たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

久しぶりに赤城の小黒檜山へ。ついでに爺黒檜と孫黒檜。帰路の車道歩きはメチャつらかった。

2024年06月15日 | 赤城山周辺
◎2024年6月12日(水)

黒檜山登山口駐車場(8:52)……黒檜山(10:08~10:27)……爺黒檜(10:52)……小黒檜山(11:04~11:15)……1515m標高点付近(11:32)……ミスに気付いてトラバース(11:41)……孫黒檜尾根に出る(12:09)……孫黒檜・和久土也山(12:21~12:53)……車道に出る(13:21)……駐車場(15:03)

 小黒檜山は9年前の3月の残雪期に、ゲート閉鎖の五輪峠の先から登り、黒檜山を経由して駒ヶ岳まで周回した。おそらくこの時、爺黒檜も通過しているはずだが、爺黒檜の名を知ったのは最近のことで、当時は意識にもなく、山名板写真もない。孫黒檜もまた同じく9年前の10月に単発で登っている。その時は和久土也山と鷹ノ巣山の山名板はなく、群馬の山といったらこの人たる後藤氏が設置したらしい孫黒檜山の活字山名プレートがあるだけだった。今回歩いてみたところ、爺黒檜と孫黒檜の山名板は同一人物の手によるものらしく、ここ9年の間の設置かと思われる。また、和久土也山の山名板も見た。

(黒檜山登山口の前では体操をしているグループがいた)


(相も変わらずのゴツゴツの嫌な登り)


(猫岩の近くから大沼と地蔵岳。左は長七郎山)


 前置きはともかく、赤城山は涼しかろうと、いつもの黒檜、駒ヶ岳ルートでは面白みもなく、今回は親子四代の黒檜山見物を目的にした。ただ、この四代はあくまでもご愛敬で、孫黒檜だけは黒檜、爺黒檜、小黒檜のある同じ尾根からは外れた尾根上にあり、親子四代とするには無理があるような気がする。
 やはり赤城山は涼しかった。当然ともいえる。赤城大沼の標高は1340m。中禅寺湖の1270mよりも高い。ちなみに小沼は1470mだそうな。駐車場には風も通っていたし、黒檜山の登りに入ると、岩ゴロの登りはともかく、猫岩のような展望の開けたところでは、風があたって気持ちもよかった。

(冨士見スポットから。富士山見えず。期待はしてはいなかった)


(頑張っているようだけど…)


(ヤマツツジはかろうじてか)


(小沼をアップで)


(駒ヶ岳からのコースに合流して)


(黒檜山山頂。だれもいなかったのは初めてかも)


 しかし、黒檜山までの登りはきつい。汗だくになり、しょっちゅう立ち休みをしては汗をぬぐい、汗の落ちたメガネを拭いた。汗落ちメガネは、帽子よりも頭に手拭いのようなものを巻いて防ぐしか手立てはないのだろうか。メガネを外して歩けばずっこける。駒ヶ岳からの稜線に出るまでに、4人は追い越したものの、2人連れ2組だから、団体さん同様に、弱い立場の方に合わせて歩くし、カウントには入れるわけにもいかず、結局、3人に抜かれてマイナス。うち一人は女性。登山口で体操をしていた9名様には抜かれなかったが、展望地で休んでいると、ほどなく早足の方から順次のご到着だった。残りは体操音頭取りのリーダーが引き連れて近くまで来ているのだろう。まさか、いつぞやこの黒檜で目撃した罵倒されながらの歩きではあるまい。あれは決して叱咤激励ではなくハラスメントだった。遅れ気味のバアちゃんが泣きべそ顔になって可哀そうになった。おそらく、バアちゃんは、あの団体からは抜けたのじゃないだろうか。

(展望地から)


(小黒檜山。後で思うに、左下のポコっとしたところが爺黒檜だったのかもしれない)


