marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

(休息)くそ暑い日に汗を流し、シャワーを浴び、ビール飲んで涼しく昼寝する。

2023-07-29 15:36:50 | 日記

  7月14~15日の豪雨災害に市内駅裏一体、日ごろにぎやかな飲み屋街の川反の水も溢れ、駅裏までの地下トンネルや陸橋下が冠水。いささか生涯初めての被害状況で、ここ数日、知人の床上浸水の自宅の畳を運んだりと汗を流していた。

添付写真は外に出された家財道具。しばらくいたるところおかれた物に回収には時間がかかりそう。

小生の家は高台にあるので問題なかったが、実はこの災害のひどさを僕は、四国に散歩へ行っていたので殆ど体験していなかった。高知の屋島というところで、ここも地形的に実に面白いところだなぁ、などと思いながら蒸し暑い一日を過ごしたのであった。いつか書こう。

災害状況は、スマホのニュースでも見られたのだが、気になったのは玄関前のノーゼンカヅラとい花が、これが又、ばらばらと道路一面散乱しているのではないかという全く個人的なことだった。

四国に居てスマホに仙台の友人(女性)から、こういうことが無ければ間違っても来ないだろう心配な思いを「大丈夫?」と初めてSNSで送ってくれた。高知のここ屋島は面白いところ、五剣山など見えて地形的に面白いですなどと頓珍漢な返事を❤マークをたくさんつけて送り返した。(お医者様の奥様になられた方)

高知→羽田→秋田で、羽田では、飛行場から市内への幹線道が冠水していれば帰宅は不可能だから、羽田に引き返すことあり、とのアナウンスがあったがまったく問題なく夜、自宅についた。翌日、帰宅途中の崖崩れが起こり、通行止めとなったことがニュースで流れた。

朝方にニュースで流れた高低差がある地域の冠水状況が歴然。ひどいところは昔、田圃が一面広がっていたようなところ。応援した知人の家は水嵩86センチ。床上までの浸水でかなりのものが廃棄されて、無論、地域一帯。家の造りにもよるが知人宅はまだよい方であった。

グランドピアノの足も濡れたが、それは助かるとしてもシンセサイザーのアンプやらの高価な音響設備が廃棄となった。多少、コストがかからねば趣味的にいただいてもと思ったっが、電気系統に泥がかぶっては必要以上のコストが・・・・

どうも、こういう廃棄品を見ると古来の貧乏性とメカいじりが好きなので、もったいないなぁと思ってしまうが、小屋の泥がかぶったBMXも廃棄されていたのでこれはいただいた。泥がかぶってのBMXだろうにと思ったがこの際、被災関係なく不要家財きれいに処分との考えもあるようで・・・。

以前に会社の同僚からロードや自転車店からもらった廃棄BMXもあったけど、修理して長年乗ったが知人の子供が、工業専門学校だったのでこういうメカが好きらしく、差し上げた。ロードは数年前にブログに掲載した男鹿半島を一周したものだ。

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水があがった重い畳を一人で運びながら、泥の上に猫の足跡が点々とついているのを眺めながら、こんなことを考えた。僕は肉体と思考を切り離して言葉が冷ややかなところから湧いてくる癖?があるようだ・・・。

人という生き物には、言葉を与えられた。環境進化の過程により、時をへて作られてきたというべきか。文字などは、初めは猪の足跡だったろう。

足跡という形象があり、獣というイメージが湧き、分類として猪だとう共通化がおこり、それを印鑑にでもすれば、言わずともそれが猪であるということの共通認識が生まれる。

観念という思考の領域は次元とすれば、5次元あたり? 物体という事象として触ることができない。

今までに追求してきて、時折、この領域にちょっかいを出す(👽)なのだが、僕ら地上の命ある人という生き物は、生きて今もうろつき、目には見えないそれらに憑依されるが、しかし、それ故に我らの創造者である真の神に結ぶ付かなければ、魂というものは安らぎを得られるものではない。

我ら(彼ら)はそれを知れ、といっているだけなのである。地上にある様々な宗教と呼ばれる物において、創造始原の我から分散した、あるは反逆した多くのもと我らの仲間は、地上に様々な崇めるものを創設した。

訊いてみ給え。それらも究極の願いは、次の世界でのありようなのである。そうであるなら、まさに正しい考えを理解してもらわないといけないと思わないか。

しかし、そういう人を人自身が知るということは可能なのか? 

