出来ます。

この時期は、お部屋からガラス越しに

ガラス越しにしか見れないので、池が心の形になってるのかは分からんかった

ちなみに、この藤原兼実卿は五摂家の一つ「九条家」の祖です。
九条家と言えば、こちらも「イシュタルの娘」に
子孫の稙通卿・兼孝卿・幸家卿が登場します。
そんなんやから、もう勝手に親近感が湧いてしもて興味深いったらありゃせんの


素晴らしいお庭の苔は、こちらの御住職が一生懸命育てはったものなんやて

凄いです~


万両も綺麗です


あっ



即宗院を一旦出て、裏山へ


中で案内の方に「どれくらいかかりますか?」と聞くと
「5分くらいですけど、ちょっとしたハイキングになりますよ」。
「…頑張って行って来ます


綺麗な千両を見ながら歩いていると…

先の見えない階段登場



登り始めると、右側に羅漢さん達が。

いろんな羅漢さん。

…メガネ?
そうこうしてるうちに、すぐに着きました

5分もかからんかったかも?
息はゼーハー言うてたけど(ただの運動不足

西郷隆盛が、明治維新での薩摩藩士の戦死者を弔うために自ら書いた

「東征戦亡の碑」があります。

藩士524名の名が刻まれています。合掌。
まだ時間があるなぁ。もう1ヶ所行けそう

再び京阪電車でGO


