marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(665回) 外国の神々をとりのぞく戒めは唯一の神を第一とするため

2020-04-29 18:27:03 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

また、急に堅苦しく・・・永遠の命を求める世界の人々にとって大切な意味を意味をもつ、あの旧約のヨセフ物語。

◆イエスの教えは弟子たちの宣教によって世界の宗教になった。それは、僕らのこの国では歴史上の政治的な意味合いで仏教としての儀式をほとんど人は執り行っているけれど、多くの人の心の中でのその求めるものは、あのエジプトの宗教儀式で葬儀は行ったが、それは地上の自分のいた国でのひとつの儀式、彼ヨセフは、天地を創造され、人に霊を与え、永遠の住まいを備えられていると信じた唯一の神のもとに帰ることを願ったのだった。おそらく、路線がこの地上にとどまるだけの宗教でなければ、どの宗教でも永遠の命とその祈りを心の中に持っているものだと信ずるものである。・・・ここからが急に難しくなる。・・・

◆人とはいかなるものか。大衆になると考えがまったく変わるものにはならないか。考えが時代に制約されるものではないか。甘くなり緩くなるものではないか。天地創造から人が創造され、人が増え、神は信仰の父と呼ばれたアブラム(のちアブラハム)を選ばれ、イサク、のちにイスラエルと呼ばれるヤコブの神であるとご自分を示され、ヤコブの子ヨセフをあしらい、その業(わざ)を世界に示された。その後に神の人と呼ばれ十戒を作成したと言われるモーセを起こし脱出を図る。

◆地上に実際にその存在を示されんがためにいかなる方法を、この地上の人々に示していかねばならなかったのだろう。約束の地に入ることができたヨセフの亡骸をエジプトから運んだモーセの後継ヨシュア。その思いは、神のもとへの帰還。真意とともにその維持のために当然、大衆に対しては厳しくなっていかねばならないものであった。核心そのもに従うことを民に提示(シケムの契約)して生き、彼はこの地上を終えるのである。

◆(ヨシュア記24章14節)ヨシュアは新しい契約を民と結ぶ。「あなたたちはだから、主を畏れ、真心を込め真実をもって彼に仕え、あなたたちの先祖が川の向こう側やエジプトで仕えていた神々を除き去って、主に使えなさい。~」・・・ 実際にいいことづくめで、はい、そのとおりという訳には全人類にたいしてうまくはいかない。長い目線で世界の人々の救済に対し神はメスを入れ始めたと読めるのではないだろうか。ここから、他の神々と呼ばれるものを排他するということを示すのだった。

◆フィジカルな律法の始まりはどうしてだったのだろう。神を唯一としえないであろう大衆への戒め強化から起こったことを僕らは忘れてはいけない。核心をつかむ者は極めて少ないのだ。・・・続く 


世界のベストセラーを読む(664回) 富沢「ちょっと何言ってんだか分かんない」、伊達「わぁ、めんどくせぇ」 

2020-04-29 16:54:29 | 小説

◆世界のベストセラーはまさに世界で読まれているけれど、その無味乾燥的な書き方に、この国の人には、サンドイッチマンの富沢ではないが「ちょっと何言ってんだか分んない」であるし、いろんな解説読むと、伊達の「わぁ、めんどうくせぃ」となるのは致し方のないことなのだな。んでから、一番嫌なのはな、信じれば、あれやれ、これやれ、やらなきゃ罰あたるなんて来るのが嫌なんだな、触らぬ神に祟りなしだなぁ、と思っている人が多いんではないかな。・・・はっきり言えば、イエスを信じることはそれとは真逆で、本当の自分に目覚めることなんだな、一度きりしかない人生に・・・。

A:だから、よくわかんねぇけんど、その神さんと信じた人の契約だっていうし、何も損することもないから、ちょと礼拝というもんでは席上献金などというものはあるが、とにかく人生は一度きりだから、信じてみるべえよ! だってよ、「その人が、生きて信ずる人は死ぬことはねぇ。」と言ってるし。あの、長生きして死なね、と言ってんでねくて、ん、つまり死ねことはねぇって言ってんのは死んでからもずっと天国で生きるってことなんだな。んでから、毎週日曜の儀式では、最後の晩餐ていう、ブドウ酒とパンの欠片をちびっと口にするんだそうだ。第一、葬式は簡単でいいよ。第一、じぇんこ(お金)もかかんねぇし。