 山頂、展望地を含めてしばらく休んだ。黒檜登りはしんどかった。陽射しは強いが、弱いながらも風がある。水を飲んでじっとしていた。この先、面倒な歩きはせずとも、駒ケ岳経由で帰った方が涼しくて気持ちもいいのじゃないかと安直な思いがむくむくしてきたので、すかさず己を戒めた。ここで長時間居座るからそんな気分になる。休憩をそろそろ切り上げようかと、ここで初めてスズを付けて下る。展望地には5人ほどいたが(当初はもっといたが、ほとんどが下山か駒ヶ岳にさっさと向かった)、あらぬ北西に下る自分の姿にどういう想像をしたのかはわからない。振り返りもしていない。きっと、小黒檜の存在すらわからずに、どこに下るのだろうと思った程度だろう。変な人。もしくは無関心。あるいは道間違いか。

(小黒檜山に向かって下る)


(意識して撮ってはいない。明瞭な道が続いている)


 急な石クズだらけの斜面を下るとほどなくササが出てくる。驚いたのは、ササの間の道が幅30cmほどではあるが、これは踏み跡ではなく、きれいに刈り払われていたこと。そして、ところどころに適度な間隔の赤テープ。これには恐れ入った。地元の有志がやられたことではあるのだろうが、9年前は雪だったからわかりもしないが、最近になってのことだろうか。尾根伝いに下るだけだし、自分には踏み跡レベルでもありがたいが、道の確実さ、歩きやすさには比べようもない。最近の山行記事に、この刈り払われた道をシカ道、ケモノ道と記している記事があった。我が目でこの道を見てしまった以上、彼ら、彼女らはどんな感覚で山を歩いているのだろうかと疑ってしまう。見れば、鎌なり刈払機で払った跡は瞭然としている。

(この岩を登って失敗。右下に降りてヤブ漕ぎだったが、岩に登らずに左下に道が続いているのかと思う)


 おかげさまでというのもなんだが、快適に下れた。一か所、正面に岩があり、これを越えるのかと岩に登ったら反対側に降りられる岩ではなく、脇から下って巻いた。せいぜい、その辺があやふやだったか。岩の右からヤブ漕ぎで道に戻ったが、あるいは、左にしっかりした道が通っていたのかもしれない。

(緩く登って行くと)


(爺黒檜山を通過。この山名板文字は定規を使って線引きしている。「檜」を「桧」にした理由も何となくわかる)


 この辺に至れば、すでに傾斜は緩くなっていて、振り返れば、樹間から黒檜山が高く聳えている。ここをまた大汗かいて戻りたくはない。緩く登ると平坦地の樹に「爺黒桧」の山名板があった。ボール紙にパウチしたものだ。「2017」とあるから、7年前のものか。それ以前から、ここが爺黒檜と言われていたのかはわからない。地理的には桐生市と沼田市の市境に位置している。特別なピークではなく、わざわざ山名を付けるほどでもないのに、なぜここを「爺」と特定したのかは自分には想像もつかないし、爺を新たに設定するなら、小黒檜山の先の1515m標高点が無難かと思う。以前からここが爺ならどうこう言う立場ではないが。

(起伏を感じない歩きが続く)


(ここを登ると)


(小黒檜山に到着)


(山名板。下半分が白く消されているのは何か理由でもあるのだろうか)


(かろうじて撮ったが、これは鷹だろう)


(振り返ると、見づらいが、樹間奥に黒檜山)


 緩いというよりも平坦に近い道を北に向かう。この爺黒檜から一旦下って鞍部といった一般的な地形スタイルではなかった。そのうちに、いくらか傾斜が増して、反射板の一部が上に見えた。小黒檜山到着。
 静かだ。当たり前だがだれもいない。上空で何かはわかりかねる猛禽類がゆっくり旋回している。何とか写真を撮ろうとしたがダメだった。かろうじて撮れたのは隅に写っていた一枚だけ。食欲はなく、水だけ飲んで一服してボーっとしていた。今は時節的にも、樹々が緑の葉を湛えて視界も狭くなって無理だが、9年前は谷川岳方面の雪山連山がきれいに臨めた。陽射しは強いが心地よい風が流れている。いつまでもここにいたい気分だ。