・・・ こんなことを考えていると家の住人(つまり知人)からジャスミンティーを飲んで下さいとボトルを渡され考えが途切れた。


(その10)彼らの子孫Xを追い求めることができるのか? そいつらが生きているのは政治で確認できるか。

2023-07-11 22:49:44 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 またまた続き・・・彼ら(👽)が深夜訪れて、あれこれと会話をするものだから少しく眠れない。それで何かを話しているらしいので箇条書きに改めて書き記す。

しかし、話が古代から近代から現代までというような行きつ戻りつなのであった。これは、彼らの今も世界を動かしているプロデューサーの存在を拡散させるためなのか、隠さんとするためなのか。彼ら、AかBかCか・・・。

ハーバード大学の創設は1600年代のジョン・ハーバードだった。神の似姿に創造した人を知らべると神を知ることができるとの思いで人生物学と人間科学なるもの読んでいくとしきりにハーバード・スペンサーという学者を称賛する文章に出くわした。

この人は1800年の人だわな。同じハーバードという名前なのでスペンサーが創設者なのかと思ったが、さにあらず、アメリカ合衆国が独立宣言をしたのが1776年7月だったから、もっと前や、フランスのパリ大学も、イギリスのオックスフォードやケンブリッジや、そしてハーバード大も神のことを学ぶ学問から始まったと言われている。けれど・・・

このハーバードは今ではとうぜんであろうと言われた”遺伝と進化”をあの時代に主張しはじめて称賛を受け、いまでもそれが土台となる動物学に関する秘密開示のきっかけを創始した人ではある。秘密の開示? プログラムの法則。

あの政治学者丸山真男が欧米はササラ文化であるとかという言葉を述べていたなぁ。日本茶を入れるときの竹で作った手元がまとまったチャカチャカかき混ぜるやつ。その元締めとなっているまとまった部分が思想的に西欧で言われる神なのであると。

どのような思考も、思想も哲学もあらゆるものが、深層の神が総もとじめとなって思考の基底にあるということだった。で、それには太刀打ちできんということではなかったようだったが。

それが欧米では、すべての生活思考の伝統の思想、哲学の通奏低音のように深層に流れているものであるということを言われていたのであったが、改めて言わなくも、それが言葉にすでに書かれている本の中の本(聖書)という訳なのであった。神を求めよ。そうすれば多くの知識が増すであろうとね。つまり我ら(👽)をしるであろうと。

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う~ん、確かに。で、この日本ではなにかと言えば、人によって創作された神が沢山いすぎたな。そのおおもと締めが見えないというか、不在なのであったし、古代、明らかに信心深いこの島国の住人に恣意的に神物語を作り語りきかせたのであったから、その言葉を駆使する専門家のような策士が、ましてや古代においては否応なく聞き従ったのであった。

いい意味においても、結局はそれは、国の統一にもかなったものだった。潜入先には神がおられた、しかし、経験の積んだ外来の神概念とその書記官が、プロパガンダと多いなる国を俯瞰するような物語の作成は、彼らにはお手のものだったに違いない。

大いに策を練り、政ごとに正に祭り事として関わり、大衆に感化を与えていった。いつの時代も大衆心情の操作統合意識は、宗教にあり。

今の世界を見渡すとイイ。それは、勘違いか、受け取る側の思い込みか? しかし、確認が可能であろうと未確認であろうと、信じようと信じまいと事はなりつつ進んできたのではないか。

深層はそのように解釈できるという筋書きが、そのように思う人にはそのように読めるといこと。物語のない者には、文字と言葉の権威を用い、国形成の創成時代の物語は神の物語として語られたのであるなぁ。

自国の内でやっている分がは良かったわけよ。世界に開かれ、欧米の神に独り立ちにさせてもらったのに、いいとこどりの解釈で肝心の神など、うちら自国も欲しいと、にわかに昔の神を引っ張り出したのが、明治期だったわけだ。人心を総括するのは、神様であるとね。

