たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

赤城の<滝沢不動尊近く 岩穴に石仏5体>にようやく巡り会った。これまで、しんどい歩きをして探し回っていたのは何だったのだろう。結果はあっさり過ぎた。

2022年06月12日 | 赤城山周辺
◎2022年6月10日(金)

 5月31日掲載記事にも触れたが、不動大滝周辺にあるらしい岩穴(胎内くぐり)の石仏探しは、5月29日の四回目を最後に未発見のままにピリオドを打った。未練はあったが、いくつかの情報に記された場所はアバウトで範囲が広過ぎた。崩壊も進み、かつての登山道が林道開通で隠れてしまったような情況では、これ以上の危険な探索もできない。頼りの赤城良常氏の2、3の記事を分析してもどうもわからなかった。
 このピリオドが揺らいだのが瀑泉さんからいただいたコメントだった。瀑泉さんご自身は行かれたことはないようだが、『赤城山 花と渓谷』(上毛新聞刊)の記事に、件の岩穴は「第一石門」として記されていて、滝沢不動尊から「万延元年」建立の<山の神の石宮>を経由して20分で至るとのこと。記事には地図も記されているらしい。ということは、四回目にウロチョロしていた危うい場所はお門違いということになる。20分どころか山慣れした方でも30分はかかる。自分の目で『赤城山~』を確かめたかったが、すでに絶版になっていて入手は困難。何せ1997年の発刊だ。瀑泉さんに、該当頁だけ送ってもらいたいくらいだったが、いくらなんでもそれは失礼だろう。
 すぐに瀑泉さんの方から、分かりづらいだろうとメール添付で送っていただいた。ありがたかった。これで助かったと思った。つまりは旧道を登ればいいらしい。第一石門から先はおそらく旧道ではないだろう。少なくとも四半世紀前の時点で、著者の青木清氏は「昔の山道はほとんど消えている」とあり、それでも幾筋もの沢を横切り、眼下に大滝を眺め(この辺のすぐ手前を四回目に自分も歩いている)、大滝の落ち口を見て、「かめ割の滝」なる滝まで往復している。かめ割の滝まで行くつもりはない。第一石門だけで十分。ただ、文章の中に林道の記述はなかった。当時、今の林道の部分は、下の粕川から続く樹林やら灌木、ガレ場、いくつもの沢が通り、その間に道が途切れながらも続いていて、その中を歩いたということは想像できる。
 瀑泉さんからの添付メールを確認したのは10日(金)の朝。運よく、この日は会社が休業日で、天気次第で、久しぶりに乙女の滝でも観に行くつもりでいた。霧雨だったが、犬の散歩を済ませて、朝食をとってから出かけた。

 前不動駐車場に着く。まだ降ってはいないが雨模様の天気。おまけにガスガス。当然、他に車はない。準備をしていると、オッサンがやって来た。「滝見物ですか?」と聞くと、そうだとのことだが、この方、やたらと「友達から聞いて」という言葉を連発する。不動大滝は初めてであることは確かのようだが、途中、おおさる山乃家から滝が見えたと言ってもいた。あるわけがない。堰堤と滝を混同しているようだ。滝見はど素人のようだ。「オジサンも滝ですか?」と聞かれたのにはショックだった。とうとう、オッサンからジジイ扱いされるまでになってしまったか。長靴にするつもりでいたが、足場の不安定なところがあるかもしれない。今日は本当に冠詞付きのTHE LASTの歩きだとの意気込みもあって地下タビにした。

 今日の予定は滝沢不動滝の裏側から実線路に出て、もしかしたら林道をまたいでその先に続いている道があるかもしれない。あったら入ってみるし、擁壁に妨げられていたら、切れたところからでも入り込んでみるつもりでいる。自分の頭の中には、岩穴は林道の上にあるとの思いが強い。理由は特にない。三回目の探索の際、粕川側から這い上がった実線路の途中から不動尊に下っていたが、先の林道との合流部分は確認していなかったし、四回目の林道始点からの歩きでは目も向けなかった。だから断言もできず、「そんな感じがする」でしかない。そういう、多方面へのアンテナの張り巡らしが自分には欠如している。簡単に言えばアホということになる。

(行き過ぎた。右から橋まで登る。ここで地下タビが水気たっぷりになった)


(山の宮の石宮か?)