(下る。雪の時季、ここからの眺めは見事だった)


(振り返って反射板)


(ヤブ歩きになってしまった。この区間、一時的に暑かった。夏のヤブ漕ぎは身体に悪そうだ)


(目印テープ。尾根幅が広がってくる)


(ここでもヤマツツジは頑張っている)


 重くなった腰を上げた。まだ先がある。ところが尾根伝いに刈り払われた道は忽然と消えた。つまりはヤブ。薄い踏み跡というか押しつぶしと散発的にテープが見えるだけ。よく確認もしなかったが、あの刈り払い道は西の県道にでも下っているのだろうか。まさか黒檜山往復だけの道ではあるまい。この先、孫黒檜で出会った二人連れがいた。あのご夫婦にその辺を確認しておけばよかったと今になって後悔しているが、孫黒檜に着いた時点で、こちらの頭は虚ろになっていた。

(好きだねぇ、この風景)


(ヌタ場。このあたりが1515m標高点だろう)


 緩く下って行くと、やがて、さながら広い防火線のようなササの平原になった。雰囲気は良く、自分は、足尾の赤倉山から大畑山に向かう途中にある、東の展望の開けたササの原を歩くのが好きなのだが、雰囲気が似ている。当然、低いながらもヤブ漕ぎ歩きになっている。この先にあるどん詰まりが1515m標高点あたりだろう。ヌタ場があった。
 さて、問題はここから。1515mから孫黒檜までのルート。ネット記事の軌跡を見ると、皆さん、同じところを歩いている。それは尾根や沢筋でもないただの斜面下り。普通なら、目標とするものがない限り、そんな芸当歩きはできないが、何らかの目印やら明瞭な踏み跡を辿るから同じ軌跡になるのだろう。あちこち探し回ったが、ヌタ場の周辺に目印らしき降り口を見つけることはできなかった。すでに気分が散漫になってきていたようだ。

(目に入った踏み跡を追った)


(踏み跡は明瞭だが、孫黒檜までは尾根を下るわけではない。完全にミス下り)


 こうなると、仕方なく、つながってもいない孫黒檜のある尾根との合流点にコンパスをセットするしかない(ヤマップに載っていた軌跡図は持参していた)。余談ながら、以前のヤマレコ記事の地図には磁北線が記されていたが、今の地図では磁北線が消えている。感でセットするしかない。その直後、たまたま北側に踏み跡を見つけた。これだろうか。追ってみた。踏み跡は濃くなったり、消えたりしたが、何だか変だなと思ったのは、尾根伝いに下っていることだった。ある程度下ったところでコンパスを確認すると、コンパスの先は真左を向いている。GPSを取り出し、地図を確認する。北尾根を下っている。しかし、この踏み跡はどこに至るのか。北尾根の先には林道らしい実線はあるものの、県道につながっている様子はない。そうとなったら、尾根から離れ、トラバースしてコンパスに合わせて歩くしかない。後日談だが、ヤマレコの場合、記事表示を人気のヤマップに近づけたためか、扱いづらくなり、磁北線も消えたと思っていたが、「地図出力」の「地図プリで印刷」にすると磁北線はしっかりと記されていた。深読みもせずに老舗のヤマレコはもう使えないな、なんと思っていた。

(トラバース下降。こんな景色が続く。何枚も出しても意味がないのでこの一枚だけ)


(これは沢筋だろうが、地形図では確認できない)


(自然に復帰しつつある作業道)


(大きなフキが出てくる。ただ茎は細い。食するには適しまい)


(ここにも作業道の名残があったが、見上げると、かすかに尾根が左右に続いているようだ。あそこを目指す)


