marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(301回目) キリスト教会の一致 (M・ルター)

2017-03-26 23:42:11 | プロテスタント
 掲題の文章はルターさんが、「ローマの教皇制」という文章の中で述べていることですが、本来の教会とはどういう事なのかをのべたことですので掲載します。
◆ひとりひとりがすべてのしがらみから離れてイエスのことばを読むことが希望ですので、キリスト教にはいろいろな宗派があるとか、難しそうな神学論争などが起こったりしているなどにふれると、イエスの言葉から離れてしまう方がいるかもしれないと思い、いや、そうものでは決してないのですよ、素直にひとりひとりがまずイエスの言葉に耳を傾けるが最優先なのですということをルターさんは言っているのです。
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 聖書はキリスト教会についてはまったく単純に、ただひとつの言い方で語っている。彼ら〔教皇主義〕がこれにほかにふたつの言い方をするようになったのだ。聖書による第一の言い方は、私たちが使徒信条において、「わたしは聖霊を信ず、また、聖徒の交わりを信ず」と祈るとおり、キリスト教会が地上におけるすべてのキリスト者の集まりである、ということである。この会衆、この集まりは、正しい信仰と希望と愛とのうちに生きるすべての者のものである。このように、キリスト教会の本質、いのち、本性は、身体的集団ではなく、パウロがエペソ人への手紙第4章〔5節〕で「一つの洗礼、一つの信仰、ひとりの主」というとおり、信仰における心の集団である。だから、身体的に互いに1000マイル離れていても、霊においては一つの集まりなのである。なぜならだれでも、ほかの人と同じように説き、信じ、望み、愛し、生きているからである。〔・・・・・〕これこそ本来、霊的一致であり、それだからこそ、人々は「聖徒の交わり」と呼んでいるのである。この一致のみがキリスト教会たらしめるに十分なものであり、これなしでは、町であろうと、時であろうと、人であろうと、行為であろうと、その他なんであろうと、キリスト教会たらしめる一致点はないのである。〔・・・・・〕
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    (世界の思想家5 「ルター」徳善義和編 平凡社 S51.12.15初版 p104) ・・・ 続きます