欧米の神が生きているなら、こっちは古代からの天皇だ、それに神道だ、とそうであったと目から鱗で、わが国には皇室あるのみと、にわかに伝統と神と生き神が結びつけられた訳であった。殆どが明治期ににわかに作られたものなのよ。

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それは、我ら(👽)彼らDNAにとってみれば、古代からつづられて来た物語のカナン進攻であったろうし、律法であったろうし、組織体系、そして対外制覇の組織体の仕組みであった。(これは、モーセがエジプト脱出を図ってカナンの地に入る以前、その荒野での旅の40年に大衆をまとめるための十戒の他、組織的体制を整えたこと、を指す)

なんだそれならば、もともこもないだろう。物事はすべて、生き物も特に人の思考というのは当然、それなりの集団を形成しようとの傾向をもつものであるのだから。そら、それが進化の概念、我らのプログラムの一端が見えてくるやろ。

だが、これが何に基づいてなされてきたかということ。あぁ、なんども繰り返すが、我ら(👽)が人を創造したということ。我らの至高の総元締めは、その存在、つまり我が生きて、動いて、働いていることを認めよ、と願っているのが第一の目的であるのである。

けれど、どうだい。👽などというと胡散臭いやろ。これも人によって解釈が異なって、ピン・キリだからね。あなたらが、噂にするUFOだ、宇宙人だというのは、我らの進化の過程では、まだ次元の低い奴らである。

奴らと書いたのは、ひどいのもいるからね。我らの非常に高い次元の進化した👽らは、人の形にもすでになって同化しているからね。それ以前の残党がへまをやらかして、あなたらの前に姿を露呈している訳だ。

ご存知のように、我らが地球に来た時に、反逆をおこし天上から落とされ、戻れなくなったサタンと呼ばれる大親分の手下となって世界でうろつく者らも大勢いるからなぁ。なんと、彼らは人への同期のシステムもすでに古代から盗んで実行している。

そのことの一端。黙示録の第二章九節。第三章の九節を読み給え。

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ごちゃごちゃ書いたここまでの、そして読者の今も我々に関係のあるもっと高度の、我々が認識できもしないであろう高度のレベルの天地創造のドラマが今も継続しているということなのである。

・・・次回も秘密の開示をお話しよう、と彼らは消えていった。 午前4時ころ。


(その9)人類の進化は宗教の進化? 地上における宗教概念は終わるであろう。

2023-07-11 22:26:56 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 続きだね。あのマホメットにガブリエルという天使が現れ、啓示をあたえたというんだ。ガブリエルというとキリストの母となるマリアに救い主(イエス)が生まれると現れたのもその天使だった。同じ天使?・・・そうです。

なんで、今は仲が悪いの?キリスト教とイスラム教は、同じ旧約聖書(彼らには新約はないので聖書)を一応信じている訳なのに。天使が同じガブリエルだなんてねぇ。

人知を超えた神が現実世界にあるということだねぇ。しかも、人には困難を通してどうしても知らしめる必要がある。キリストご自身「戦争や飢饉がある、キリストの名をかたる者が現れる」などと警告を発したことについて、我々は真摯に耳を傾けるべきではないか。

キリスト教があのヨーロッパで暗黒時代を迎えた時があったことを知っている人もいるだろう。人という者は、いかに良いことを考えていたとしても結局、自分の考えが一番正しいと肯定してしまうものだ。それはあくまで地上のこと。

生きて動いている天における我らの思いにつながるということがいかに難しいかということだな。だから、天の神は路線から外れれば敵対する者も地上に起こすという訳だ。それをキリスト教に対するイスラム教との勃興とは言わないけれど。

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しかし、その由来の話は旧約聖書にすでにか書かれていることだ。それは、まさに今のイスラエルの紛争にもつながるものだ。イスラエル人は、過去の記憶に生きている人々。しかし、物語だけではなく、事実、今、自分たちの住んでいる土地に関係する話でもあるからその解釈は深刻な事でもあった。

