marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(847回) (その2)「言語と思考」、「精神身体医学」(ポール・ショシャール)を読む

2021-04-30 17:01:45 | 思想・哲学

 先のフロイトの本に触発され、学生時代読んだそうとう古い本だが引っ張り出して再読、「言語と思考」、「精神身体医学」。肉体も劣化して、あちこちにきしみを感じてくると、またそれなりの社会経験を積んで、赤の他人と言う生き物と接触してくると、さらに事件等のニュースを見たり、スマホ脳がどうのとか、学校にPCを導入しようとか・・などなどつまるところ人に関わることを考えうるに、それがどういうことが原因になっているのか、あるいはどのように効率化が図られ、また弊害が予測されるかなどを、自分のこととして考察する読み方に於いて、個人ではどうしようもないDNAや幼児期の環境なども含め、成長期によりそれらの弊害が無意識下に心の中に潜り込んで大人になってからの自己規制に個人の気質が作られると理解。その弊害は人生の学びの中で陶冶される。自分もふくめ、もし相手が嫌な相手であれば(なぜ、そう思うのかということも自身のことも含めて)、どうしてそうなったのかはある程度、かなりの高い確率でその原因を予測ができるようになるものだ。以前、澤瀉久敬という医学者の本も以前紹介した。特に思考や身体について書かれた本は、科学なので解明された事実を元に研究が進み、より詳しく緻密になることはあろうけれど、それも知られたところを土台として進展していくので(それが科学なのだが)、ここまで知られるようになったのであるから、これらの知識は一般常識として全人類に、「汝自身を知れ!(ソクラテスの言葉)」と周知されなければ、人は愚かなままでいがみ合っているばかりであろうと。人について、その基本の脳と言葉などを知れば僕らの戦いは、どこを目指すべきなのかはおのずと理解されてくるのではないだろうかと思われる。


世界のベストセラーを読む(846回) 再読、「言語と思考」、「精神身体医学」(ポール・ショシャール著)

2021-04-28 21:49:38 | 日記

◆性的抑圧からの精神への影響をなどばかりが言われてきたフロイトではあったけれど、後に患者の精神状態の障害にこれはかくかくしかじかなどというこじつけのようなストーリーを作るようになった後代の分析家(アメリカでは一時期非常にもてはやされた精神分析だったが)の話は、すぐこれは合わないと読むのをやめていた。それ以来、フロイトは敬遠。むしろ、同じユダヤ人でも、それは時代的に内容に精神分析にも進展があったといえば、そうなのだろうけれどアウシュビッツを生き延びた、肉体において辛苦を体験したというのが第一の理由でフランクルの著作に行き着いていることは、今までわずかであるがブログにアップしたとおり。僕は、この途中に'60年代後半のアイデンテティー(自己同一)を唱えたE・H・エリクソンがいる。◆先のフロイトの「モーセと一神教」は幼児期からの成人期、そしてその社会、土着信仰、外部からの侵入ともとれその集合体の宗教間の相克があり、合理性と衛生、それが反映とも結びつき、その契約の遵守のための細かな守りことを提示されその理由は、様々な残された証拠から推論し、モーセがエジプト人で、太陽神を唯一神を信奉していたのではないか。その太陽神とはいわば、地上に恵みをもたらす、自然に影響をあたえるが地上の人類にとっては、一方的恩恵としての宇宙神にも通ずるものだったに違いない。まさに天地創造の唯一の神の恩恵、そのシンボルとして捉えていたのではないだろうか。◆フロイトが出エジプトの歴史のそのプロセスを、精神的に人の成長期に合わせ、また幼少期の経験による無意識的抑圧として解析していく内容はとても面白く思われたのである。それを読みつつ、これも古くなった学生時代に読んだ2冊の本をひっぱり出していた。白水社文庫クセジュ「言語と思考」、「精神身体医学」(いずれもポール・ショシャール著)・・・幼少期からの影響かぁ・・・個人の人生の命の終わりまで影響をあたえるその個人ではどうにもならない肉体にまとわりついた幼少期の影響・・・続く


世界のベストセラーを読む(845回) 「モーセと一神教」:フロイト(中山元訳)

