marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(10回目)

2016-05-31 21:15:54 | 日記
 ◆世界のベストセラー聖書を自分の言葉で読む◆ 今日はPCがおかしくならない内にそそくさと書くぞ。昨日は暑かったからヒートアップしたのかも、記事が半分すっ飛んで消えてしまった。さて、プロテスタントの開祖ルターさんのご意見では4つある福音書の中ではヨハネ伝を読みなさいということでありました。自分で読もうとしても、最初のマタイさんの福音書は、いきなり訳の分からん系図がだらだらと出てくるからね。ま、それはそのうち読んでいくこととして、ヨハネ伝(ヨハネによる福音書のこと)には、自分の言葉で読むとイエス御自身が語られた事は次のことでありました。①御自身イエスは、父なる神とパラダイスにアブラハム(イエスの誕生より遡ること更に2000年前ほどの人)の生まれる前から永遠におられたこと、そして聖霊を送ってくださることをお話下さったこと。(ここから、父なる神、御子イエス・キリスト、聖霊というのが、神のわざとしての一体の働きとしてよく言われる「三位一体」という言葉の成り立ちとなったであろうことを発見しました。(聖書に「三位一体」と言う言葉があるわけではないが、あとでそのように整理出来るとしたことですね、人間が!←*この人間とやらがくせ者になって行くんですねぇ)②新約聖書はイエスの話や弟子の手紙などであるから当然としても、旧約(当時で「聖書」と書かれているところ)は、自分のことが書かれているのだと話されたこと。みなが先祖から聞きしたがっていたモーセは自分のことを言っているんだと。つまり、今、僕らが書店で売られて手に入る厚い聖書には本筋はイエス(つまり自分のことが)書かれているのだと言われたことを発見しました。③それから、真理の霊が、いろいろなことを教えてくださるんだよということをイエスが言われたことも発見しました。(まあ、わからないことは多々あっても最後のこの言葉を信じて、今に分かると言い聞かせ、自分の言葉で読むことを努めましょう。う~む 今後、すべては③にかかってくるなぁ)。で、それでは我々との関係は何なのよ、との次回からは少し本題に入っていくとしよう。どうぞ、ルターさんは毎日、ゆっくり、じっくり読むようにとのお勧めでしたから、解説書なしに<自分の言葉>でまず読まれることを推奨します。  前回、ギデオン協会からの新約聖書を紹介しました。今回は、うり二つの日本聖書協会からの(GOOD NEWS NEW TESTAMENT 新約聖書の写真をつけますね。和英対照です。どちらも、日本語訳はまったく同じなのに英語の方が違う英文になっているぞ、コピー元の英語の聖書が異なる聖書から持ってきているからのようです)・・・Ω

緑茶派ですよ、何と言っても!

2016-05-31 20:57:10 | 日記
 香り、それに飲むとすっきりするなぁ。カテキンとうのも入っていますしね、飲むと風邪引きませんし。静岡の人がうらやましいなと思います。昔、子どもの頃の田舎ではジュースなどというのは、無論無くてですね、おじいちゃんの膝の上で、お茶を飲んでました。それで、何故か風邪などひかず、あまり病気にもならなかった記憶がありますね。おいしく入れる温度とやらがあると知ったのは、だいぶ大人になってからですが、時折、甘く感ずる時があるのを不思議に思ったものです。で、流しのコーナーに残飯など入れる網箱などにね、お茶っぱ捨てるでしょう、でも、そこから臭いや、カビが暫く生えないのよね、これは無精だった学生時代にお茶飲んだとき、捨ててそのままにしてたとき発見したのですね。今では、このカテキンとやらが空気清浄機のフィルターにも入っているものもあるのですねぇ。緑茶ばんざい!

世界のベストセラーを読む(9回目)

2016-05-30 20:24:42 | 日記
 昨日につづき、途中までかいておりましたら突然、700字ほど文字がすべて消えましたのでこころ新たにめげずに再開。お約束のとおり、カルヴァンさんを書こうとしておりましたが、「おやめなさい」とのことだと理解し、聖書に戻ります。聖書を自分の言葉で読む・・・です。ルターさんが言われたとおり、ヨハネによる福音書には、父なる神と御子イエスの関係が良く書かれていますね。それでは、「三位一体」とよく言われますけど、この言葉はどこから来たのかイエスの言葉をさがしてみましょう。ヨハネ福音書には、父なる神、御子キリストの関係は、一体であると、み父の思いをされているのだということは、イエスの言葉として沢山書かれておりますからよろしいとして、最後の一つ、イエスがくださる御霊(みたま)=聖霊です。ヨハネによる福音書14章16節-17節aイエスの言葉です。「わたしは、父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなた方と共におらせてくださるであろう。それは、真理の御霊(みたま)である。・・・」 同 福音書15章26節「しかし、助け主、すなわち、父が私の名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起こされるであろう。」
どうでしょうか。天の父なる神、御子イエス・キリスト、そして、真理の御霊である聖霊、これは一つであるということが、イエス・キリストの言葉から分かりました。すべて、自分の言葉でイエスの言葉を読む、これほど強いものはありません。どうか色鉛筆でも鉛筆でもマーカーでもいいので、線を引きましょう。今日は、とても暑い夜、PCの調子が悪くこの辺で・・・Ω


世界のベストセラーを読む(8回目)

