marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(286回目)3.11東日本大震災とイエスの言葉そして復活Ⅱ

2017-03-11 20:14:40 | 日記
 前の回からの続きです。
おとといだったか、たまたまラジオで震災を迎えて被災地福島で復興支援にかかわられているお坊さん(福島県桜で有名な三春町)で、芥川賞作家の玄侑宗久さんへの震災6年を迎えてのインタビューを聴きました。その中でアナウンサーがいろいろ悩み事とかのご相談を受けられるでしょうとの質問に、不思議なこととして、”幽霊”のお話をされたのである。口調は、以外に低調でゆっくり重かった。
◆未だ2500名ほどの方が見つかっていないのです。だから死亡届も出されていない方が多くおられるというのである。それで、お寺に来られる方は亡くなったであろう方が会いに来たという話が多いのだそうである。これを玄侑さんは、重々しく幽霊といったらいいのでしょうが・・・と話された。ただお話を聞いてあげるだけですけれど・・・と。(宗教家の方が”幽霊”という言葉をきちんと話したのを聴いたのは僕はこれが初めて)話に来られる方は少しも怖がられていないのですと。それから、仮設住宅の空き部屋から物音がするというので呼ばれて、お題目を唱えて沈めたことも多くありますと。心にきちんと念じて、きちんと成仏されるようにとお題目を唱えるとその次の日から音は収まりますと。ご自分たちはなくなったのを気がつかずに家が震災で流されたから、仮設の住宅に来られているのでしょうねと。(僕は本当に亡くなった方が気の毒に思われて仕方がない。)
◆それから、また、アナウンサーが僕が昨年の6月22日32回、8月26日110回(後半)にブログに書いたことと同じことを話されていた。たくさんのタクシー運転手の方が人を乗せて、震災の地に言って下さいと言われて乗せて現地につくとその姿が消えているということを経験されているようですねと。
◆僕は、あの世のことは分からないが、イエスはそれは地上で起こっていることなのだと言われた(ヨハネ伝3:12)。2万人以上の方が被災され亡くなり、僕らがこのような体験談を通して思うにイエスが、まさに「よくよく言っておく」と念を押されたことに、全くもって僕らはふしだらにしか生きられていないけれど、どうぞ、「地上の生涯をおえるときにはイエスよ私を覚えて下さい」といつも願っているものである。
◇(余談)ここで急に脱線ぎみのことを書かなくてはいけない。おそらく今後は書かないだろうから。この地上にいる人間は「産めよ、殖えよ、地に満てよ」において、肉においては生殖、つまり性的な欲求もなくてはならない。パウロの手紙では、独身の奨励ではあるが、結婚も禁止ではない。現にルターさんは結婚した。神の偉大なる奥義たる結婚において、このときの霊のイエスが言われた地上でのことはどうなっているのだろうと僕は時折、考えることがあった。仏教で言われてきたところの転生とか・・・。聖書を読むと当時の人達はそれらしきことも当然あることとして考えていたのだなと思われる記事がある。イエスご自身、洗礼者ヨハネのことをきたるべきエリアと告げているから(マタイ11:13-14、17:12-13、21:32、マルコ9:13)。
◇それで、僕なりに理解したこととは、そのような霊が僕らの地上にあってイエスが地上で起こっていると言われたことだが、人が誕生するときにまさに母親の体から出た来たその呼吸(息)の瞬間に神は最もその胎児にふさわしい霊を容れる(霊が入る)であろうということです。このようなところまでは聖書には書いていませんがしかし、今の自分の命がここにあるということは、代々受け継いで来たDNAがあるわけだし、最先端にある僕らは、その肉体部分(聖書でいうところの肉)においては、自分に選択の権限はない訳です。ここでそれらの自分に対して障害となる肉体(すべてではない)についても、決別しなさいとそう読み取れる言葉が出てくるのです。それを十字架につけて私に従ってきなさいとイエスは言われていると。あなたの欠陥はすべて私が背負ったからと。こういうことからいろいろ、やはり、この方以外を通さずには永遠の命には入れないのであると僕には思われてくるのである。・・・ Ω 

世界のベストセラーを読む(285回目)3.11東日本大震災とイエスの言葉そして復活Ⅰ

2017-03-11 20:13:29 | 日記
イエスが復活したこと。それを僕は震災を通してまったく不思議なこととは思わなくなった。
◆今日は特別な日です。地区の集まりで掲題、震災を覚えての礼拝に参加しました。
世界のベストセラー聖書を読むのにいかに関係があるのかですが、命に関わることですのでそれも大いに関係があり。命に関わることはあえて言うまでもないことですが世の真摯なキリスト者にとっては関係ないという方はひとりもいないだろうと僕は思います。
 あの日も晴れていました。午後2時46分僕は会社の仕事でデスクワーク、突然の揺れ、今まで体験した地震の揺れとは違うなと瞬時に思った。学生時代に学習塾のバイトでこの中学生に地震の初期微動やら縦揺れ、横揺れ、どれくらいの時間で震源地から地震が到達するかなどの子供たちの理解の困難さからどうしたものかと思案した経験の記憶があって、この地震は初期微動がとても短くドンと来たのでなぜか今まで体験したことがない地震だと・・・大変大きな異常な地震だと思ったのです。で、震源地からどれくらいかと壁の時計をすぐ見たので脳裏に焼き付いていた。隣の席の事務員がネットで震源地は福島沖でかなり近いといった。それからが大変・・・・さて、忘れてはいけないこと、これが今回の中心の課題で共に被災された方がたを覚え、思いを担うこと。
◆宗教改革から500年ということで、ルターが福音書はまずヨハネ伝を読みなさいとの勧めでこのブログ日記のはじめの方で書いてきました。今回にあたりヨハネによる福音書第3章(この章はヨハネ伝のエッセンスと僕は思う)を先に書きます(口語訳)。これは、昨年の10月1日に新約聖書神学者八木誠一さんの敷衍訳に掲載もした(敷衍訳についてはそのうち続きを再開したいと思います)。
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3イエスは答えて言われた。「よくよくあなたに言っておく。誰でもあたらしく生まれなければ、神の国を見ることはできない」。
4ニコデモは言った「人は歳をとってから生まれることがどうしてできますか。もう一度、母の体に入って生まれることができましょうか」。
5イエスは答えられた「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生まれなければ、神の国に入ることはできない。
6肉から生まれるものは肉であり、霊から生まれるものは霊である。
7あなた方は新しく生まれなければならないと私が言ったからと言って不思議に思うには及ばない。
8風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきてどこへ行くか知らない。霊から生まれる者もみな、それと同じである。
9ニコデモはイエスに答えて言った。「どうしてそんなことがありえましょうか」。
10イエスは彼に答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、これぐらいのことが分からないのか。
11よくよくあなたに言っておく。わたしたちは自分の知っていることを語り、また自分の見たことをあかししているのに、あなたがたはわたしのあかしを受け入れない。
12わたしが地上のことを語っているのに、あなたがたが信じないならば、天上のことを語った場合、どうしてそれを信じるだろうか。
〔・・・・・〕
15それは彼(イエス)を信じる者が、すべて永遠の命を得るためである」。
16神はその独り子を賜ったほどに、この世を愛してくださった。それは御子(みこ)を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
    ******************************   ・・・続きます。