B:信じればいいことあるようだけんど、死んでからの保険かけでらみてえだな。おれっちはすでにそんたらでないけど信仰という奴はあるのだっちゃ。代々の寺の墓にご先祖さんが入っているし、盆には家族ら帰って来て墓参りするんだわな。毎週、教会というところに行って礼拝して、何やら神様の本ちゅう文字だらけの聖書というのも読むのだべぇ~。「めんどくせぇ~」。おれ、字もあまり読めねえしな。頭わりからよ。死んだら、どうなるかわかんねけんど・・・

A:なもだし、世界中のひとが知ってるんだや、書いてあることは、同じなんだしゃ。世界のほとんどの国のことばで書かれて読まれでんだや。おいが一番感動したのはな、ヨハネ伝の9章だったのや。字読めねって、それどころか生まれつきめくらだった男の話なのしゃ、んでまんま食えねえから通りでずっと乞食やってたんだな。んで、そのイエスという人に目あけでもらったのしゃ。じぇんこいっぺ持ってで、みんなからいちもく置かれた学者が、おめ本当にめくらだったのかぁ、ほんとだかってその男さ議論吹っ掛けるのさ。したら、その男、あんたらおいのかあさんさも聞いたべしゃ、おいだば生まれつきめくらだったのしゃ、んだども今はこうして見えてらんだ。事実だからあと何しゃっべていいかわかねぇ。あなんたらも、目あけでけだ人の弟子になりてんだかぁ。

B:おいも、歳とってきたはんで、もうろくしねうちに頭の訓練で読んでみるがなぁ。なだども聖書はたけなぁ、あの本。

A:おめえネットやってらべ。アプリで無料で聖書読めるからタダだぁ。んだどもおもしぐねぇや、最初は「ちょっと、何言ってだか分かんねぇ」「わぁ、めんどくせぇ」だな、きっと。・・・・ 


世界のベストセラーを読む(663回) 僕らはもっと深い意味を知らないといけない。

2020-04-29 07:18:46 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

(表題から)・・・が、それを見出す人は少ない・・・

◆僕が長々と書いてきた旧約聖書で読まれている世界のベストセラー、その中のヨセフの物語。世界で聖書に係わりこれを知らない人はいない。僕がその記事を何度かにわたって書いてきたのは、イエスに何の関わりあらんや、と考えているこの国の人にである。おいおい、そんなことには無関心の人でも、今騒がれて死者も出ている新型コロナウイルスには生活が大いに関心をもち影響されているでしょうにと、それに結びつけることに疑問を持たれるだろうか? いやいや、この宗教で言われているその方というのは、頭だけのありがたやの宗教ジャンルの神ではないのだということだ。むしろ実際に生きてこの世界のこの瞬間、瞬間の現在も動かされている方でもあると。無論、その中には命ある誰でもが含まれるということなのだ。命あるものに神は決して無関心であることはないのだから。だから、この事態にもメッセージは取り次がれているのである。youtubeでもいくらでもこの事態の話を聖書から読み取ろうとしていることが確認されるメッセージを聴くことができる。(生きて働き歴史を動かす私<神>を見出すであろうと。)・・・本題に戻り・・・

◆アブラハム、イサク、ヤコブの神と言われたのは、そのような部族の長を通しての物語の演出者は私であった、と神は言われているのだった。旧約で特に重要なモーセ五書と呼ばれる、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記。それにそれに続き、ネボ山でこれから入っていくピスガの原野を見ながらモーセは最後を遂げるが、引き継いで約束のカナンの地に入った次に書かれているヨシュア記。創世記から、大きな区切りとなるヨシュア記の最後にも、ヨセフのこの地上での葬りのことが書かれているのある。

◆どの国の異邦人、天地創造の神の先理解がない人でも、”永遠の思いを持つ”ことを神は人に与えられた、とある。その永遠と、地上の人を創造された神とはどういう方なのか、何なのかを、この一連の重要な物語の底辺にとてつもない長い時代を経過して、示しているのだ。どの国の異邦人でも、聖書が語るところの神とは、どういう方なのかを決して無関心なこととしてはならないと思う。