(「萬延元」の文字が読めた)


 恵の瀧の脇から不動尊の裏側に出るつもりが、踏み跡に気づかぬままに不動尊直前まで来てしまった。見上げるとアルミの橋が見えた。戻らず、そのまま杉の葉が堆く積もった斜面を攀じ登って橋を渡る。鳥居付きの石祠が現れる。例の千手観音の置かれた石祠だ。これに「万延元年」と彫られていれば「山の神の石宮」で正解だ。裏に回って確認する。なぜか文字が逆さまになっていたが「萬延元」が読み取れた。この道でOKだ。

(この先は崩れているだけで何もない)


(地図上の実線路。ガードレールは工事林道になる)


(ここから林道上に出てみる)


(林道下方面。ここを下れば橋になり、不動大滝への道に合流する。ネット情報に「工事の人が現場周辺を見上げると岩穴が見えた云々」というのがあった。まさか、ガスっているピークのことではあるまい。あそこは、前回、危険を冒して途中まで登っている)


 実線路になる前に、前回調査済みの小尾根を下ってみる。ここにこだわる理由があった。踏み跡があったからだ。かなり先まで行ってみたが、岩そのものがない。むしろ、北側に大岩があった。この辺は不動尊の上の岩壁になる。一旦戻って行こうかと思ったが、前述のように、岩穴は林道の上と思い込んでいるから、林道下は後回しでいいだろう。
 実線路と林道が合流した。予想通りに向かい側のヤブに踏み跡を見つけた。入り込む。すでにヤブのツユでズボンはすっかり濡れ、地下タビも水気をかなり吸い込んでいる。不快この上ない。梅雨時期はいつものことだと我慢する。

(このロープと先の赤テープは新しかった)


 間もなく、左方向に赤テープとロープが現れた。いずれも新しい。ということは、岩穴へのルートとしてとらえてもいいのではなかろうか。そもそも、ロープそのものが不要なほどの斜面で、素人向けとしか思えない。岩穴に行くのに、山歩きには不慣れな石仏研究家が入れるように設置したとしても不思議ではない。テープを追えば、確実に岩穴に至れる。その時はそう思った。

(こんな沢型をいくつか横切る。テープは北方向に誘っていた。つまりはつつじが峰通り方面)


(小尾根の乗り越え。まだテープは新しい)


(岩壁にぶつかった。何もない)


(右の洞穴でもなかった。岩は左に続く)


(結局、件の岩穴はなかった)


 テープは沢筋をいくつか越えては徐々に上向きになって行く。石垣もいくつか目に入る。どん詰まりのようなところに大きな岩が立ちふさがった。わざわざ近づくまでもなく、通り抜けできそうな石門ではない。テープはその大岩の左にあった。登るとまた大岩。これが3つほど並び、穴の開いた岩もある。ようやく岩穴に着いたと、正直のところ喜んだ。これまでの四回のムダ歩きもここで報われたか。右から覗いていく。ない。次もなし。3番目の岩は奥にあって、ズルズルだった。草をつかんで何とか前に出た。ここもなし。がっくりきた。その後も同じことが続く。何せ、大岩があちこちにある。

(下に林道が見えている)


(テープは先に続く。一応は行ってみるが、すでにやる気は失せている)


(こんなところに出た。このまま行けば、四回目探索ルートにぶつかってしまう)


(越えるのもきつくなってきたので、ここで引き返す)


 その先に行ってみるが、テープはあるものの、かなり古いテープになっていて、踏み跡もあちこちにあり、人間のものか動物のものかも判別できなくなっている。ここに至って、踏み跡は途中から遠目でしか窺えなくなっている。
 そろそろ、見切りをつけた方がいいかもしれない。そもそも、不動尊から20分どころか、林道のヤブ入口から30分はほっつき歩いている。この先は、四回目の危険ゾーンに合流する。あぁ、今日の五回目もダメだったか。縁がないようだ。戻ろう。戻って、乙女の滝でも観に行こう。いや、その前に、林道下の探索はすでに三回目に済んではいるが、見落としがあったかもしれないので、もう一度見ておこう。実線路下の岩も気になったことだし。気分はもう「一応は見ておこうか」になっている。

(下りながらチェック。ここもなし)


(林道に下っている)


