marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

<Ⅵ>見えない黒子の姿:自然の中で『独白』シュライエルマッハー…親愛なるXへ(その6)

2022-04-25 07:42:53 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 ◆ロックバランシング。毎年行っている田舎の山の中の誰もいない川のほとりに石を積む。五個積むのを基本としているが多く積む。今度来る夏まではどこまで残っているかな。

 ◆数年だいぶ、キャンプ用品も使っていなかった。ひとりそこで、即席ラーメンとコーヒーをいただく。山の中、ひとり。川のせせらぎと風を感じて、木々を眺める。・・・からだが自然と一体となることを感じる。

◆太陽が出るときは、日光を浴びる。”かっけ”という病気にならないために。ビタミンDの欠乏症とならないために。修行する坊さんたちが、一番なる栄養欠乏症はこれらしい。船乗りもそうだと聞いたことがある。無論、昔の話。僕の思う宗教は科学性・・・煎じ詰めると衛生面と合理性が大いに入り込む。歳を重ねるにつれ、からだも劣化し魂もさび付いてくる。自然と一体となった浄化性を僕は求めたい。

◆草花が急に成長する。太陽の恵みである。このエネルギーを不思議にも思い、与えられる無限の自然のエネルギーとして、崇めたくなる理由も分かる気分である。このような時は、外に出て体を動かす。よって、長期の机上の作業はしない。するとしてもほんのわずかな庶務のこと。長期の机上作業は、エコノミー症候群やそれに心房細動という奴には要注意、というこで老齢化が進んでは、体を動かすようにしている。

◆シュライエルマッハーという神学者・哲学者の『独白』の序文を思い出した。

『人間が人間に贈りうるもののうちで、人間が心情の奥底で自分自身に語ったものにまさる心おきない贈り物はない。それは、此の世の中で最も秘奥のものを、自由な本質を洞察する開けた、見通しのきく眼差しを相手の人に与えるからである。・・・』

◆自分自身で語ったものにまさる心おきない贈り物?・・・自分の肉体の中で(あるいは頭脳の中で)、語る自分とそして語られる自分とは誰なのか。・・・つまるところ、それも自己という言葉の呪縛から逃れられていないのではないか、と思ったりした。

自然の中で、青い空、白い雲、川の流れを見、せせらぎを聞き、木々の彩を見て、我を忘れる。・・・


<Ⅴ>黒子との対話:法律を制する者は政治を制するか…親愛なるXへ(その5)

2022-04-18 18:49:30 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 ◆黒子:深層に流れている思想なるものは、この国の古代からの、否、もっとそれ以前の地球規模のと言ったらいいか、文明の跡をその中に含んでいたと思われる。その一端が、時代の今の鎌倉殿の13人という大河ドラマに現れていると思われていると思うのだが。源は、東国武士言われる関東には、古代、多くの渡来人(帰化人)である血気盛んな(旧約聖書列王記や歴代誌参照)ユダヤ人が住んでいたのだから。古来からの政治を画策する傀儡政権を画策するようになった天皇公家政権から、大衆のものにという新しい時代が発生したのだった。本来の高い次元での黒子の願いであった。

◆つまり、思うところはこういうことだ。今までの歴史の黒幕の考え、思想というものの流れを追求すると、今や、この日本国の古代からの歴史の見直しが行われて来ているのだが、それが学問的にも流布され普遍化されるのは今から20年間後かもしれんけれども、僕らの根柢にある精神性のあり様としてこの国の歴史を考えても、そもそも、人民は宝であるという思想があったわけだが、その平等化には、どうしようもないダメな人民があれば仕組みの中で淘汰されていくという、古代からの歴史の中では、黒子のそういう基本思想に沿って、時代の為政者がプロデゥースしてきたのではなかったかということだ。

◆黒子はきっかけは作るが、決して直接、顔を出さない。バックヤードに常に控えている。時代的見方によるが黒子は、良いのもいれば悪いのもいる。

◆G: 僕が黒子の思いに浸るのは、まず、第一にそういう思考するのはユダヤ人しかいないだろうと、思っていたことです。先のブログに、第一に言葉を制する者は歴史を制す、と述べたがそこから考えて見たい。