◆父、ヤコブとヨセフ自身をエジプトの宗教の儀式(葬儀)で亡骸を処理したのは、彼は天地創造の神を信じていなかったからなのだろうか。この国で仏教の葬式を行ったクリスチャンの人は、イエス・キリストを信じていなかったのだろうか。ヨセフの信じていた神からはそうではないだろうと推測される。・・・でも、永遠への脱出のための信仰とは如何なることなのか、ということを聖書の神は、厳しく物語の中で示しているし、以降の物語でも示していくことになるのです。聖書の神は、世界の人々の全人類の救済の物語であることが分かってくるのですね。それがイエスという人が現れてようやくあからさまに理解されてくるようになるのである。 ・・・


世界のベストセラーを読む(662回) (その4)退任牧師との会話(世界の人々への伝道)

2020-04-27 09:53:27 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

**************終わりに

この地上の宗教、葬儀の祭りごと。父ヤコブも、ヨセフも遺体は、エジプトでミイラにされたのですね(つまりエジプトのあの壮大な宗教儀式の中でだ)。ヤコブの葬儀はカナンの地でエジプト式の壮大な儀式が執り行われたと書かれています。(創世記50章7節~14節)

◆このようなことを行ってもヨセフは、アブラハム、イサク、ヤコブの神といって先祖伝来の天地創造の本当の神を信じて疑わなかったのである。血や肉となている魂の芯というべきその被造物とのありとあらゆる様々な地上のしがらみから超越したと言ったらいいいか、まさに、天地万物を創造し、自分の似姿に人を創造したもう唯一の神。信じる者たちの永遠の世界への救済。全人類の救済。

*****時は 近づいていると *******

◆地上では様々なことが起こるだろうが、宗教におけるしがらみをも超越した神の信仰者へのあしらいとその配慮があるのだということ。その高い次元での神の摂理。ここに世界の人々、まことの神の静かに語り掛け、聞こえ、それにこたえる多くの人々が起こされていることを僕は信じるものなのです。

◆僕は、父母、祖父母、ご先祖様が眠る田舎のお墓に行くといつもこの物語を思い出すのである。我らの故郷は”天”にあり・・・と

**************世界的に猛威を振るっている新型コロナウィルスの早い終息を祈っております。 ・・・Ω 

 


世界のベストセラーを読む(661回) (その3)退任牧師との会話(世界の人々への伝道)

2020-04-27 08:27:04 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

◆彼ヨセフが兄弟たちに言った「わたしが神に代わることができましょうか。」(創世記50章19節)の彼らが共有化していた先祖伝来のその神とは、まさに、アブハム、イサク、ヤコブの神だったわけです。それは天地創造の神の起源に遡る。僕が教会でもご先祖を仏教でもお墓に葬ってもキリスト者である方は多くいると言ったのは、そして、世界のへ人々への伝道ともなるだろうと、そのヒントがエジプトという異邦の地で亡くなったこのヤコブ、ヨセフの物語に現れていると思われているからなのである。この国、または多くの心に響く人にはその永遠の故郷の声が聞こえていることを僕は疑わない。

◆創世記50章5節 (宰相ヨセフは父ヤコブがなくなった時、ファラオに申し出る)「・・・実は、父がわたしに誓わせて『わたしは、間もなく死ぬ。そのときは、カナンの土地に用意してある墓にわたしを葬ってくれ』と申しました。・・・ファラオに赦しを得たヨセフは父を葬りにカナンに上って行った。(故郷に帰還する)・・・それはまことに壮大な行列となった(9節)。」ここでヤコブの様々な人生と苦難の記事を読んできたものにとっては、50章からは淡々と描かれているが感動的な箇所である。・・・どのような人でも必ず地上の生を終えるときが来る。兄弟たちの子供たちの子孫まで面倒を見たヨセフの幸福な人生もやがて終える時が来た。

◆創世記24節24-25節 ヨセフは兄弟たちに言った。「わたしは間もなく死にます。しかし、神は必ずあなたたちを顧みてくださり、この国からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた土地に導き上ってくださいます。」それから、ヨセフはイスラエルの息子たちにこう言って誓わせた。「神は、必ずあなたたちを顧みてくださいます。そのときは、わたしの骨をここから携えて上ってください。」

◆それから何世代もという時間、長い年月が流れてヨセフを忘れたファラオも出てきてイスラエル人は苦しめられ、それからいかほどの時間が流れたのだろう。やがてエジプト脱出に神はモーセを起こすのである(出エジプト記)。彼らはヨセフの遺言を忘れていなかったのである(ヨシュア記24章32節 ヨシュア記の最後である)。こしてヨセフは故郷の墓に眠ることができたのだった。・・・続く