今日の天気は
時々
今日は大阪も寒いです。めちゃくちゃ
では昨日の続き
御霊神社を参拝した後、ちょうど公開時間になったので

相国寺 法堂へ。
相国寺は、足利三代将軍義満が
夢窓疎石を勧請開山として創建した臨済宗相国寺派の大本山です。
「相国」という名は、創建当時義満が左大臣(相国)の地位にあったため
その名が付きました。
正式名称は萬年山相國承天禅寺といいます。
相国寺は幾度も焼失と復興を繰り返しましたが、
この法堂は1605年に豊臣秀頼により再建されたもので
現存する法堂では日本最古のものだそうです。

法堂の天井には、狩野光信筆の『蟠龍図』が。
龍の下で手を打つとまるで龍の鳴き声のように響くことから
『鳴き龍』として知られています
なんでも天井が微妙にドーム型になっているからそう響くんやて~
さらにこちらの法堂には御本尊釈迦如来様も安置されています。
それは、1605年以降この法堂だけが焼けずに無事だった為
本堂も兼ねるようになったそうです。
須弥壇下部の獅子と牡丹の彫刻が素晴らしい&可愛いので必見ですよ~
ほんまめちゃカワイイ
続いて

方丈へ。
1807年に再建された方丈では
原在中筆の襖絵「中国普陀落山図」や「琴棋書画図」が公開されています。

原在中筆の『白象図』。可愛いですね~
原在中は江戸時代後期の京都の画家。
当時はまだ日本人はホンマモンの象を見たことが無かったので
インドの方から来た普賢菩薩像(象に乗ってはる)を見て
想像で描いてました。
この象さんなんて象さんそのまんまやんね
東山の養源院の俵屋宗達の象さんよりも。
あの可愛らしい象さん、大好きやけど
そう、この時はまだ原在中の事は全然知らんかってんけど
この日はこの後も彼の絵を観ることになるのだ…。
そして、方丈の真ん中の部屋に懸けられている

遠塵齋(加藤信清)が描いた軸『法華観音』は

何と全~部法華経の文字で描かれてるねん
凄い~


方丈から見た法堂。

方丈北側の、深山幽谷を表した枯山水のお庭も迫力があって凄いです。

「禅」って感じ(イメージ)

頂いたご朱印です
書かれている「無畏堂」とは、相国寺法堂の事。
「畏れること無く法を説くためのお堂」という意味だそうです。
この後は、地下鉄で移動しますよ~
続く
おお、雪降ってきたわ


今日は大阪も寒いです。めちゃくちゃ

では昨日の続き

御霊神社を参拝した後、ちょうど公開時間になったので

相国寺 法堂へ。
相国寺は、足利三代将軍義満が
夢窓疎石を勧請開山として創建した臨済宗相国寺派の大本山です。
「相国」という名は、創建当時義満が左大臣(相国)の地位にあったため
その名が付きました。
正式名称は萬年山相國承天禅寺といいます。
相国寺は幾度も焼失と復興を繰り返しましたが、
この法堂は1605年に豊臣秀頼により再建されたもので
現存する法堂では日本最古のものだそうです。

法堂の天井には、狩野光信筆の『蟠龍図』が。
龍の下で手を打つとまるで龍の鳴き声のように響くことから
『鳴き龍』として知られています

なんでも天井が微妙にドーム型になっているからそう響くんやて~

さらにこちらの法堂には御本尊釈迦如来様も安置されています。
それは、1605年以降この法堂だけが焼けずに無事だった為
本堂も兼ねるようになったそうです。
須弥壇下部の獅子と牡丹の彫刻が素晴らしい&可愛いので必見ですよ~

ほんまめちゃカワイイ

続いて

方丈へ。
1807年に再建された方丈では
原在中筆の襖絵「中国普陀落山図」や「琴棋書画図」が公開されています。

原在中筆の『白象図』。可愛いですね~

原在中は江戸時代後期の京都の画家。
当時はまだ日本人はホンマモンの象を見たことが無かったので
インドの方から来た普賢菩薩像(象に乗ってはる)を見て
想像で描いてました。
この象さんなんて象さんそのまんまやんね

東山の養源院の俵屋宗達の象さんよりも。
あの可愛らしい象さん、大好きやけど

そう、この時はまだ原在中の事は全然知らんかってんけど
この日はこの後も彼の絵を観ることになるのだ…。
そして、方丈の真ん中の部屋に懸けられている

遠塵齋(加藤信清)が描いた軸『法華観音』は

何と全~部法華経の文字で描かれてるねん




方丈から見た法堂。

方丈北側の、深山幽谷を表した枯山水のお庭も迫力があって凄いです。

「禅」って感じ(イメージ)

頂いたご朱印です

書かれている「無畏堂」とは、相国寺法堂の事。
「畏れること無く法を説くためのお堂」という意味だそうです。
この後は、地下鉄で移動しますよ~

続く

おお、雪降ってきたわ
