たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

福寿草見物で四阿屋山。ついでに稲穂山散策。

2024年03月01日 | 秩父の山
◎2024年2月28日(水)

 群馬と長野の県境にある四阿山には登ったことはあるが、埼玉小鹿野の四阿屋山には行ったことがない。かなり以前、福寿草見物で麓の園地までは行ったが、山には登っていない。先週の21日にその四阿屋山に行こうとした。もちろん、福寿草目あてだ。だが、小鹿野に着くと、曇りの予報は外れて雨。せっかくだし、ちょっと早そうな節分草園に寄って茶を濁し、福寿草を買って帰って来た。
 今日は風が強いながらも天気は晴れの予報。行き直しには手頃だろう。コースをいろいろ考えるが、大堤からの岩場コースは論外として、目的はあくまでも福寿草であって、ピークハントの四阿屋山はついでのようなものだから、わざわざ道の駅から歩かずとも、福寿草の咲く山居広場の駐車場から歩くことにした。四阿屋山には最短コースになる。ただ、福寿草園地で時間をとられてしまうと、四阿屋山に登る気が失せる可能性があるので、駐車場からは山頂への直通コースを往路で歩き、帰路でゆっくりと鑑賞するくらいの工夫はする。

(ここを道なりに行けば福寿草園だが、この先から右に登って四阿屋山コースになる)


(四阿屋山へ)


(おっ、いいなと思ったが、先にも続き、古い墓地であることがわかった)


(鉄塔)


(鉄塔の下から武甲山。雪があるようだ)


(この先はスギ林が続く)


 出発は10時。駐車場はガラガラなのに、駐車場整理係のスタッフGがいた。ということは、福寿草が見頃ということか。下山してからが楽しみだ。一旦、園地方面に歩き、すぐに右への<あずまや山>の標識が示す山道に入る。ほどなく鉄塔のある展望地に着く。左手奥に武甲山が見えている。気分良く歩いていたのは短い区間のここまでで、あとはしばらくスギ林の中の歩き。標識はあちこちにあるし、その下にも地図が置かれている。それを見ると、気づかぬ間に道の駅からのコースに合流していたようだ。歩きながら、右手上に尾根があって、それを登っても行けるのではと思っていたが、まさにそのコースだったかもしれない。

(階段が続いて)


(両神神社奥社。両神山の山頂にも奥社はあるが…)


 長い階段が始まった。何回か立ち止まって呼吸を整える。ふと下を見ると単独の後続者。プレッシャーだ。早いとこ抜いてくれないかなと思っても、ほぼ等間隔の歩き。向こうは、こちらに気遣っているのだろうか。だとしたら、お気遣いは迷惑なのだが。
 やはり階段の行き着く先は、想像どおりに両神神社の奥社だった。10時半。階段登りでかなりの汗をかいた。今日は強風だと思い、少し厚めに着込んでいた。林の中だったせいか、強風は感じない。そういえば、駐車場でも風は弱かった。始末の悪いのが下半身。股引こそ履いてはいないが、ワークマンで買った裏フリースのズボンが外気を通さないためか、脚にかいた汗がびっしょりとへばりついて気色悪い。これが駐車場に戻るまで続いた。

(ここで左に迂回する)


(迂回路とて難路とある)


(細いトラバース径を行くと)


(クサリ場登り)


 林から抜け出すと、今度は早速、クサリ場。このクサリ場は迂回路で、以前なら、正面の急斜面尾根を直登するコースだったのだろうが、そちらは通行禁止でロープが張られている。おそらく、過去に事故でもあったのだろう。この通行止めを無視して登ったところで、雪が斜面に残っているのでは、かなり苦戦するかもしれない。元よりその気はないし、数年前なら登ってみようと思ったかもしれない。大堤からのコースもしかりだ。表現はまずいかもしれないが、たかがの四阿屋山で危険な思いは結構。
 スギ林から抜けて明るくなった。風はなかった。クサリ場が続く。意外に急だ。クサリは右手に設置されている。右手にはストックを持っているし、習慣的にクサリに頼る場合は左手が多い。しばらくは、せっかくのクサリも使えなかったが、今度は左がクサリになってから頼るようになった。雪やら凍結はないものの、用心に越したことはない。短時間で終了かと思ったら長かった。細い登山道を踏み外したらかなりの転落になるだろう。

(四阿屋山の鞍部だろう。クサリ場の間の写真は撮らなかった。というよりも撮る余裕がなかった)


(向こうが大堤からのつつじ新道。「新道」のわりには岩場とクサリ場続きのようだ)


(こちらを登って来た。後続者の姿が見える。迂回路とて急なのがわかる)


(山頂のようだ)