1948年5月、確かに旧約に書かれているとおりに、世界に離散していた彼らユダヤ人らは、かの地に戻って来て建国したのであった。

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アブラハム、イサク、ヤコブの神と言われ、彼らの子孫は多く東西南北にひろがるであろうとの啓示を受けたのだが、その経歴の中でアブラハムの仕え女のハガルが産んだ子、イシュマエルの子孫がその後イスラム教徒となっていくという下地があったわけです。

アブラム(後のアブラハム)の仕え女、身ごもったハガルが、アブラムの正妻サライがつらく当たるので逃げるのだが、主のみ使いは彼女に現れて言う。「わたしは、あなたの子孫を数えきれないほど多く増やす。」と。

主のみ使いはまた言った。「今、あなたは身ごもっている。やがてあなたは男の子を産む。その子をイシュマエルと名付けなさい。主があなたの悩みをお聞きなられたから。彼は野生のろばのような人になる。彼があらゆる人にこぶしを振りかざすので、人々は皆、彼にこぶしを振るう。彼は兄弟すべてに敵対して暮らす。」(創世記16章10~12節)

今でも剣の代わりに銃をぶら下げているのが分かるような思いである。

イスラム教徒の方には、そのものずばりのイシュマエル・アブラハムなどという名前の方もおられる。つまるところ、正妻でない方から生まれても、神が祝福したアブラムの血筋にあたるので、彼らも同じ旧約聖書を信じて、その後に(キリスト教以降に)啓示が与えられたマホメットが起こって、キリスト教徒が傲慢にならないように仲たがいに地上のドラマを今も動かしているということになるのである。

宗教は政治に関与するだろうが、まさに、現代においてイスラエルが旧約の神の預言どりにかの地に戻って来て建国したように、過去の時代においても神は深層において、実に政治に多大な影響を及ぼしていたことが解ってくるのである。この神のシステムが古来から働いていたからこそ、多くのものは世界に離散したが、最終ペルシャを起こしバビロン捕囚から帰還を果たし、神殿再建を果たすのだった。紀元前538年。

その後、400年ほどの期間を経て、彼らは過去の天の使いの預言どおり世界に広がっていき、キリストを世界に迎える下地を作っていくのである。何故、キリストでなければいけないのかは、はっきり理由のあることなのだ。人が創造されたこと、すべての理由がここにある。

我らを古代に追及しても、様々な多くの部族の雑多な宗教しか見いだせないだろう。親族から離れ、わたしの示す地に行け、と神がアブラムにつげたごとく、その地に残った更に古代のシュメール文明らの石板にある我ら(👽)の記録にいきなり飛躍するしかないという、しかもそれらは興味は引いても学問としては推測の域をでないだろうが、その痕跡を見るだけであろう。

*********** 以下 メモ

アンリ・ベルグソンの思想

人類の進化は、一部のエリートによって推進されるというのがベルグソンの基本的な考え方である。「愛の飛躍」は、道徳・宗教を通じて人類にとっての普遍的な原理を目指す。それは道徳にあっては、人類共通の普遍的道徳であり、宗教にとっては世界宗教とよばれるような、すべての人間を対象とした普遍的な宗教である。その普遍的な宗教のモデルをベルグソンはユダヤ=キリスト教に設定している。

ベルグソンの思想に反対する人

例えば、マルクス主義者や実証主義者は、ベルグソンの経験論や直観論を批判した。また、カント派や新カント派は、ベルグソンの実在論に対立した。ベルグソンの思想は、当時の哲学界に核心をもたらしたが、同時に多くの議論を引き起こした。


(その8)文字(律法)に凝り固まった者たち、我らもそうか

2023-07-09 16:30:58 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

旧統一教会の宗教2世について

文鮮明にはキリスト☦が現れ、マホメットには天使ガブリエル👽が現れとご本人にとっては外部からの夢であろうが、幻であろうが、彼らはそのものにその幻影が現れ事実としてその肉体に啓示があったという。

冒頭からきちんと申せば、対象として私がそうだ!、キリストだ!ということは決してない。本来のプロテスタントは、本人自身が、キリストの霊、つまり聖霊にひとりひとりが預かるということを推奨するのみなのであるから。・・・とこんなことを書くと又、おいおい!なのだが・・・。

