marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

【平和を誓った日本国憲法】改めて大きな声で読んでみよう!

2024-09-28 08:29:04 | 日記
【前文】
日本国民は・・・政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
 
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した。
 
我らは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。
 
我らは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 
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【第九条(戦争の放棄)】
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
 
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【私見】
『日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。』これは日本国憲の前文の末尾である。
 
選挙権の年齢が下がっています。若者に憲法をもっと考える言葉の提供を教育することを期待する者です。・・・

『平和を望むなら平和に備えよ!』:平和の中の不都合な真実

2024-09-26 19:30:00 | 日記
 先日、NHKで、ウクライナで、父親が息子にドローンの作り方を教えている映像が放映された。無論、ウクライナ軍に提供する(つまり爆弾を積んで適地を攻撃するため)ものである。

父親はこう語る。ウクライナには、諺となった言葉がある。それは、

『平和を望むなら、戦争にそなえよ!』という言葉である、と。

だから、子供に最終、敵の人命を損傷させるかもしれない武器をつくるのを教えるのは、国家に貢献する行為である、というのである。

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さて、この国では、総理総裁選挙が行われる中。憲法改正の議論もいつも取り沙汰されるけれど、憲法9条の実体は、殆ど閣議決定で、なし崩しの内容となって進んでいる。

国際法などでは、国家は当然、相争うものであるという設定の上での文言が並んでいるのに、僕らは、それらを冒頭から否定する崇高な言葉で語られるこの国の憲法をどう解釈し、戦うべきなのか。

この日本は、もっと議論百出、欧米では、神の存在を想定してきた政治や哲学の上に、多くの犠牲を払いながら成り立って来た、その学びを低学年からする必要があるのではないだろうか。

政治のあり方に、現実を語る言葉を少なくとも国民には教育することを重視しないように見えるこの国は、改めて『人の生態(人間学)』について、教育の上でも親をはじめ、幼小のころから学ぶ必要があるように思う。

自分という人間を自分の言葉で考える。自己否定的な面も現れるが、それを超えて、どんな人も僕らは生きる意味があるのだと。

その学びを終え、つまるところ人と言う生き物は、戦争を行う程にも馬鹿なのである、という結論に行き着く、その根源。そして、その駆逐。

ところが、その学びの過程で、現存する人自身に向かうと、生まれつきであるという、人、民族、風習、因習などに、更に能力の有り無しなどの、評価に行き着き、またもや差別が起こり、人や民族的優位が語られるという不都合な真実に行き着くというわけである。

よって、僕らが生きている意味は、それらの真実を学んでも、個人が自分と戦う(自己肯定する言葉の獲得の為に戦う)言葉を人生から学ぼうとしないといけないということなのである。

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『この国は滅びない』という思いが僕にあるのは、『我、潔ければ、汝らも潔かれ』と宣う、現存する『神』の思いに、現存する肉の人間の不浄を、超えようする修験者、あるいは僧侶が、あるいは宗教家が祈りや、厳しい修行をして来たし、今もいるからなのであろうと、思うのだ。

つまり、人が生き物としてのDNAを引きづる不条理の超克。先に述べた、個々人の不条理、人間の不条理を彼らは、代表として超越しようと心がけているように思われる。

欧米に於いては、イエス・キリストが人類の代表として(肉になった神の子)それを担ったとされる。その精神は、実は古来からこの国にも伝えられていたのである。(そもそも、修験者がそうだろうと・・・)

自己を超えようとする、僕はそれをあえて崇高な精神と呼ぼうか。それは、人の言葉を超えた異次元の世界との繋がりである。

すべては過ぎ去り、新しくなって行く。・・・・

(その4)僕らの生活:不都合な真実

2024-09-24 12:19:11 | 日記

それで、姉妹の姉が僕を乗せ、僕の車は妹さんが運転して、元旦の静かな町並みを見ながら、myhouseへ 向かう訳だ。妹さんは後ろから、僕の車に乗ってついてくる。 ・・・その先を先導する車内での、その姉との会話。