◆彼らはまさに選ばれた民である。よくも悪くもといったらなんだが大変な苦難を背負ってきていますが、それにも耐えて曲げないところがあるわけです。天地創造来の思想が世界のベストセラーに書かれているのですが、その内容も自らのこととして、当然、今も信じて生活しているからです。今でいう旧約聖書のそれは、誰が書いたのか、実は、神はこういわれた・・・と著されているのですが、誰が、いつ、どのようにして書かれたのかは、正確には殆どわかっていないのです。書いた黒子がいたわけなのにですね。個人やあるいは集団で・・・。しかも、「神は、モーセに言った」とかなど書かれているのですから、神の霊感を受けていた人達(いわゆるレビ)か、神や天使そのものか、あるいはまったくのペテンの物語を創作しているということになるわけですね。客観的に全くの創作でないとすれば、黒子たちは、生きておられて神の霊を今も受信しているわけだ。いや、生きているのだな。(それが何故わかるかといえば、キリストが来られて神との幕屋が切り落とされ、ひとりひとりが神と交信できるようになったから、という訳なのです。)

◆黒子:古代の文明が日本にあっても、まさに古代の日本にもあひるくさもじやカタカムナ文字などなど、があったし、また、あちこちにその土地を支配するお山の大将たる豪族がいたのだけれど、それを、進んだ大陸の漢字に総まとめにして、この日本のありようを天皇を頂点にして古代からイメージつけた一族がいたのだ。その考え自体が、まさにユダヤ的だなと思っている。それが紀元前に国がなくなり離散し、東へ向かったユダヤ人たち、無論、その間、さまざまな国つくりにもかかわったわけなのだが、それを到着したこの日本の国つくりの物語、神話として創作したわけなのである。

◆聖書(旧約)の彼らの歴史において、彼らは何ゆえに預言どおりに離散するはめになったのか、彼らは何ゆえに預言通りに先祖の土地に帰還できたのか。イエスの誕生以前にも、すでに実に如実に黒子は、捕囚されたその土地で預言通りに(その敵国だった国の中枢の官僚となって、とにかく優秀だったから)政治を画策していたのである。これは、とてつもない才能なのではないか。まさに、過去と未来を予見する能力を持ち、現在のあり様を深くその為政者に影響を及ぼす天才的な才能があったと言わざるを得なくなるのですね。

◆単刀直入に述べると、こうゆことだ。言葉による八百万と言われる”神”の概念をもたらしたのは、渡来した離散して時代経てこの国に帰化したユダヤ人であろう。彼らは個々の部族に神の声を聞くレビ(日本で言えば神主)をそれぞれの礼拝所をもっていた、つまり社(やしろ)。それは古くは太陽の昇地を求めて来た鹿島、香取であって、伊勢も権威のあったレビの礼拝所であったということだ。八幡はネストリウスキリスト教に大陸で回心していた弓月国人秦氏で、古代、この一団は布教、日本の国への定着のさせ方が天皇崇拝という権威つけを避けた布教の方法が異なっていた。民衆の方を向いていたから日本中に八幡という神社やら名前があるのだ。頼朝も鶴岡八幡を崇拝していたのは対抗する根をどこにもっていたか分かるだろう。いずれ八百万というがそれぞれいた地方の豪族も何某神と名付けて、よいしょして手名付けたわけだ。

◆ここからが、仏教をも利用するユダヤ的才能を発揮するのが、神が鹿に乗って来たといわれるいわゆるのちの藤原なのです。まさに、鹿ですから先に陽が昇る古い鹿島から、神事を司るDNAを持ったレビだったから、それが政治の策士となって天皇家に入り込み(春日大社を創建)、権威をもって政治を画策する一族になっていくわけですね。この国のあり様を、言葉でもって総括的にまとめ、邪魔な神はまさに神話を作り出雲あたりに封じ込め、あるいは、蝦夷地においだした。長野の諏訪神社も古代にはみ出された神々。ここも旧約聖書の神話を古くから抱えている神社なのであるが。そういう、俺のものは俺のもの、お前のものも俺のもの、少なくても政治においては邪魔をさせない、とにかく大変な才能があったわけです。

◆蘇我一族を滅ぼした、中臣鎌足、のちの藤原鎌足、息子の不比等は超政治的天才だった。蘇我が天皇を背後に横暴を極またのに対して、自分ものちには似たようなことを背後でおこない、以降、利権はしっかり手にした。表に名前が表れた黒子となって藤原政権を作っていく。大宝律令や以降の法律を編集したのも彼ではなかったか。「日本書紀」も本来、背後で都合の悪いのは書いてないのは彼が背後でいたからではないのか。「古事記」が理路整然とまとめられているのに出だしが簡単過ぎないか。しかし、20巻もの総監的日本の出来事だと、提示されれば、当時はそういう文字もままならない時代、権威付けの本が書籍がないから、今でもこれが日本の間違いない歴史だと当時の天皇さえも思うだろうな。