 山頂直下で一応のクサリ場は終わる。山頂はすぐ先のようだ。ここで、大堤からの岩尾根コースが合流する。そのコース、クサリ場続きではありながらも気になっていたが、二つ目の10m足らずの岩場が難所らしい。垂直に近く、上部の足場がないようで苦労するようだ。そうなれば腕力だろう。あくまでもそこを登ったハイカーのレポからの想像であり、自分ならどうかは現場に行って登ってみなきゃわからない。見ただけで撤退かもしれない。ムダな時間と体力は使いたくないのでそのコースはやめていた。

(狭い四阿屋山山頂)


(山頂から両神山。ここよりも1000m高い)


(大天狗、小天狗と刻された石祠)


(さっさと下る。閉所と高所に長居は禁物)


 この先もクサリはあったが、頼らずとも山頂に到着。10時45分。奥社からはたかが15分だが、えらく長く感じた。狭い山頂に二人いた。コンニチハと声はかけれど、いずれからも返答無し。こんな狭いところにいてもしょうがないので、写真を数枚撮って、とはいっても視界が広いわけでもなく、撮れるのは両神山程度のもので、武甲山を撮るとなれば、かなり危険な体勢になる。後ろにずっといたオッサンが上がって来て、先行の一人が下ったので自分も下った。山頂に5分もいたろうか。こんなところに複数でやって来て食事でもしようものなら邪魔になる。
 神社下までの区間は同じだ。登って来る人は多くなり、登り優先で待っている間、ちょうど大堤への分岐あたりだったろうか、先に下った待ち態勢の青年に聞かれた。「福寿草はこちらでいいんですかね?」と。「神社に出て、林が切れるところあたりで右に展望休憩舎の標識に合わせて行けば、福寿草園があるはずですよ」と答える。聞けば、青年は大堤から登って来たようで、やはり、きつかったところがあったとのこと。二番目の岩場のようだ。まぁたいしたものだ。こちらは気力があったとしても体力が追いつくまい。足尾の山から遠ざかって何年も経てば、腕の筋肉も衰える。
 余談。そういえばと、後で思ったことだが、その青年はヘルメットではなくウールの帽子をかぶっていたし、ザックにヘルメットを納めている気配もなかった。その「新道」コースは、ネット記事の記録によれば、ヘルメットを着用して歩く方がほとんどのようだった。何とも言えないが、用心して登るなら、ヘルメットはお守り代わりかもしれない。クサリ付きではありながらも垂直に近いその岩場を見ていないから無責任なことは記さない。ただ、ヘルメット姿が目に付くだけで、そんなコースに関わりのない歩きをするハイカーにとっては、スゴイと思うし、相当に険しいものと想像してしまって尻込みもする。自分の少ない体験からいうと、過去にヘルメットをして正解だったと思うのは一回だけ。足尾の山で岩場から転落し、幸いにもヘリ救助を受けた際、ヘリのホバリングで岩くずが上からやたらと落ちて来て、ヘルメットをかぶっていなかったら、おそらく、頭が血だらけになっていただろう。その時ぐらいのものだ。もっとも、ヘリ救助は木立で無理で、消防の救助隊のレスキュー頼りになってしまったが。決して、ヘルメット着用を否定的に考えているわけではない。沢歩きでもそうだが、あくまでも用心で、万能ではない。それでいながら、クマの出没が多いところの、たかがハイキングでも、まずは頭を襲われることを考慮すれば、頭への打撃は少なくなるはずだ。何とも微妙なところだ。

(写真も撮らずのままにクサリ場終了)


(奥社の裏はトタン張り。貧相な小屋に見える)


(休憩舎に向かっている)


(展望休憩舎)


(休憩舎からの眺め)


 何人か登って来て、クサリ場では都度に待った。クサリ場から解放されて神社。4人グループと行き会った。自分と同じで、福寿草ついでの四阿屋山が多いようだ。展望休憩舎分岐に到着。

(男坂を下っている。青年の後ろ姿が写っている)


(山居広場に出る)


 展望休憩舎とはいってもたいした展望はない。武甲山が枝越しに見えるだけ。その先、山居広場への分岐が2本あった。女坂と男坂。どっちでもいいのだろうが、特別な思いもなく男坂を選ぶ。急な階段が続き、間もなく園地が見えてきた。11時15分。さっきの青年が写真を撮っていた。

(最初に目についたのはロウバイと紅梅。ロウバイは終わりかけのようだ)


(福寿草もまばらに咲いている)


(どうしてもロウバイに目が行く)


(武甲山を入れて。)


(肝心な花を撮らないと)


(とはいっても…。変色しかけている)


(白梅の姿が見えない)


(申しわけ程度になってしまった)


(まだ持ちそうだ。輝くような黄金色に撮りたいが無理な相談)


(眺めているだけでも満足)