 シダに覆われた斜面が続く。幸い、樹は自然林のためか密でもない。だからといって歩きやすいわけではない。最初のうちは急斜面を下降気味に横切って行った。いずれは目印か明瞭な踏み跡に出くわすと思ったのは甘く、ようやく傾斜が緩むと、涸沢の横断が続いたり、かなり古い作業道をいくつか越える。これらの作業道もいずれは県道に至るのかもしれないが、先を見ると、草ぼうぼうで、ヘタすれば山中徘徊といったパターンにもなりかねず、すべて無視した。下りきったところから見上げると、尾根が見えている。コンパスを出すと、少しはずれてはいるが、孫黒檜に至る尾根のようだ。GPSで確認すると、まさにそうだった。まぁ、これで助かったというわけだ。

(孫黒檜尾根に出た)


(元より好き者の山だから、ヤブ尾根といった方がいいかも)


(孫黒檜に到着。二人の姿が見えた)


 尾根に上がった。1515mからの孫黒檜標準コースでの合流位置よりも山頂寄りだった。かなりバテバテで、もう歩きたくない状態に近いが、ここまで来たからには再訪を果たしたい。傾斜も緩いのに、ダブルストックでようやく歩き、山頂が見えた。何と、二人連れの姿が目に入った。物好きがいるものだというのが最初の印象だが、向こうも、オレのことをそう思ったらしい。

(孫黒桧の山名板)


(そして和久土也山の山名板も併設。9年前にここに登る際、いろいろと調べたが、鷹ノ巣山という山名もあって、そもそも正式な山名があるのやら。人も滅多に行かないような山はそんなものだろう。孫黒檜に対抗して、和久土也山の山名板を設置した方は、よほどのこだわりがあったのかと思われる)


(見栄えも景色もない山でしばらく休んだ)


 この山の風景だけはしっかりと記憶がある。無口なダンナさんと違って、饒舌なカミさんと話をしたら、黒檜山には登らず、この下に駐車して、爺黒檜、小黒檜を周回して孫黒檜に来たらしい。1515mからどうやってここに来たのか、聞いておけばよかったが、頭が空白で、なぜか、山名板のことを聞いていた。冒頭に記した「後藤氏らしい方」が設置した青白のプレートは見つからず、代わりに、「爺」と同じ筆致の「孫黒桧」と、奥にこれもまた手書きの「和久土也山」の山名板があった。以前来た時には青白のプレートだけがあったことを話すと、カミさんは、よくここに来るのか、樹の一部に手をあてて、「ここにあった跡があるよ」と教えてくれたが、その跡形は、オレにはよく見てもわからなかった。
 お二人が下山し、一人ぼっちになった。枯れた倒木に腰かけて、まずは一服。どうも、ここまでで疲れた。さらに、ここから県道までの下山はともかく、あの車道をトボトボと登って駐車地までの帰路に就くのを想像するだけでうんざりする。ようやく空腹を感じ、菓子パンを食べたが、一個だけようやく飲み込んだ。水を飲んでもう一服。今日の山行で三本目になる。ここのところ、山にはタバコを持たないが、それはいつも3時間程度の歩きだからであって、今日は5時間はかかるかなと持って来ていた。持っていれば、周囲にだれもいなけりゃ吸いたくもなる。何やかやと、見晴らしも何もない孫黒檜で30分以上は休んでいた。風は弱いながらもあるのがほっとする。小うるさいスズはもう外した。

(下る。尾根を外れてからは明瞭な道もなく、適当に下るしかない)


(こんなテープを見かけても、踏み跡が続いているわけでもない。別に焦ることはない。下り続けるだけで車道には出られる。擁壁だったら迂回すればいい)


(写真左上になるが、車道が見えた)


(車道に出た。前の小広場は、かつてヒカリゴケが名勝だったらしい時の駐車場で、ヒカリゴケはもはやない)