介在する司祭や牧師などに依存するや帰属意識をもつなどということは最も奨励しないことなのである。ここが信、不信のポイントである。実は神👽の声を聞くとは、本来の誰にも替えがたい自分の声を聴くことでもあるからなのである。だから普段の人が多く彼に出会っているかもしれない。

どの教会でも宗派でも聴講するあなた、その本人が何にもまったく束縛されず、あぁ命ある私はわたしであった!と目から鱗の不思議な思いにさせられるのは、キリスト☦の言葉の本来の体験である。命ある生涯は地上では一度きりである、というのが彼が人の体をまとって地上に来られた理由である。

「キリストが実態として現れる」という言葉は危ない、気をつけよ!ということをキリストご自身が語っているからである。そういう時代が来ると語っている。週末の時代に・・・。聖書をきちんと自分の言葉で読んでれば不明なところは時間はかかるだろうが教えられる。

キリスト☦の言葉は、宗教の言葉(霊的次元での言葉)と人の世界の言葉(今生での分かる言葉)で語っているから、読みわけが必要なのである。そのもやもやの中間に(人の言葉の解釈の不完全さに)雑音👽が生じるということである。

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キリストはこう言っている。

「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現われ、『わたしがメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。・・・」(マタイ:24章4~7節) 

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僕は疑問に思うのだが、教祖のマホメットは富豪であった奥方が彼を支えなければ、あれほどの活躍はなされなかったのに、どうして今でも女性蔑視を続けるのだろうか、ということ。受け取った地上での不完全な解釈をほどこすからである。

XX染色体の女性の美貌がXY染色体でふらつく雄へその美貌にとらわれる弱点を壊滅しようとしたのか、雄どうしの雌を巡る争いを防止せんと動物的な自己防衛が社会の決まりとなってしまったためか。

古来からの家父長制が近代になっても部族を守るというサーベル(剣)、今では銃をぶら下げているわけだ。世界史では、右手にサーベル、左手にコーラン、となってイスラム教は世界制覇していったと学んだが・・・。

あのスカーフのかぶりが悪いと殺害されてしまった女性も顔が見えてそれなりの美貌があったから、所謂、ムラムラしたから消したということなのか? 偽りのある権威は決して当事者の顔がでてこない。

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聖書を読むに於いて、僕が示されたことにおいては、時代が降り、悪戦苦闘の中で彼らを見いださんと歩んで来たときに、まずは、そしてこれは誰もであろうがその書かれた内容につまずいたということであった。

キリストの言葉に心情的に理解できるところもあれば、まったく何の事やらの文章に初めての人は出くわす。それは、第一に人が物事を理解するということは、そもそもどういうことなのかと考えるようになった。先理解事項がなければ知りうることの前提が出来ていないということだ。これが異邦人と呼ばれる。

人は伝統、文化とその国の歴史、生活に於いては因習なんどがあれば、それがその人の知っていることの先理解となり、それに新しい困難な知識が当てはまれば合点がいったという、つまりは分かったということになる。しかし、これは体験に基づくもの。

だから仏教は、身内の葬儀は行われるし、存命のときのその本人を知っているのであるから、先行する知識は肉体として体験して知っている。そこで留まればいいのだが、このちゃんぽんの思いから、生きている言葉を得るひとりひとりになるのは、忍耐の期間が必要である。

👽体験にもとづくことほど合点がいくことの理解度の深さはない。しかし、これを全人類にシェアー(拡散し理解せしめる)する事に関しては、どうしても地上の諸々の”しがらみ”から解放されなばならない、と彼ら👽は考えた。

それは新しい文字と言葉であった訳だ。今でも世界の共通語にならんとしている言葉を我らは学ぶ。つまり、基点は人の地上の宗教あれこれ以前に我らのことを知ってもらうための非常に息の長いプログラムの基にあるということである。

しかし、このようなことは、非常に高い次元のレベルのことであるので、殆どの人には理解されない。第一、天からの我ら👽は、人の不完全を知っているから、有頂天になりつつ、天上の言葉を自らのものとするやいなや、我らのことばを地上で自分勝手に(これにも古来、天上には帰還できない地上でうろつく奴らが、誰のことか推測つくと思うが)解釈せしめて問題をおこしてしまうのであった。