2016-05-29 17:55:53 | 日記

◆世界のベストセラーを自分の言葉で読む◆           数千年にわたっての出来事が書かれた聖書を読むにあたって、プロテスタントの開祖となったみなさんご存じのマルティン・ルター(Martinus Luther)の当時の考えをきいてみましょう。キリスト教の<その道を伝えようと志す方>の必読書である「キリスト者の自由」です。内容は濃いが、薄い文庫本で「聖書への序言」という文もついているもの。これもbook offで昔なので105円でした(岩波文庫)。 <その道を志す方>の必読書もう一冊は、ジョン・カルヴァン(John Calvin)「キリスト教綱要」ですね。(こちらはおそらく地方のbook offにはまずない)。この2冊はプロテスタントにおけるその道への必読書です。世界史に出てきますが、よく学ばれますように。(その道を目指さぬ人でも読めれば、大いに祝福がありましょう!!)  さて、その道を今のところ志していない僕らの今日の聞きたいところは、ルターが「新約聖書への序言(1522年)」の末尾に、「新約聖書の正しい且つ最も貴重な書はどれであるか」と題して、次のように述べているところです。「・・・あなたは今や、新約聖書中のどの書が最も優れているかを正しく判断し且つ見つけることができるであろう。(こう書いてるので薄っぺらな<内容ではなく厚みについて>本は読まんといかんということね。) すなわち、ヨハネ伝福音書と、聖パウロの手紙、なかんずくローマ人への手紙と、聖ペテロの第一の手紙とは、あらゆる書のうちで真実の中核また精髄であり、当然第一のものとせらるべく・・・・。(中とばし、終わりの段落内容は、すこし具体的になって・・・)「要するに、聖ヨハネの福音書と彼の第一の手紙、聖パウロの手紙、なかんずくローマ人、ガラテヤ人、エペソ人への手紙および聖ペテロの第一の手紙、これらの書は、たといあなたがかつてそのほかの書物や教えを見向きもしなかったとしても、あなたにキリストを示し、あなたにとって知る必要のあるしかも祝福をもたらすに足るすべてを教えるのである。」 と1522年でのお教えでございます。おう、当時の社会においてこれだけ言い切るのはスゴイことですねぇ。神の言葉を我等に!自由を我等に!イエスの語った言葉で好きな言葉 「真理はあなたがたを自由にする。」ヨハネによる福音書8章32節。プロテスタントの開祖が、我等も読めるように、命あるものすべてに神の言葉を読めるようにされたのであるから、どうぞ、肯定しても、否定をしても兎に角、離れず誰でもが、自分の言葉で読むことをお勧めするものです。今日は、脱線してしまいました。次回は、もう一人の方を少し書こうと思います。・・・Ω


世界のベストセラーを読む(7回目)

2016-05-28 12:43:15 | 日記

◆世界のベストセラー、聖書を自分の言葉で読む◆         昨日は、オバマ米国大統領が、広島の平和公園を訪れました。地方紙にもその時のメッセージが英語、日本語対訳で掲載されていました。高校生のみなさん、これは試験にでるから読んでおくように。「世界のベストセラーを読む」で始めたブログも昨日2016年5月27日のことは歴史に残ることなので、記録のために書かせてもらいました。今、読んでいます聖書に当然関わることなので・・・。オバマは大統領就任にアブラハム・リンカーン大統領の使っていた聖書に手を置いて宣誓式を行いました。彼の読書の一覧の公開された内容に、僕が読んでいた本(僕の敬愛する神学者が翻訳した)もありましたので嬉しく思ったものです。少し外れてきましたので本題に戻りましょう。             ◆叱られた教師、ニコデモ◆   さて、ヨハネ福音書のヨハネさんは、長生きをされた方のようで、新約の最後にある「ヨハネの黙示録」もその人だったのではないかと言われています。イエスに最も愛された弟子であると自分で匂わせているところは、どうかと思われますが、しかし、その通りに円熟した?福音書を残されていますねぇ。イエスに集い、その道を求めようとする者は、「わたしが選んだのだ」と言われたことは昨日、書きましたが、「否、俺が読みたいと思っただけだよ」という方もおられましょうが、これはこれで、また、自由意志という神学的課題ともなってきますから、忘れなければいずれ共に考えることといたしましょう。それにしても、イエスは、自分はもともと父なる神とパラダイスにいたのだと言われましたがパラダイスのことをもっとどうしてばんばん、数えきれない程の民衆がイエスのもとに来ていたのにしなかったのかですが、当時も今も僕らは話されても分からないから、話さなかったというのが答えになるでしょうね。(僕なりに考えた「分かるということはどういうことか」は先のブログを読んで下さい)イエスはこのように言っている箇所があるからです。ヨハネによる福音書第3章12節「わたしが地上のことを語っているのに、あなた方が信じないならば、天上のことを語った場合、どうしてそれを信じるだろうか。」確かにそれはそうだな・・・。ニコデモは、イスラエルの教師でありながら、このようなことも分からないのかとイエスに叱られています。皆さんは、聖書を読んではっきりはしないけれどなんとなく分かるような気がするな・・・と思われる方がいらっしゃるのではないでしょうか・・・・・・Ω      ※今日は一般にプロテスタント教会で一番読まれているであろう聖書の写真を掲載いたしました。(「新共同訳」日本聖書協会)