2021-04-28 20:40:01 | 日記

 ◆早速、読んだ「モーセと一神教」。モーセはエジプト人だったという仮説ただの空想話ではなく、エジプトのあの太陽神という一神教をもって華々しく反映した時代。その時代の信仰者モーセが、移住して奴隷となっていたカナン信仰をも慕う雑多なヘブル人を信奉者ファラオ、イクナートンの死後の騒乱期に引き連れて脱出する。いろいろな時代考証や記録、遺跡などから先に仮説がたてられるというより、事実であったのであろうと考える方が妥当であると、人の幼少期から自我の形成期にそれらの集団の精神のあり方を当てはめて考察する。◆幼児期の欲動が、社会にもまれ成人となるにつれそれを押さえる規律などにより奥に隠れ込んでしまうが、人生の成熟期にその幼少期の欲動が無意識的に現れでて、葛藤し、一つの精神のありようを形成していく。旧土着宗教集団から、一神教の厳しい規律の一神教を目指すモーセを殺害したことが、時代とともにわき出でてきて、自己否定的な戒律となって集団を形成していく。それぞれの集団の資料があったというその編集に祭司が行い代々、引き継がれていく・・・。◆確かに自分の言葉で読むと、不思議な決まりはあり、旅の途中で金の子牛を拝んだり、それがソロモン以降の南北分裂でも北では牛が拝まれたりしたのかは、根強いエジプトやカナンの土着宗教から来ているのかと思わせられた。それにしても極めて土着的な宗教のありようから、その編集に於いて、よりひとつ、そして何より普遍的な全人類にも当てはまる神の導きだと編集、まとめられていくのは、先に書いたように何でも知っている演出家がすでにかなり昔からこの地球上には存在していたのだ、ということが思わされてくるのだ。◆ところで、考えて見て欲しい。以降のイスラエルの歴史の中で、ディアスポラは東に向かった集団があったことを。長い年月をとおして、途中、国造りも体験しながら、牛崇拝はインドに、そして太陽を求めて東の島にまで到達した。それは日本である。日本の国旗は太陽をあらわす。彼らは争いのない理想の国造りに励んだのであると。


世界のベストセラーを読む(844回) (その2)柄谷行人「言葉と悲劇」を読む-スピノザー

2021-04-28 20:04:27 | 日記

 ◆柄谷行人の「言葉と悲劇」に”スピノザの「無限」”という章があり、その最後に彼は次のように書いている。***スピノザの姿勢は、ある意味では非常に楽天的であると同時に、とても厳しい、きついものです。「完璧な人間」ということは、途轍もなくきついことだと思います。スピノザがいたということは、僕を勇気づけてくれるのです。(p279)***柄谷の考察はスピノザについて下手に解説した本より、より正しいと僕は思う。◆大江健三郎の「私という小説家の作り方」の最終章の”小説家として生き死にすること”の後半にスピノザのことが書かれていたのを思い出した。***「私は、少なくなった持ち時間の中で、一歩進めたいと思った。そして、不信仰者としての軽薄を自覚しないのではないが、ともかくスピノザの「神」の定義に、自分をもっとも自由にし、かつさらなる深化を夢見させるものを感じていた。そこでこの思想家とその研究書を読むだけのために、残り時間を有効に使いたいと願ったのだった。そこで私は1994年初めそれを開始した。小説のナラティヴを通じてもっとも切実な課題を考えるという態度を、自分から取り除いてしまうこと。スピノザに集中すること。転換は迅速におこなわねばならなかった。そして、すでに高まっていた内部の水位は、私の予想していたより、ずっと早く、転換の水車を回した。(p187)***◆スピノザ・・・それは、僕が2016年11月30日、世界のベストセラーを読む(189回)にブログにアップした思想家(写真あり)である。僕のブログの主旨、すべてのしがらみから解放されて神を信じた最も理想に近い思想家である。


世界のベストセラーを読む(843回) 「言葉と悲劇」(柄谷行人)を読む

2021-04-28 00:34:04 | 日記

◆再読した。柄谷行人:「言葉と悲劇」の”世界宗教について” という章の中で、僕が旧約聖書の疑問に思っていたことに対しヒントをあたえてくれたこと。柄谷行人が面白いから、是非読むことをお薦めすると書かれた本が、戦時中あの精神分析のフロイトの論文をまとめた「モーセと一神教」という本だった。◆それは、疑問に思えば、勉強された牧師先生方でも公には積極的に語られない内容だろうと思われた(間違っても)。フロイトは、モーセがユダヤ人ではなく(ヘブライ人ではなく)、もともとエジプト人であったという仮説を、あの太陽という一神教に切り替え栄えたエジプトの十八王朝あたりのイクナートンの時代の衰退期の騒乱期に奴隷状態のヘブライ人(実際には雑多な多くの民衆がいたのだが)を引き連れて、脱出したのが一神教の信奉者モーセであったという内容だ。モーセはもともと土着信仰を持っていた対立する引き連れた集団から殺されたのだという仮説である。◆精神分析から、人の幼少期からの精神状態の成長期にあわせての分析が非常に面白かった。ヤーヴェ神とエロヒーム神の祭司資料などが編集されているなどと旧約聖書の学問はきりが無いほど広いけれど、これは自分の言葉で聖書を読むことを第一に薦める僕としては、編集されたのは更に時代が遡れば、当時そもそものその資料を書いた集団は、昔、読んだ天空からこの地球に飛来して、人という動物も創造したやはりとほうもなく高度に発達した神のような存在が実在すると思わざるを得なくなってくるのだった。