北嶋誠のブログ

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8・11 関東福島憲法フォークジャンボリーin東海村 ご協力に感謝3

2013年09月03日 21時04分59秒 | コンサート

 最後のステージを努めた笠木透と雑花塾は、大震災と原発事故以後に被災者支援を目
的に製作したCD文庫「私の子どもたちへ」と「豊かな青い海」の中から、「涙の潮」
「ペンペン草」などを披露。さらに9月に発売予定の「田中正造没後100年~われこ
こにあり」の中から「一声不平あり」「ヨシ焼きの炎」「いつの日か」などを演奏。最
後はアンコールで、「よみがえれ浜通り」と、40年間歌い継がれてきた名曲「私の子
どもたちへ」を合唱して〆ました。
 ところで、田中正造は民衆の中にあって足尾鉱毒事件をたたかい、最後は消滅されて
いく谷中村で亡くなるのですが、笠木さんの生き方「自由を求めて歩き続ける、たとえ路
上に行き倒れても」が、どうしても私には重なって見えるのです。
 これからも、雑草のような人間たちと、自由奔放に草の根の活動を続けていくのでし
ょう。
 さらに、ここで詳細を紹介することはできませんが、地元茨城の茨城センター合唱団
、鈴木ファミリー、橋本実、憲法フォークジャンボリーin東京、千葉県から文化集団の
このゆびとまれ、そしてはるばる広島から友情出演していただいた山上茂典と、皆さん
熱演有難うございました。
すべての出演者の思いが一つとなり、共感をよびあう素晴らしい演奏でした。
 それぞれが、地域で旺盛に活動を展開し、趣旨に賛同しての演奏だっただけに、5時
間を越す長いコンサートにも飽きることなく一体感が広がりました。
 また、いわきじゃんがら、東海のひょうきんおどりの出演が、民衆の祭典であるフォ
ークジャンボリーらしさを醸し出していました。
 まさに、怒りあり、感涙あり、笑顔あり、村上前村長の言葉のように「色々な切り口
での運動が大切」「たたかいはこれから」を噛みしめながら、明日への栄気を養うコン
サートとなりました。
 ただ残念なことは、当日は東海祭りなどとも重なり、村民の参加がもうひとつだった
ことです。それでも、私たちの歌声は、東海村民はもとより、茨城県民、日本国民への
明快な意思表示となり発信されました。いよいよこれからです。
 北関東ジャンボリーを地道に継続していく他、地元の諸運動諸団体と共同しての様々
な企画を。そして東海村でもまた近い将来に、村民と共同していのちと平和を守るコン
サートを開きたいものです。
 何れにしても、原発も戦争もゼロにのたたかいは、まだまだ長く続きます。焦らず、
怯まず、気張らず、楽しく、続けていきましょう。
 余談ですが、今回のジャンボリーを、私の友人で常総市、城里町、結城市の3人の
視覚障害者が鑑賞しています。それぞれ別グループで訪れそれぞれの客席で鑑賞してい
たのですが、、その感想は共通していました。
 正眼者には、客席前列の方の空席が眼に入り、そのことがコンサート全体の評価のマ
イナスイメージにもなっています。
 ところが三人の感想は、大勢の観客の手拍子、拍手、歓声、掛け声によって、出演者
も大熱演となり、とても盛会で、最初から最後まで大いに楽しませていただいたという
ものです。
 五感のうちの視覚の有る無しで、このように随分と感想が異なるものだと思われるで
しょうが、これが実際のところです。
 実は私自身も、会場の雰囲気は大いに盛り上がっていたと感じています。良し悪しは
ともかくとして、視覚障害者と正眼者健常者との違いは、特に正眼者にとっては理解し
がたいことなのかも知れません。

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