◆ことしは、聖徳太子がなくなって1400年、聖霊会は行われるだろうが、聖徳太子後の一族を抹殺した背後での画策者は不比等ではなかったのか。法隆寺は、聖徳太子が建てられたと坊主も安直に言っているが、違うだろう。どうなっているんだ、この国の歴史は! 菅原道真をすっとばしたのは誰だったか。「万葉集」の中の歌聖と言われる柿本人麻呂の歌には、実の裏読みのその意味は、当時の天皇、公家政治の腐敗、敗退の痛烈な批判が隠されていたのであった。柿本人麻呂は、刑死となって津波によって今は見えなくなった島で海の底に眠っている・・・。この時代、誰が背後にいたのだろう。・・・


<Ⅳ>黒子との再会:言葉を制する者は歴史を制する・・・:親愛なるXへ(その4)

2022-04-16 14:11:05 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 『言葉を制する者は歴史を制する。律法を制する者は政治を制する。宗教を制する者は人心を制する。』

◆今回は理屈っぽい。秘密なことは最後に書いて、ほとんどの人が最後まで読めんな、というところで黒子の秘密は現れてくる。彼らは五感ではなかなか掴めないのであるけれども、僕らの背後にも控えていて、いつも語り掛けているのだけれどもね。

◆あのときから、思えばそばに誰かがいるのだ。・・・黒子との会話の再会に準備が必要と感じたのだった。これは実は僕だけではなく、誰でもがその人の人生を決定した背後での演出と、事実サポートをしている霊たちで、無関係な人はいないと思われて仕方がない。彼はそれを言わないのだから、そう考えるしかないのだ。・・・いや、いや、黒子とはどういう存在かということを言っているのだろう?。だから、そう考えるしかない、ではなく、そのように思ったということ自体、言葉が浮かんでいるということは、内容はともかく既に彼にサポートされているということなのである、と。時間的にも、今、この場で垂直次元においても階層の思考レベルに多くの黒子たちが割り込んできているのである。

◆一人ひとりの命を与えられているが故の歴史上のその訳。人が地上に命を与えられ人生を歩むのは、ひとりひとりの個人が今生で果たすべく昔からの宿題をもって生まれてきているということのように思われて仕方がない。地上の宿題が終わらなければ、また、その霊が違った人に乗り遷って人生を歩み始める。殆どの人は気が付かない。あるいは、浮遊するのをあきらめるか、過激になるか、過去生が未到達である場合に、あるいはもっと今生での生を楽しみたいか、などなど・・・。それは、人が地上に生存する霊の仕組みのあり方なのであると彼は教える。だから、年代により、環境により、人生体験により、考えがまったく、何かに憑依されたごとくに違ってしまう人が出てくるのである。年齢による肉体の衰えに対しても入り込む黒子は異なってくるようにも思える。考えは変わってくるということだ。しかも、当の本人は気が付かない。

◆思考には階層があると思われる。そう言わなくともと、表層や深層という言葉は新聞によく書かれるし、実は人の考えにも他人に対する公としての言葉と、語っている自分の自己了解のない深層がある、などである。僕らの思う次元は、縦、横、高さの三次元、これに時間軸(過去、現在、未来)を加えると四次元、さらにこれに先の表層やら深層やらの垂直次元での思考があるから、そういう領域を加味すると五次元、さらにそれにも時間軸があるとすればどうだろう、六次元? 今、僕は昨日、殆ど寝ていないのでとても眠いのだが、たんたんとタイプを打っている。第三者がこの様子を見てどこまで僕という今を理解するだろう。何を考えているかは外からは何も分からない。眠いのだが、そんな内面のことも分からないだろう。内なる言葉はどの次元に入るのだろう。まさにここが重要だ。僕はずうーとこの次元での話をして来たので。それはその内なる人のまったく第三者には分からない領域のことだから。良い黒子も、悪い黒子もこの領域に関わってくる。