「私、今年、還暦なったでしょう。ご飯つくるの面倒臭くなったきたよねぇ。」、と言い出した。僕は、彼女の父上を知っているし、父上は独り身になって、一緒に住めば家賃が浮くと思ったが、父上とは意見があわないらしい。つまり、ざっくばらんにいろいろ話す方。

父上は、家庭を持っている看護資格を持った妹さんが、お勤めが無いとき、時折、訪問し様子を見ている。父上は年齢も年齢なので、家の中での歩行はできるが、day service の方が週2回ほど来ている。

で、彼女(姉)が食事の準備が面倒、と言い始めたので、自炊している僕は、簡単に僕らの共通する大げさな資本主義の話をし出す。何故か、一方的に退院後のことでもあり滑舌が良くなり話し出す。

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安上がりで簡単な、しかも経費の掛からない、等と言いつつ・・・モヤシは一袋28円、で軽く茹でて、お湯を切り、らっきょう酢(量の割に安いし、クエン酸が入って体によさそう)をかけて、冷蔵庫に冷やして食べる。らっきょう酢は、野菜をレンジでチンして、パックして冷やしておけば何でもピクルスになって、体にいいと思うよ、などと話す。

若い頃は、酸っぱいのは苦手だったけど、年取るとねぇ、暑さ対策にもなるし、それ腹も出てこないしねぇ、などの会話。

で、ちょと、大げさに政治経済の話へ。

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 僕がね、仕事で隣国中国の海岸部にある日本料理店(上海でも深圳でも)で、向こうの人は、生の魚はぜったい食わんのよ。寿司が流行っている今は分からんけど。今から10年以上の話。第一、不衛生なのね、取り扱いの繊細さがないので、すぐに悪くなるし、生魚は生活習慣になっていない。

兎に角、水が悪い。店長に聞くと、刺身なんて頼むと、これは築地から送られてくるものだ、と胸張っていうの。詰まるところ、生魚は日本製で、一番のうまいところ食べて貰うのだと、胸張っているのね。引率客先の所長は、これが一番うまいと蒸しパン(肉まんの皮のみの奴)を食べてたけど。

ところがだ、最近になって驚いたが何故に自国で食わない刺身のネタの魚をそこから輸出し、この国では輸入しているのか? 安いものを高く売る、その利ざやで稼ぐ。これが儲けの基本なのはわかるけどなぁ、どうなのか。

フィリピンまで行って、あるいは日本の近くまでき来て違法操業してんじゃないの。原発の汚染水といっているトリチウムはどうなの、中国沿岸には原発あるけど、どこにあるかも分からないでしょう。

原発は海岸沿いに54基もあるのね。これからも作っていくのだそうだ。一基でも爆発でもしたら、天気予報の雲や風の流れどうり、日本は終わりだな。・・・などと、暗い話になっていく・・・でそうこうしている内に自宅についた。

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お礼に四国の ”紅まどんな” というミカンを10ヶ 差し上げた。


(その3)ミニマリストと貧乏症:僕らの生活と資本主義

2024-09-22 09:14:32 | 日記

 僕らの日常、政治、経済、そして食べること。

僕が時折、共産党のことをコメントするのは、あまり勉強しとらんけど、マルクスやヘーゲルなどを基本に古典哲学からイデオロギーの基礎を固めているのであれば、「自由」という言葉や、自信があるのなら「社会主義」などとことばを若者に簡単に流布しないほうが、潔よいのではないかと思うこと。

「哲学」から来たのであれば、その「言葉とその考え自体」を哲学して欲しいと願うがためです。「戦う哲学」まで言葉を駆使して欲しいのですね。

理想を追求する、プロセス過程を追及する、常に是正を求める党である、とするならば、哲学においても、理想論ばかりでなく、国を守りたいのか、人類の普遍性を求めるのか、そこにどういう問題が生じてくるのか、もっと「人間学」について、追及していって欲しい。(それをどこまでも追求すれば、必ずキリストの死に結びついていくと僕は思っているのですが・・・。大体、彼らの哲学はそこが起源)。