 さてと下る。最初のうちはコース通りだったようだ。途中からテープも見失った。そもそも、この山に9年前に来た時には、沢筋やら小尾根を使って適当に登っている。今回も同じような下りになった。尾根から外れて下ろうにも、テープはあれども踏み跡は不明瞭。続くテープを見ても、踏み跡を辿っているようには思えない。最後は歩きやすいところを下った。ようやく車道に出た。かつてヒカリゴケ自生地のあったところの駐車地の前だった。歩きルートの経緯はともかく、出口だけは〇だった。

(長い車道歩きの始まり)


(ショートカットしてみたが、足の運びがトロく、さらに歩きづらくて余計に時間がかかった)


 ここからは帰路となる。山中と違って、車道は風もなく暑い。おまけに地味にクネクネと登る。登りが終わる五輪峠までの標高差は240mを超えていた。すでに疲労困憊した身体にはかなりきつく、少ないながらも、傍らを車やバイクが立てるエンジン音がたまらなくうっとうしくなってくる。途中、大カーブのところを山道に逃げ込んでみたが、山道とて平坦ではない登りになり、休み休みで、むしろ車道を歩いた方が時間もかからなかったようだ。ショートカットはやめて、車道歩きに徹した。だれか、ドライバーが拾ってくれないかなと期待もした。そんな変わり者のドライバーはいるわけがない。この時、ザックをどこかに隠し、空身で車を取りにいくといった合理的なアイデアが頭に浮かぶことはなかった。半分は楽だったろうに。

(車道左に見えたここが小黒檜への登り口だろう。地図上の破線路は頼れないというか、存在しないと思った方がいい)


(9年前、この45付近から登った。雪もあって、まさにズサンな歩きで小黒檜山に登った。もしかすれば、ここを行くと、途中から刈り込み道になるのかもしれない)


(五輪塔。由緒はあるのだろうが、ただの交通安全になっている。嫌な話だが、道路筋の何とか塔というと、そこで事故があって、霊がさまよう噂話から供養のために建てたということもよく聞く)


 日陰の路側帯で腰かけてしばらく休んだ。風通しは悪かった。腹が空いているのに、菓子パンは半分食べただけ。それでいて四本目の一服。水だけは飲んだ。もう歩きたくない。足を投げ出して20分ほど休んだろうか。GPSを見てみた。3/4の車道歩きは終えていた。とにかく我慢して歩くしかない。これがこの暑い時季ではなかったら、こんなぐうたらな状態にはなるまい。

(五輪峠。五輪尾根とともに以前から名称が気になっていた。自分の年代にすれば、五輪とは1964年の東京オリンピックのイメージになる。五輪尾根はオリンピックと何か関係があるのだろうか。もしくは、さっきの五輪塔との関わりだろうか)


(ようやくの下り)


(黒檜山)


(黒檜山登山口)


(駐車場到着。やれやれ)


 五輪峠に着くと、あとは下りになった。とにかくほっとした。途中で登りに転じやしないかと不安だったが、ずっと下りだった。そのうちに右下に大沼周遊道路が見えた。そろそろと思ったものの、周遊道路は離れていった。
 ゲートを通過し、左に黒檜山登山口。ようやく解放された。それでいながら、出発時以上に長く感じながら駐車場に到着、車は4台ほどあったが、自分の車だけ陽あたりに置かれ、他の3台はいずれも日陰。出発時にその辺は計算をして、南西からの陽があたらないような場所に置いたつもりでいたが、それをさえぎるはずの木立が低過ぎた。
 とにかく着いたのだからと、車のドアと窓は全開にし、日陰に逃げ込んで五本目。その間、地下足袋からズックに履き替えようとしたら、滅茶苦茶に下肢が痛く、足を延ばしたり、屈伸しながらようやく履き替えた。今日はスパイク地下足袋には助かった。黒檜山への登りではスパイクを随分と岩に引っかけて歩きづらかったが、さまよった1515m先からのトラバース下降では滑り落ちることもなかった。ただ、長い車道歩きでは、地下足袋はつらかった。