 しばらくは来たルートで下り、途中から林道に向けて迂回しながら下る。林道にさっさと降りたかった。沢筋の下りになった。林道の擁壁の上に出なければいいが、その時はその時、また迂回すればいい。
 水が流れる沢になった。流れというほどのものではなくチョロチョロだ。大きな石がゴロゴロして歩きづらい。古い堰堤と右手上に大岩が見えた。石門にはなっていない。わざわざ行かない。林道の真上に着いた。幸いにも擁壁ではなく金網だった。金網が切れた左端から林道に出られそうだ。難なく林道に出た。

(林道に出た。さっきと同じ風景。ガスは薄くなってきた)


(戻る。念のため、あの岩をチェックしてからあきらめてもいい)


(苔むした石垣。その左に石仏のようなものが見えている)


(何とも偶然だった。直観でも何でもない)


 ため息をつきながら、ガードレールをまたいで林道下に越えようとしたが、下りがけに右に見た大岩が気になった。やはり見ておこうか。金網の中に戻った。大岩は近づくにつれて怪しくなった。空間が見えた。もしかして石門ではないのか。堰堤に上がると、石仏のようなものが2体見えた。岩穴はあれか? やはりそうだった。もう、さほどに感動はなかった。ようやく見つけたという安堵感だけはあった。あまりにあっけないところにあったせいだろう。わかってしまえば灯台下暗しとはこのことだ。

 ここで、許されることではないが、勝手に赤城氏のブログ文章を引用する。「忠治の岩屋の少し下流で小さな沢に取り付き登って行く。一汗かくころ、滝沢不動から横に這っている道に出る。石門があり…さらに登ると…滝沢不動尊とつつじが峰通りを結ぶ登山道に出る」とある。この感じでは、岩穴の位置がかなり高いところにあるイメージになる。「横に這っている道」とは、自分が今回林道から入り込んだ道だろう。だが、その道は真横ではなく、上に向かっていたし、赤城氏はさらに下の粕川から沢を登ったから汗もかいたろうが、自分は再び林道から上がった際には汗はまったくかかなかった。また、「滝沢不動尊とつつじが峰通りを結ぶ登山道」とは、四回目の探索の際、倒れた「滝沢不動尊→」の看板に合わせて行ってみると、ヤブ化したかすかな踏み跡らしいのがあったものの、これを忠実に辿るのは大変そうだったので引き返した道のことを指すかと思う。頭の中の地図が混乱してしまうが、まだ林道が通っていなかったという前提なら、大方の事情が氷解する。林道開通のおかげで、赤城氏記録も『赤城山 花と渓谷』記事も、参考にはなっても、一連の探索では役に立たなかったというのが本音のところだ。現場の状況がかなり変わっている。まっ、どうでもいいじゃないか。先人のヒントがあって、偶然とはいえ、後は自力でとは大げさだが見つけたのだから。しかし、四回目歩きの偏平足氏の場所情報には参った。高揚した気分でスポットに向かって踊らされたようなものだった。実際には赤丸位置とはまったく離れていた。足を滑らしたら、確実に粕川に落ちてとんでもないことになっていた。うかつに特定位置を地図上に載せてネットにアップするものではないとつくづく思う。オレみたいにラッキーとばかりに信じて目指す人間もいる。

(南向きの3体。左の石仏はあとで向きを正面に戻した)


(反対側から)


(岩穴の向こう側。行けなくもないだろうが、左は急降下している)


(北向きの2体。補正してもこれが限度だった)


(ストロボで)


(以下、一体ずつ。時計回りで。南向き1)


(南向き2)


(南向き3)


(北向き1)


(北向き2)


(これは証拠写真。シャツの汚れは汗ではなく草露)


(ピンボケだが、北向きの2体は岩穴の外側にある。そのため、雨にあたって南向きの3体よりも仏様の形が少し丸くなっている)


(改めて。見納め)


(もう来ることはあるまい。五回目にしてようやくだったか)