誰も12000年も続いた、争いの無い時代と言われる縄文時代に戻ろうとは思わないだろうから、資本主義のぶら下がりの基に、その後の社会を求めても、到達点には行きつかないように思う。

出来事の結果系で文句を言っても、なかなか難しい。現状の不正に対する抵抗、講義は大いに結構。しかし、「解放」を掲げる「哲学」(考え)は、それ自体に先条件を設定してしまっているのは、そのこと自体がおかしい。「共産主義」という言葉で、実情を解決するには自己矛盾が生じてくるように思われ・・・、というのは、主義を掲げること自体、すでに「自由」ではなくなるから。

「社会主義」と同じです、と割り切ってしまわないと苦しいところがありますね。今は、「社会主義」という文言を、話の際は、「共産主義」の前に着けるようになりましたがね。

僕は、もっと政府の不正や欠陥を糾弾することには、そして、憲法を守り平和を求める考えには、大いに賛同するものです。それ故、せっかく、キリストの死からなってきた政治哲学までの歴史の強化を、もっとこの国にも根付かせて欲しいと思うし、だからこそ、簡単に「自由」だとか「社会主義」と同等だ、などどいい始めないで欲しいと願うのです。

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それで、貧乏性なんですが、哲学を論じ、社会を変革しようと心がけるのであれば、もっとそれらの学問から派生して、いまの自民党も、まずは、憲法自体の言葉についても、もっと真摯に考えるべし、と思うんですがね。政治哲学なんてないのね。  で、身近な僕らの生活は、次回・・・

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・・・と、ここまで書いて、共産党員の知人から、これから駅前に小池さんがくるんだけど(11時から)、聞きにいかないか、とお誘いの電話があった。

返答:「今日は日曜にですよね。日曜日は、ダメです。これから出かけますので・・・」

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今日は朝から雨である。

 


「安倍路線」継承姿勢に濃淡、石破・小泉氏は一線自民総裁選9候補「聖地アキバ」で訴え

2024-09-21 08:56:11 | 日記

  米国を決して甘く見るな!
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/sankei/politics/sankei-_politics_situation_2TSYGHTJ45PG5M6MMOCECBFVRY

総裁選で、お祭り騒ぎのようにけしかけるマスコミは、どうして政策論争をけしかけないのかなぁ。『聞く耳を持って』と総理になったのは、岸田さんだったのねぇ。つまり、威勢のいい言う事だけは、誰でも言えるよなぁ。

一番の問題は、この国の表の政策には、決して表沙汰にはならない『日米合同委員会』ですねぇ。簡単に書きますけど、将来の長期展望を見据えた米国の策には、そのレールを外れると本当に命を落としますからね。前の政権とはこういう約束してんだ、分かっているだろうな。隣国は、こういう戦略をけしかけてんだ、いいのかよ(実は米国赦してんだけど)・・・とかなんとか。

それに耐える人材は、とても困難な課題を、つまり誰がなっても、それを見据えた人がならないと非常な困難を背負うことになる。米国は、英語がすらすら話せる人がいいのだね。ちゅと半端だと、会談をおこなっても、それをまとめる官僚に、いいように英語でまとめさせてしまう。都合のいいようにまとめられて、おい、本当にこんなこと言ったのかよ、と後の祭り。(北朝鮮のトランプ会談の声明で段階でとん挫したのはこの理由)

ハーバード卒の茂木なんどがいいとは、思っているだがね。この男!先のことも分かっているし。高市さんは、日本守ろうなんだけど、大層な困難を背負うことになると思うな。

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 この夏に著者と昼食したけど、改めて、憲法や政治にも、今更ながら関心を持ってきた。大体において政治家は、全体バランスよく憲法を良く読み、理解しているのであろうか。いろいろ矛盾があるしな。

 ニャンコの生態うんぬんなんてより、人自体の歴史と生態のありようが、その仕組みのような流れにある考えが、ますます不可解に思われてきた。

そこで匙を投げることなく、残りわずかの人生なのでじっくり見て行こうと思ったしだい。・・・・