 白樺牧場には、まだレンゲツツジが咲いてはいたが、すでに生気はなく、花の色もくすんでいた。わざわざ、車をとめて見に行く必要もあるまい。素通りした。
 気温20℃だった赤城山も、前橋市内に入ると32℃になった。アイスクリームを食べたくてコンビニに入ったが、買ったアイスは甘過ぎて、結局、もう一軒に寄って、冷えた麦茶をがぶ飲み。車のエアコンはきかず、家に着くまで無性に眠かった。

(今回の歩き)

この地図は電子地形図25000(国土地理院)を加工して使用しています(令和元年手続改正により申請適用外)

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Unknown (ふみふみぃ)
2024-06-15 20:51:28
前の記事では歩きの意義も目的もよくわからなくなってきたと書かれていましたが、この時期の低山歩きで暑さにやられていただけなのでは。日光当たりの涼しいところで歩行時間が伸びていけば自然とやろうとしていた課題を思い出されるのではないかと。
私は逆に課題達成のために最近歩行距離を無理やり伸ばして筋肉をつけなおしてきました(笑)。心臓に優しい歩き方に変えて歩行時間が伸びつつあります。
昨年の10月、リハビリで赤城に行った際、私も爺黒檜方面に伸びる明瞭な道型をみて面食らいました。8年前はこんなではなかったのに。まあ踏み跡らしきものができた情報は仕入れていたのですがここまで明瞭とは。この明瞭な道型、爺黒檜と小黒檜の間から北東に伸びる市境尾根上にもずっと続いていました。確か最後1300mくらいで南東の実線林道方面に逸れていくのを確認しましたが、1200mくらいで市境尾根沿いに新たな明瞭な道型が現れたので、実はあちこちにあるのかもしれません。
白樺牧場のレンゲツツジは6/1時点で既にほぼ満開だったので素通りで正解でしょう。アズナゲシーズンも終わり、ハクナゲも今年はやる気がなさそうで、これからの季節楽しめそうな花はニッコウキスゲくらいでしょうか。
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ふみふみぃさん (たそがれオヤジ)
2024-06-15 23:48:42
ふみふみぃさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
意義も目的も云々は、確かに弱気の表現で、そもそも、いつもの六月にしては暑すぎで、適度に登ればいいやといった安易な感覚の歩きから出たようで、低山歩きをするにはすでに無理のようで、そこからの感情ですね。このまま間に合わせで低山歩きを続ければ、山歩きも嫌になりそうな気がして、とりあえずは最寄りの赤城にしました。ただ、今さら、筋力を戻しても、他の同年代の「退職してこれから山歩きを始めました」とはまったく違うレベルですから、改めて筋力を戻す思考はなく、むしろ、衰えないような歩きを想定するだけです。
ふみふみぃさんの山歩き記事を拝見せずに失礼でしたが、あの刈払い道は、爺の先から北東、そして南東ですか。私はてっきり、南西とばかりに思っていました。それよりも、散漫に歩いていましたから、分岐には気づきもしませんでした。果たしてどうなのかなと思ったりもします。ヤブ山はヤブのままにしておいてもらいたいし、刈られた道があれば、つい歩いてしまって、とんでもないところに出てしまい、駐車地まで延々と戻ることになったりしてしまう。ヤブに心得のある方なら確認もするでしょうが、素人さんなら、引き返すにはとんでもないことになるでしょう。
私もまた、これからはニッコウキスゲかなと思っていますが、ツツジと同様に、行ってがっかりといったことのないようにしたいものですが、果たして、どんなものですかね。他人様の記事で「見事」と記されても、自分には「なんだ、今年はこんなものか」で終わりそうな気がしないでもありません。
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