marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(293回目)神のことばゆえ迫害を受けているすべての人に対する回状Ⅴ(M・ルター)

2017-03-18 19:02:53 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教
 前回からのルターの表題文内容の続きです。何を言わんとしているか、ひとりひとりがイエスの言葉をとらえることそれにつきます。従って、万人祭司、すべての組織のしがらみからの解放を意味します、。それでは・・・
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 神はバラムをとおしてもイザヤをとおしても、カヤパをとおしてもペテロをとおしても、いや、ろばを通してもお語りになることができます。私も、この方にしかと固着します。私自身もルターをしりません。知ろうとも思いません。私は彼ルターについてなにも説教しません。キリストについて説教するのです。悪魔はできさえすればルターを手にいれたいところでしょう。しかし、キリストをどうしようもないのですから、私たちも安泰という訳です。
 それゆえ、今や私たちの思いはこうでなければなりません。私たちが、すべての憐れみと慰めの父である神に感謝し、私たちの信仰がことばにおいてでなく、力においてであるよう、これからは私たちの身を整えるという思いです。すなわち、聖パウロはコリント人への手紙第三章〔実は4:20〕で、「神の国はことばにおいてではなく、力においてである」と言っているからです。私たちがそれについてうまく語ったり、書いたりできるというのでは十分でありません。私たちが私たちの愛や慈愛を、友や敵にも差し伸べて、生活と行為とが真理の証をしなくてはなりません。(以下、教皇派の否定を語っています〕
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 表題のルターの文は、ここまでとします。
 文中、バラムやイザヤは旧約聖書の中に、カヤパやペテロは新約聖書の中に出てきます。ろば?・・・これは旧約の民数記第22章22節から35節です。
 ろばが主人であるバラムに口をきいたのです。バラムがろばに乗り、石垣に挟まれた細い道を行くろばがそこで動かなくなったのです。ろばには主の御使いが道を塞いでいたのが見えたのですが、バラムは分からず、うずくまってしまったろばを三度ビシビシと打ったのです。すると、ろばが口をきく。・・・その部分書いてみます(新共同訳)。民数記第22章27節から
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 27:ろばは主の御使いを見て、バラムを乗せたままうずくまってしまった。バラムは怒りを燃え上がらせ、ろばを杖で打った。
 28:主がそのとき、ろばの口を開かれたので、ろばはバラムに言った。「わたしがあなたに何をしたというのですか。三度も私を打つとは。」
29:バラムはろばに言った。「お前が勝手なことをするからだ。もし、わたしの手に剣があったら、即座に殺していただろう。」
30:ろばはバラムに言った。「わたしはあなたのろばですし、あなたは今日までずっとわたしに乗ってこられたではありませんか。今まであなたに、このようなことをしたことがあるでしょうか。」彼は言った。「いや、なかった。」
 31:主はこのとき、バラムの目を開かれた。彼は、主の御使いが抜き身の剣を手にして、道に立ち塞がっているのを見た。彼は身をかがめてひれ伏した。
 32:主の御使いは言った。「なぜ、このろばを三度も打ったのか。見よ、あなたはわたしに向かって道を進み、危険だったから、わたしを妨げるものとして出てきたのだ。
 33:このろばはわたしを見たから、三度わたしを避けたのだ。ろばがわたしを避けていなかったら、きっと今は、ろばを生かしておいてもあなたを殺していたであろう。」
 ・・・動物の物言いの漫画はすべてこのあたりからの採用かな。次回は、文中の「神の力」について読んでみます。・・・