◆人それぞれがそのような次元を暗黙の裡に持っているとすれば、そこにはさらに他者の領域が煩雑に組み込まれてくるわけだ。その一端として今、物理法則を書いた古代からの本を読むとする。そこに書かれた法則や数式は、発見としての伝記にはなるが、その成果はすでに目に見える機構として世のため、人のために役立っている。これは、すでに過去に書いた人は無論、今、読み学ぼうとしている人とも無縁に実績として効果の確認が第三者、これは企業かもしれないし、個人かもしれないが、その起源など分からなくても、その成果は既に汎用化され普遍化されている。・・・とすれば、その古い物事が書かれた本は、その発見者がその時代、いかに発見に至ったかなどの違った読み方となってくる。役立てようとすれば違った読み方となってくる。その時代のその人を学ぼうなどというように。

◆では、歴史書はどうか。ここからが問題なのだ。個人の歴史はその人の黒子の記憶としてしか残らないのである。ここにまず、第一の五感を制するこの現世の次元がある。集合意識としてこうであったと権威つけられ、文字(言葉)に現されたとすれば、どうか。歴史は勝者が書くものであるか、しかし、僕はあえて黒子と書いているのは、それに編集の手が加えられているという場合はどうかということ。第一の次元から言えば、僕らはこの言葉を一応受け留めなければ前に進まない。話をここからにしよう。(お分かりの様に黒子とは芝居や能などで全身黒ずくめ黒幕で顔を覆い、主人公あるいは訳者の背後にあっての所作の準備役で本来はいない人物である。)

◆僕はしばらく古代から武士の時代の歴史を考えてきた。1万4千年も続いた縄文時代において、渡来して、天皇、公家政権に統一された初代の闘争はあったがひとくくりの歴史として、その背骨に周辺にその和を広げんと歴史をまとめ、さらに時代が下り自主的な闘争を含む武士の時代、今までの仕組みはダメだ、自己という保守と民衆の利害を守るという時代に移行しつつ、しかし、その深層には根強い宗教性があったものと思われてきた。権威付けによる国の統一、武士による主体としての個々の闘争、そしてその受益の拡散、民衆の大衆化(平等化)、それが国の仕組みとしての有り様を現していく。・・・歴史はそのように動いてきたのではなかったか。実にその深層における歴史を成立させてきた黒子たちの思想は、いかなる時代においてもその根はあの世界のベストセラーに基づいていたのであると思わざるを得ない。地球人類の創世から、その歴史は誰がプロデゥースし、地上の歴史においては誰が演出しているのか、人に転生(Reincarnation)して。どう考えても深層のシナリオ・ライターが居たと思われて来てしかたがない。それは、つぎのことから推察されてきたのだった。

◇第一に世界のベストセラーは、誰が書いたのかということ。歴史として学ぶのも一苦労も、実はその背後にその編集者としての黒子がいるのではないかということ。はっきり分かっている者もいるが、世界のベストセラーには今後、少しづつ勉強していかないといけない。けれど、黒子はひとつの大きな手本を示されたということ。人類世界への異界からのシステムは、手本から現世を、さらに未来を学べと常に我々を促しているのである。そう、彼らは実に多数。良い黒子もいれば、悪い黒子もいる。良い、悪い? その判断基準・・・それは、命をどう捉えているかである。さらに伴う生きる意欲でもある。ベルクソンがエラン・ビイタル、生命のエネルギーというべきものか。しかし、光に向かう我らの希望も、光に向かう意欲の中にも次元の低い、命を死へ向かわしめているものが、反面教師の様に、あるいは生命への対抗意識の様に貼りついている。生命への自己肯定は排他となり、優位性となり他の命を阻害するものがある。日本の歴史において面に出たきた黒子(いいか、わるいか時代の判断による)をいずれ紹介する。

◇第二に普段の僕ら異邦人が素直に読んでは分からないということ。当の彼らも今とは不明となってきたということ。第一次元に執着すれば。次に僕らは異邦人であること、それは本来、読んで分かるべく先理解が不足しているということである。天地創造来と言われる先祖伝来の生死をその為にかけた歴史をもっていない、ということだ。あるとすれば、現生にて自分に関わった先祖の霊、これほど強い過去のイメージを現生につなげているイメージはないだろう。古代日本の表にでてきた背後の黒子はまさに宗教性も利用することも恐れなかった。名前は僕らも学校で習うから知らない人はいない。表に出てきた悪い黒子の背後にある黒子の思想というもの。鎌倉殿の13人などの時代において、まさに源となる黒子の復権なのであった。腐敗た天皇、公家政権や仏教界に反旗を翻した歴史であったのだ。仏教界においても淘汰の戦いがあったのは知られているとおりである。なんと人というものは罪深いものか、というまとめにいたると、浄化が始まるのでった。それがこの国の争いの歴史でもあったのである。

