曇り、18度、87%
私が香港にやって来た25年前、日系のデパートは6つもありました。日本の経済が上り詰めている頃でした。海外赴任の方も家族連れでの赴任です。子供たちの塾も、日本の直営のものが日本人の多く集まるトンローワンにありました。でも、九龍サイドには塾がなく、ある方が、政府の認可をとって塾を始めることになりました。国語、英語の先生は、すぐに見つかったようです。ところが、数学、算数を見てくれる人が見つからなかったそうです。たまたま、息子のリトルリーグでご一緒だった塾を始めた方から、数学、算数を見てくれと頼まれました。それが、22年と9ヶ月前のことです。
九龍サイドの子ばかりの小さな塾です。教えている先生たちも夏休み、冬休みは休みを取ります。夏期講習などない、いわば、学校の勉強の手助けをする塾でした。そんなこともあって、その塾は2年で閉めることになりました。その時。教えていたお子さんのお母さんたちから、家庭教師で勉強を見てくれないかと、頼まれたのがこんなに長く続いてしまいました。広告を出したこともなく口コミだけで、こんなに長く仕事ができたことに、感謝しています。
よく何人ぐらい教えたの?って聞かれます。何度数えても同じ数になることがないのですが、100人ぐらいでしょうか。長い子は5~6年、続けて教えました。家庭教師になってからは、受験生を見るようになりました。海外帰国子女として日本に帰る子供、インターからカナダやドイツの大学に行った子供もいます。
多いときは11人も教えていましたっけ。夏休み、冬休み、春休みなんて私にはありませんでした。長い休みのときは、それこそ朝8時から夜の11時まで仕事をしていました。しかも、教え子は九龍サイドと香港サイドにまたがっていましたから、移動も大変。元気で、若かったから出来たことです。8年前、我が家にパグのモモさんがやって来ました。それをきっかけに仕事をぐっと減らしました。夜遅くの仕事は、一切なし。
教えた子供たちも、結婚した子も海外で働いている子もいます。そうそう、有名なお笑いタレントになった子すらいます。
見出しの写真は、昨日最後の授業に出かける前に用意した、私の大事なお供たちです。小学校入学以来、まさか、こんなに長く鉛筆を使い続けるとは思いませんでしたね。でも、数学を解いてみせる時、これがないとどうもいけません。受験生を持つようになって、教えるのは数学ばかりではありませんでした。国語も、英語も。時に面白い教科も教えました。カナダの歴史などです。カナダ系のインターに行っている子供にです。USBが使えるようになって荷物が激減しました。それまでは、たくさんの紙の束をリュックに入れて仕事に行っていました。あんまり重たいので、プラダのリュックがひとつ底が抜けました。
仕事を辞めようと決めて、1年半経ちました。一人でやっている仕事ですが、責任があります。実際やめるまでに、こんなに時間がかかりました。実は昨日が最後の仕事だった、とまだ家人に伝えていません。昨晩ニューデーリーから機上の人となり、先程香港に着きました。帰って来たら、まず頭を下げて、これからよろしく、とお願いするつもりです。今まで通り好きな本が買えないかもしれませんね。ちょっと不安になりますね。何かしたいことがあるので、仕事を辞めたわけではありません。この仕事を始めたときと同じ、時の流れのようなものです。
こうして、22年を振り返っていると、早慶に何人入れたとか、そんなことより、あの子供たちと一緒に過ごすことが出来た時間が、私の大事な宝です。今年は、フィアンセと一緒に私を訪ねてくれた子、アメリカで仕事をしてる子も、先月訪ねて来てくれました。
私より背が小さい頃から教え始め、みんな私を追い抜いて行きました。成人した子供たちの目に、小さかった頃のキラキラした目が重なります。
学生結婚だったので、社会に出て、人と人の間でもまれて仕事をした経験がありません。そんな私が、仕事を続けてこられたのは、子供たちのおかげだと思っています。みんな、ありがとう。