人生、消去法
世捨て人のつぶやき




ひとは、その成育過程において様々なトラウマを被る可能性がある。
全く、そのような機会がない場合もあろうし、
またその逆に、トラウマまみれになることもあろう。

ここでは、私個人のトラウマになったのではないか?という出来事について書いてみることにする。

まずは母親の事例から
1. 私は頭の形が歪んでいるのだが、そのことについて何度も非難されたこと。
これは、私の母が美容師で、小学校の4年生くらいまで母に散髪をしてもらっていたことによる。
散髪のたびに、母は私の頭が歪んでおり、カットしにくいことを私に向かって話した。
プロの美容師が、結婚7年目にしてようやくもうけた、ひとり息子に向かって、である。
当時の私は、まぁ、「はぁ、そうですか・・」くらいの受け止め方ではあったが
今となっては、自己否定的感情の源泉のような気がする。

これについては、時の流れとともにというか
年を取ってきたせいとでもいうか
最近は幾分、ま、考慮してやろうか、という部分はある。

というのも、今やネットの力は偉大なもので
そのおかげで鉗子分娩というものを知ったことによる。
いまやこのような状況らしいですが↓
参考

このこともあり、今年に入ってからくらいではあるが
「ま、母親も傷つけられてしまったんだろうし、母親にとってもトラウマだったんだな」
というふうに思うようになった。

産気づいていると入っても
ステンレス製のこのような器具を子宮に押し込まれて
赤ん坊の頭をつかんで引っ張り出すというのは
やはり、それなりの(というかかなりの)ショックではあったであろう・・・

とはいっても、それについて非難された子供は
いったい、どう振る舞えばよかったのだろうか?

もう一度、おなかの中に戻って「普通に」生まれ直すことだろうか?
それとも、ただひたすら、そんな生まれ方をして親に迷惑をかけてしまったことを
いつまでもずっと謝り続けることだろうか?

私には分からない。

ただ、少なくとも今言えることは
「それは、私のせいではない!」ということだ。
私は、そんな生まれ方など望んではいなかったし
また、その責任を負わされる筋もない。

ただ、私はこういう風に生まれてきてしまったし
また、こういう風にしか生きることができないのだ。

また、母は私に向かってこういうことも言った。
「お父さんに似ればよかったのに、私に似て
 鼻は低いし、首は短いし・・・」

さらには、私は両脇に乳首の出来損ないのような印があるのだが
それを見て、「あ、いやらしい・・・。お父さんと一緒や。乳首やで、これ」と。
奇形児扱いである。
実際、いろんな意味で奇形児ではある訳だが・・・。

私は、望まれた生まれ方をせず
さらには、望まれたような姿ではなく
そして、誰からも愛されることはなかった。

そんな人間に居場所はあるのだろうか・・・

すべての人の期待を裏切り
そして、さらにその期待に応える見込みもない。
そんなやつに、いったい何ができるのだろうか・・・

できることがあるのなら教えてほしいと思いながら
ここまでずっと生きてきたような気がする。
愚かなことである。

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