◇第三にたとえ、まともに読んでも、読む人は、すでに人という生き物としての良心的判断での先入観があり読みこんでしまうことであろうという困難があるということ。特に宗教書なるものは。一応、黒子の思想なるのもは宗教の教えであるというのは、昔、それは一次元の民衆に対しての勧善懲悪の奨めであった。大乗仏教として伝えられたものは、本来、あの大陸であの時代西からの様々な宗教のいいとこどりであったのが基本、それは人の良心が先理解として前提となっていた。それは釈迦の教えとは異なるものであったが、しかし、ここで人の自己肯定化する生き物としての前提となる先理解の良心が勝利したかのように見えたのだった。阿弥陀如来はイエス・キリストであった、と少なくとも浄土宗、浄土真宗では考えているとなるであろう。十字架と復活を除いて。阿弥陀如来、その像は方便であると言いているのだから。問題は本願(信仰)であると言っているのであるから。仏教も生きている霊を対象としない限り、おそらく対象としているのであろうが、死者を弔うイメージを担いでいる限り、限界があろう。真理には、近づけない。

◇第四に読んでいくと、誰かに後で編集されていることが分かってくること。編集者はだれなのか、いつ、だれが(どんな集団が)、何をもとに、誰の指令で。第一の疑問からの疑問にも関わり、その編集は、まず思考の階層(これは先に説明した次元の階層)において、さらにその階層ごとに編集者がいるようなのだ。過去から、未来から、現在において、さらに時間において・・・。ここで、”今でしょう!”という言葉がアピールするのは、瞬時、瞬時の今という時の啓示の積み重ねであるからである。と、すれば今、この時の誰でもが、自分の肉体という全体にすべてが収斂されてくる。

◆「言葉を制する者は歴史を制する。律法を制するものは政治を制する。宗教を制する者は人心を制する。」このことを分かっていたのは、天地創造来と言われてその選ばれた民族につき従い、そのときの啓示を言葉に表し紡いで来た黒子達であった。彼らは古代この日本に渡来して、この国のシナリオを描き、プロデュースしていたのである。そのような考え方ができるのは、地上で彼らしか存在しなかったからである。この日本で、古代その政治的天分のDNAをもっていた人物がいたのである。・・・


<休息2>事実は小説より生きることとはどういうことかを教えてくれる

2022-04-15 11:05:23 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 ◆先に書いた「雪国」の駒子さんのモデルとなった方の新聞記事は、小説とはかけ離れたその方の生涯を伝えているので、映画にでもなればこちらの方が真実だから、とても胸をうつものになるだろうな、と今でも思う。あの”おしん”の時代と言ったらいいのだろうか、あの貧しい時代、10歳の頃から仕事にでて奉公に励んで・・・とそれが、東北の地の貧しい生活だったけれど、それでも若い頃から芸子にでて若い時代の華やかな時を過ごしたのではないだろうか。仕事を辞めて、川端康成から貰った原稿や本を神社で焼いた、という過去の思い出からさっぱりさよならをしたところが、どういう思いだったのだろうと思うとまさに女性のドラマでしょ。その後の人生を考えた時に、今でも一人ひとりが、与えられたその人それぞれの人生を歩んでいるのだと思えば、人というのは何なんだろうと思って、あの時代、みんながそうだったのだと感動してしまう。東北は貧しかった。雪と寒さはつきものなのだ。幼い”おしん”が、奉公に出るため親元から離れ、ひとり船にのり川をくだる場面、雪をこいでくる親元から分かれる場面。そういえば、宮沢賢治の”永訣の朝”も雪の日だったな。