 不思議な空間だった。パワースポットとでも言うのだろうか。岩穴の中には南向きの石仏3体。その向かい合わせに穴の外に北向きの石仏が2体。天気がすっきりと晴れていたらと思うと残念だ。全体が薄暗い。石仏の顔も彫られている文字もまったく読めない。5体ともに観世音菩薩像とのことだが(上毛新聞記事には十一面観音と馬頭観音とある)、この事前調べがなかったら、何像なのかもわからない。お参りする人もいるのか、仏前には一円、五円玉が並んでいる。写真を撮りまくる。帰ってからパソコンで見ると、暗いせいかボケているのが多いし、ストロボ物は不自然な写真だった。加工してみたが、まともな写真でも明るくはならなかった。
 自分は石仏に造詣が深いわけではなく、むしろ素人だ。ただ、百羅漢、五百羅漢とかのように、石仏が集中して名所のように、ずらり並ぶ風景よりも、山中にポツンと一体の地蔵さんがあったり、何でこんなところに石仏があったりといった、そういうのが好きなだけのこと。まさに自分にはパワースポットで、気持ちが和み、気分も落ち着く。それが観音様であろうが、お不動さんであろうとかまわない。今回を含めて一連の五回も歩くことになった岩穴の石仏もまた、今や忘れ去られた通り抜けの岩穴、つまりは胎内くぐりにあるという新聞記事に興味を寄せられた。写真を撮った後はしばらくは濡れた石に腰かけてボーっとしていた。もう下半身はぐしょぐしょで、上のシャツもまた泥が染み込んでいる。南向きの石仏3体のうち、左の1体が正面向きではなかったのでずらした。余計なことをしたかな。
 あっそういえばと、思い出したかのように穴の反対側を見に行った(とはいっても、岩穴の長さは5mもない)。『赤城山 花と渓谷』の著者の青木氏は「石門をくぐり、斜面を少し登ってから…」とある。朝日新聞記事には「反対側には抜けられない」とあった。急なザレ場になっていた。ここもまた崩壊だろう。雨で湿気っているからなおさらだが、乾いていてもきついかもしれないし、果たして、ここをトラバースせずとも、さらに上に出て西に向かえばいいのにと思ってしまうが、25年前は容易なトラバースだったかもしれない。

(滝に向かう)


(橋から)


(滝への階段)


(不動大滝。これもまたTHE LAST にしておこう。散々観てしまった)


(いつも思う。観音様に見える)


 林道に戻った。気分は爽快だった。このまま予定外の不動大滝に林道を使って行った。河原の砂地に足跡はなかった。あのオッサンは行ったのだろうか。どうも本気の気配はなかったし。足もズボンも濡れていて、足はすでにふやけているはずなのに、水に濡らすまいと、左、左に行くと、足を濡らすことなく不動大滝。これで見納めとばかりに、間近で滝のしぶきを浴びる。すっきり天気で暑かったら気持ちも良かったろう。寒かった。

(不動堂の下の粕川で。以前、ここで修験者が護摩焚きをしていた)


(滝沢不動尊)


(これを見たのは初めて)


(石仏がずらり。岩穴の石仏とはやはり感じ方が違う)


(不動王明王像なのだが、この天気ではこれが限度)


(恵の瀧)


(忠治のみはり岩)


(延命猿水)


(前不動尊)


(ここの不動様)


 普通の滝沢不動尊経由で前不動駐車場に戻る。途中、二人連れに出会う。滝まであとどれくらいかと聞かれた。滝沢不動尊も、もう来ることもない。丹念に見た。記憶にない石仏も見た。やはり、こうやって、石仏がずらりと並ぶと、珍しい石仏ですら自分の趣向からは離れてしまう。

(駐車場に戻る)


 前不動駐車場に戻る。他に一台。あれはさっきの二人連れだろう。今日の歩きは長く感じたわりには2時間45分。地下タビからズックに履き替えておおさる山乃家に向かう。大猿の滝は無理でも乙女の滝だけでも見るつもりでいた。
 雨がポツリポツリと落ちてきた。雨具は用意していた。乙女の滝なら往復で1時間半も要しまいが、そこまでのこだわりもないし、岩穴の石仏も見られたから満足状態でいる。傘を広げ、東屋に向かい、蜘蛛の巣を払いながらラーメンを作って、本日のフィニッシュにした。

 雨はそのうちにやんだ。もういいやとそのまま帰る。梅雨の時期だし、天気も気まぐれ。遠距離の山歩きは雨では不安だが、滝見ならどうせ濡れるし、近いうちに改めて来てもいい。霧雨程度なら敢行もできるだろう。