 終わりかけのロウバイと紅梅を撮っていると、いきなりオバちゃんに聞かれた。「座禅草はどこに咲いているんでしょうか。どこ探しても見つからなくて…」と。「座禅草はここじゃなくて節分草園じゃないですか。先週行ったら、座禅草ありましたよ」。「あらっ、そう。じゃ行ってみるわ」と、節分草園の方に下って行ったが、ここからでは30分以上はかかるだろう。
 目当ての福寿草も咲いている。密というほどではないが、人工的に手を加えて増やしている感じはない。大ドッケに比べれば物足りなさはあるものの、自然のままに咲いている。以前来た時には、何だ、こんなものかと感じた気がするが、その時よりは多くなっているようだ。いや、あの頃は、大ドッケの広い自生地の印象が強く残っていたはずだ。

(言い訳がましいが、柵があるので、自分のカメラではどうしても大きく撮れない)


(この大きさが限界かな)


(ついでにこちらも。青空で良かった)


(そろそろ切り上げるか)


 園内をぐるりとゆっくり回った。見物客は20人ほどか。ザックを背負っていないフリーの方々が圧倒的に多い。園地は電気柵に囲われている。カメラを網の中に入れて撮ろうとするとどうしても電気柵に衣類が触れてしまう。だが、衝撃がない。ただのダミーかと思い、素手で触って見ると、弱いながらも通電していた。

(駐車場へ)


(あの鉄塔は、登る際に見た鉄塔かと思うが)


(ようやくここで白梅が出てくる)


(アップで撮ったが、こちらもそろそろ終わりか)


(紅白で賑やか)


(駐車場に帰着)


 一周半ほど回ったところで駐車場に戻る。福寿草園地はさほどに混んではいなかったが、今日あたりは節分草園の方が人も多いだろう。駐車場帰着11時50分。2時間もいなかったことになる。四阿屋山だけなら、遅い人でも1時間半もあれば往復できるだろう。
 晴れていてもったいないが、改めて節分草園に行くのもどうかと思い、予定どおり、帰りがてらに稲穂山に寄って行くことにする。あそこには、ここでは見つけることができなかった秩父紅を確実に見られるようだ。ただ、600円の入園料がかかる。ハイキングマップは持って来ていたが、稲穂山そのものの山頂がどこなのかはっきりしない。この時点では、秩父紅の後は、一番高いところまで登ってみるつもりでいた。

【稲穂山】
 だらだらした文章にするほどでもない。福寿草や、ここでは見つけづらい節分草やらを探して写真に撮っただけの自己満足で終わった。一番高いところまで登るつもりでいたが、なぜか足が痛くて歩けず、稲穂山古墳に寄って引き返した。特記するほどのこともなく、一時間もいなかったので、写真を並べて済ますことにする。
 足の痛みは四阿屋山での歩きに起因することだとは思うが、2時間も歩いていないのによほどに歩き方が悪かったのだろうか。翌日は、家での階段の昇り降りに、つい手すりにつかまってしまった。

























































【ついでに節分草園】
 稲穂山のセツブンソウを出したので、一週間前の小鹿野の節分草園の様子を少々。小雨の中での撮影だから、残念ながらピンボケが多く、花自体にも元気がなかった。





























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2 コメント

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Unknown (ぶなじろう)
2024-03-04 19:05:20
今晩は。
四阿山ですかぁ。
蝋梅、紅梅、福寿草と賑やかに咲いていますね。自分が行った時はどれもだめで、観光客の人々もがっかりしていました。駐車場の係員も「今年はダメ」と言っていました。年によって当たりはずれがあるのですかねぇ。
ムクゲ公園は穂積山に名前が変わったのですか!皆野寄居有料道路の所ですよね。私は行ったことはありませんが、以前たそがれさんがブログで紹介されていたと記憶しております。こちらの方が福寿草は激しく咲いていますね。こういう写真を見るとやっぱり大ドッケを思い出してしまいます。
ぶなじろうさん (たそがれオヤジ)
2024-03-16 18:58:34
ぶなじろうさん、コメントありがとうございます。
山は歩いていず、自分のブログを見ることもなく、コメントをいただいたことも確認しておらずに失礼いたしました。
当たりはずれもさることながら、この温暖化で、この先も、いつもの見頃の時期が前倒しになったり、今年はダメといった状況が続くのではないでしょうか。桜の時期に美の山に行ってみたいと思っているのですが、ここ数日の暑さでは、人様の山行記事が頼りになってしまいます。
稲穂山については、私自身、詳しくはないので明言はできかねますが、元より稲穂山はあって、その入口にムクゲ公園があって、入園料は徴収していたようです。憶測ですが、ムクゲだけではあまり実入りもないので、福寿草やら節分草の園地を増やし、ムクゲ公園の看板は外したのではないでしょうか。
福寿草も、大ドッケのように自然がままに咲いているのならともかく、ここは人の手が加わっていますから、確かに見事だなと思いましたが、観光客が気軽に入れるようなところでは、やはり、気分的な満足感にはかなり遠いですね。

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