◆小説と言えば、文系の方の頭ではなかったので、殆ど読んでいないのだが、高校時代は、五木寛之のファンだった。大陸からの引き揚げ者で筑豊での若いころが”青春の門”に描かれているけれど、”青年は荒野をめざす” とか ”青ざめた馬を見よ” とか、”ソフィアの秋” とか・・・、彼の小説は高校の夏休みに布団の中で、外がしらじらと明るのを感じながら読んだことを覚えている。『若者は朝、日の出と共に出発する。』・・・これが、若いころの将来に対する漠然としたイメージだった。彼の小説からは、すべてに渡って人生の悲哀というものを教えられたなぁ。石原慎太郎が亡くなられて、この方は小樽の船漁具などの備品を扱う裕福な家庭の御曹司で、それからの高度成長期に入りたての時代に ”太陽の季節” などを書いたけれど、彼がクルーザーなどに乗っている時、五木寛之は早稲田を受けるために九州から上京して、寝るところと金がなかったので早稲田大門の正面にある虫封じとかの神社の縁の下に寝たとか。血を売って(献血して)生活をしのいだとか、そんなことが書いてある表紙に村上豊のイラストの入ったエッセイの文庫「風に吹かれて」を持って、僕は親父の仕事の関係で仙台を離れたのだった。これはその人の性格か、僕は小説を読んでも何故か悲哀を感じてしまう。小さな頃から雪国に育ったせいなのかもしれない。・・・


☕<休息>川端康成「雪国」の草稿案原稿の発見?!

2022-04-06 12:25:52 | 小説

 ”国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。・・・” 

◆雪国に住んで、冬、夜の列車にも乗ったことがある僕はこの冒頭が好きだった。「雪国」の最後は、主人公の島村が天の川を見上げる場面で終わっているが、このたび見つかった川端康成の「雪国」の結末は「狂った葉子は、駒子を思い、島村を殺した」!と、なるかも知れなかったと、そういう草稿案メモであったというのである。こう言う結末だと、高校の教科書には載らないのではなかったか。どうだろうか。しかし、そうでなくとも島村との再会とのやりとりの部分は、全文読めば生徒には知られてはいけないようなちょと色物だから。理系の方に進もうとしている僕にとっては、かったるくて仕方がなかったのだが、雪国に住んでいる僕にとっては、川端康成の教科書に載った部分のみ、島村が列車の中での葉子を見ながら窓に映る夜の外の情景はよくわかったし、当時の蒸気機関列車の夜の風景とダブらせながら文章を運んで行く様は、うまいなぁ、と思ったのだった。「雪国」はよく芝居にもなっていたな。

◆しかし、内容は同じく僕にとってはかったるかった、というより異性については思うことを強いて否定したきていたことからなのだろうと今では思われる。心理的反抗期か性的には関心があっても実際は異性との交渉どころか苦しいという感じで疾風怒濤の時代だった。ノーベル賞は、情景描写のうまさということになるのだろうか。そういう僕も、年取ってからの心の変化というか、生活臭から離れた男女間の心情のやり取りというのは、お互い、特に男は実際から離れた男女間の心のやりとり観念を勝手に遊ぶものなのだろうと思ったりする。現実に生きる人の生き様は小説より胸を打つのではないかと、掲載の新聞の切り取りを文庫本に挟んでいた。あの時代とその人の年齢とか立場とか・・・。

『小高さんは1915年(大正4年)11月23日、同市の生まれ。10歳の頃から新潟県長岡市や「雪国」の舞台となった同県湯沢町の置屋で「松栄」の名で芸者として働いていた。川端が初めて湯沢を訪れたのは34年の冬。川端は高半旅館(現・雪国の宿高半)に宿泊し、当時19歳だったキクさんが呼ばれ、酒の相手をした。川端は36年まで、湯沢を訪れるたびに高半旅館の二階の「かすみの間」に泊まり、キクさんを電話で呼び出したという。キクさんは40年、24の時に芸者をやめた。湯沢町の神社で川端にもらった原稿や本をすべて焼き捨てて三条市へ帰り、小高久雄さんと結婚。以降、和服仕立て屋の女将として暮らした。その後、川端との交流はなかったが、川端がノーベル賞を受けたのを聞き「あの人も世界の先生になりよございましたの」と越後なまりで答えたという。亡くなる間際、「最後は静かに送ってくれ」との遺言があり、葬儀・告別式は三条市内で親族のみで営まれた。』

◆作家というのは、なにがしかの偶像をもってそれに、言葉を紡いでいくものなのだろう。短い言葉で的確に、表現されているか、あるいは、情景描写や心理描写が言葉すくなに暗示されているかなど・・・。川端は、女性に対する淡い観念的なイメージをずぅうと引きずっている作家だった。それが、途絶えたとき、彼は自分から今生での生をやめたのだった。・・・