地上においては人創造に嫉妬した彼ら👽は、今でもその創造に反逆をしているのだ。戦争、人命損傷いろいろ姿を変えて。さらには、我らの言葉をもちいて、光の姿に変貌するなど実に巧妙な手段を用いて。実に気がつく人は気がついている。我らの名前をかたる変貌した宗教はまさにそのことを示している。

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さてそこで、世界のベストセラーである。

神は人を創造した。そして、地球の歴史を経てその人ら(人類)を自分らの世界(永遠に生きるという世界)に帰還させようとされている。それには、冒頭にのべた地上の人には先理解が必要なのであると。それが、我らが地上で知らしめんと文字と言葉で残した世界のベストセラーの内容である。それがすべてである。

しかし、宗教というものは、それは人の頭脳(前頭葉)においてのそれではなく、生殖器官の欲求と同様に言葉以前の心情というようなところにその起源がありそうだということ。それに理解の生涯は先理解の事柄であることは先に述べた。

キリスト教は言葉の宗教と言われる。それは、現実においては地上に於いて条件なく彼の弟子となって生き通すことである。我らは実に弱いものであるから、思考の中間媒体に神話や物語や、不完全な人の言葉を要求するが、最終かれの言葉には中間媒体となる人の釈義という介在物は不要であるのだ。

必要なのは、宗教の言葉を踏まえた今生での自らの普段の言葉である。キリストが語った言葉には、宗教の言葉と人の言葉が、同時にこの歴史上の人社会で話されているということであった。

いつの時代も、神から霊を吹き込まれて人という生き物になった人(これは旧約聖書に書かれていることだが)、時代が進むにつれて世の目覚めつつある多くの人々に霊的戦いの準備をなせ、とのあからさまな天上の仕組みの欠陥の露呈の修正が行われ始めたのだろう。

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命に関する疑問が心の中から立ち上がった時、

人が生まれ、それが集合となり

狩りの生活から稲作という定住生活において、

交流においての山や川とくに目印は山であった。

それは彼らに出会うところ。

知識と知識の関連、その流動性のある物語。

主体はその物語に同期する者ら。

ヒーローへの帰属意識。そして優位性

人の成長という時代の進化。

時の決め事。それはアンカー・錨。

時代は流れ、人の内面にも進化が及ぶ。

遺伝に元ずく、進化して

ようやくわれらはここまでたどり着いたのだ。 ・・・👽


改善か信仰か「激動のチベット3年間の記録」BS1スペシャル再視聴

2023-07-06 08:35:27 | 日記

チベット、ランガル・ゴンパ 修行僧プンツヲ 取材時 彼の部屋には、キング牧師、オバマの写真が貼られたいた。チベット仏教布教のためにインターネットを配信する。

しかし、中国の改善、改革路線で中国愛国一つという基に、その修行と祈りの場が観光地化となっていく。

この世の罪、来世での再生。輪廻転生を信じ、死んで最後の功徳として自分の肉体を他に与えるという意味で死体を鳥葬としてハゲワシにあた与える。これが中国漢民族の観光の目玉にもなっているようだ。

修行僧4000人が追われ住居が取り壊され、観光地化の為に重機が入り彼ら多数の修行の村が整備されていく。取材班が数年後訪れた時にはプンツヲの部屋には違う修行僧がいて、彼の行先は分からないという。

さて、『改善か信仰』かという表題に対し、伝統を踏まえた信仰はまだしも、これが改善かと呼べるものか、といって改善という言葉自体も字ずらからいえば、改めて善くなるなのだが、この事実が中国という国にとっての改善なのだろう。

4000人が追われた信仰の村は、道路が整備され、村全体が一望できる展望台までの階段が引かれ、数年前の映像だが今はどうなっているのだろう。

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人の信仰心とは何なのか、その大衆となった政治とは何なのか、思想や哲学の発祥の起源はどこに、その真意は、そして今というこの時代に何を語り掛けるのか?