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フウラン マンポウ(漫歩)・風蘭と友達、旅と花

カメラ大好き人間の拘りの画像の発信集。

信貴山方面 09・02-2

2009年02月19日 | 山歩き、信貴・生駒方面
  信貴・高安山方面の てくてく に行ってきました。 
      (2月17日)

定例の歩こう会。
先週までメチャ暖かかったのに、今週は又雪に降られる真冬並の寒さ。


歩く場合はできるだけ、体に良いとされる小さな凸凹のある地道を選んで
歩き、 コンクリー道は可能な限り避けている。
コンクリー道で良ければ、わざわざ遠くの山まで行かなくても、近辺の
山手で空気の良い神社やお寺をクルクル巡っておれば済む事、と決めて
いる。 自分流(悪路に弱い足腰に対するリハビリのつもり)である。

今回、登り口付近で久しぶりに出会った知り合いに同行させてもらった。

「のどか村」及び「信貴山」から“農道”を通って「十三峠」に出て
“信貴生駒縦走道”を帰ってくる、と云う。
“農道”とすると往路はコンクリーか舗装道だ、だが復路は地道が多い
のと、初めてのコースなので興味があり連れて行ってもらった。


↓ 赤線が往路、青線が復路。



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↓ 大阪平野展望図(立石越)
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↓ 大阪平野展望。
  「大阪城」が見える?

↓ 大阪平野展望。 コンパクトカメラの望遠画像
  「大阪城」が見える。

運が良ければ淡路島や明石大橋も見えるが、今日は運が悪く見えない。
時期的にはやや遅い、黄砂の影響を受けない1月頃が良い。
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当初は、時間があれば、「十三峠」に登らずそのまま「千光寺」迄
行って、そこから「鳴川峠」に登り、そして“信貴生駒縦走道”を帰って
くる、と云う“久安寺・鳴川地区コース”も行けるカモ?と云っていた。
「千光寺」それを目指して早足で歩いた。  時間はあった。 

 だが、体力が無かった、途中で足の膝に違和感を覚えこれが限度と判断。
分岐点(左折れ「十三峠」真っ直ぐ「千光寺・生駒」方面)で「十三峠」
に行くことにした。

「峠」付近にて、急に雲行き怪しくなると雪が降り出した。
今までは登り坂を急いで歩いたので汗ビッショリ、だが峠付近は坂が
ゆるやかにて体が温まらない。 日も当たらないとメチャ寒い。

雨に変わると予測されたたので降られない内に、風避けの土手を見つけ
昼食とした。

手がカジカンデ箸が思うように使えない、ジレッタイ。
汗をかいた下着が冷え込んで冷たい。手が震えご飯がうまく口に入らない。
用心の為ポケットに入れてきた携帯カイロ4個が冷たく感じる。

ポットに入れてきたお茶が救いだ。

このままでは風邪を引くと判断し早めに歩きだした。
残りご飯は歩きながら口に押し込んだ。

ちなみに。丁度、2週間前も同じ寒さの状況となった。
この時は風避け場所が無く、ご飯を食べていたら皆順番に風で飛ばされ
それを拾いに行っている間に弁当が飛ばされ落っこちている、箸などは
何処に飛ばされたか全く見当たらない等散々な目にあったものだ。

それもまた楽しい経験だ。


小さい頃の昔を思い出す。
昔、田舎での小さい頃は周り一面が雪にて、そこでの手伝いは、
イヤだった。

冬休みは毎日のように手伝いで山に登った。 昔はよく雪が積もった。
行きはかすかに道が分かったが帰りは更に雪が積もり道など
全く分からない。 適当に滑るように転びながら山を降りたものだ。
服は裂かれてアチコチ傷だらけ。
手足の先は寒くて冷たくてまるで感覚が麻痺している。
山を途中まで降りるともう雪など無い、ここから家まで約1時間ほど
で帰れる。

遊びとお手伝いの違いは、帰り道の荷物の有無だ。
毎日10~20キロ程度の荷物を運ぶ(現在は力無く10キロ入りのお米袋
を2分も下げているとフラフラ状態である。)
(中学だった兄などは常に30キロ以上を持って且つ私の面倒を見て
くれたものだ。)



毎日がこれだった。

大阪に出て、学校行事で毎年「金剛山」への雪中登山があった。
田舎で鍛えていたおかげでこんな山は平気だった。
荷物がないとラクチンだ。
荷物はお弁当とポットと防寒服他程度の多めに見ても4キロは無い。


遊びでの山登りは楽しい。
 だから懲りない。


話は戻る。
(結果は、その後2時間程で雪は収まり雨にならず晴れてきてしまった)

おかげで帰り道はユックリとし、それでも1時間程早く家に帰ってきた。