 五回目にして出会えたのも、何はともあれ、瀑泉さんからの情報だった。それがなかったら四回で見られずのままに終わっていた。きっかけをつくっていただいた瀑泉さんには感謝申し上げる次第です。しかし、あんなところにあるとは、何ともはや…だった。過去の四回ともに、結末の今回五回目のフォローにはまったくなっていなかった。

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4 コメント

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Unknown (瀑泉)
2022-06-13 23:22:41
たそがれおやじさん こんばんは。
自分的には、件の本の記載から、偏平足さんは、二つある上(北)の卍を滝沢不動尊と勘違いしていると考えて、実線林道の北(広葉樹マーク)辺りに在るのではないかと予想したのですが、思ったより東にありましたネ。
まぁ、往時と違って工事林道やら実線林道が出来ているし、現地を見てもいない安楽椅子探偵の自分では、位置情報の誤りは指摘できても、新聞にある「林道沿いのがけの上」までは思いが至らず、残念ながらこの辺りまでが推理の限界でした(汗)。
そんな予想ではありましたが、お付き合いいただき、ありがとうございました。
まぁ、目的不明のロープやら目印に騙されて、大変だったようですが、最後は執念が実ったようで何よりでした。
話は変わりますが、「乙女の滝」は行かなくて正解でしたヨ。最近、くまたかさんが行かれてますが、ヤマップの写真を見ると、流れが変わって、跳ね滝ならぬショボ滝に変わっています。
おそらく行っても、ガッカリされたと思いますヨ。
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瀑泉さん (たそがれオヤジ)
2022-06-14 09:15:58
瀑泉さん、こんにちは。
このたびは情報をいただきありがとうございました。林道が通った今の状況では決定的なものではありませんでしたが、「万延元年の石宮」と「不動尊から20分」にこだわったのが敗因にならずに済みました。これがなかったら、5回目もなかったし、発見もなかったですよ。改めて御礼申し上げます。確かに私の投げやりな執念もありますけどね。
いずれ、あの林道を車が行き交うことを想像すると、これまで静寂の中にひっそりと佇んでいた石仏には、さぞ迷惑でしょう。
乙女の滝の件、くまたかさんのYAAMAP記事で確認しましたが、5月24日ですから、直近ですよね。本当かなと思うほどの変貌ぶりですけど、本当に乙女の滝か疑わしいほどです。確かに、流れが変わったのでしょう。かつての勢いのあるヒョングリは、これでは期待できませんね。
大猿の滝は、今は進入禁止になっているとかいう情報もあるようです。上流の崩壊が進んでいるのでしょう。
行かなくてよかったというよりも、むしろ、自分の目で確かめてきたいところです。それであきらめもつくというものです。
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Unknown (ハイトス)
2022-06-21 17:13:47
お疲れ様でした。
諦めたのかと思ったら初志貫徹ですね。
天気が曇りのようでしたが、仏像は厳かな雰囲気でいい写真ですよ。
証拠写真の満足そうなお顔がすべてを物語っているようです。
実は偏平足さんの赤丸印にダイレクトに行けば良いのではと傍目で思っていたのですが、結局かなり離れた場所だったのですね。
重ね重ねお疲れ様でした。
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ハイトスさん (たそがれオヤジ)
2022-06-22 09:05:07
ハイトスさん、こんにちは。
初志貫徹というほどの強い意志はありませんでしたよ。あくまでも成り行きでそうなったというだけのことです。
偏平足さんの記事を見つけたのは4回目の直前のこと。何だ、こんな記事があったのかと、これまでの3回は何だったのかと思ったほどです。ハイトスさんは、以前から、この記事はご存知だったようですね。
ダイレクト云々と簡単におっしゃいますが、正直のところ、あの赤丸印周辺は自分には命がけのようなものでした。急斜面のトラバースですよ。下は断崖状で粕川。あのあたり、師匠さんたちが滝上に出ようとして一時間半ほどさまよったようです。目的は石仏ではありませんがね。
あんな誤った○印は入れて欲しくなかったです。滝上には、二度と行きません。つつじが峰通りの歩きで十分です。
して、結果は、何ということはない。林道から100mも離れていないところにありました。とにかく、いろんな情報に振り回されました。
ところで、6年前に一緒に行った大猿川の乙女の滝。瀑泉さんコメントで確認に行ってきました。やはり乙女の滝は消えていましたよ。
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