◎2024年5月15日(水)
夢見が悪かった。すでに過去になった人間関係がごちゃ混ぜで出てきた。楽しくはない陰鬱な夢だった。頭がぼんやりして、今日の山歩きはやめようと思った。寝直ししようとしたが眠れず、起きて犬の散歩やらの日常生活を始めたが、休みの今日一日が長くなりそうだ。天気も良い。せめて、地元の金山と思ったが、毎度毎度の間に合わせでは、夢見の悪さは消えそうもない。足利の山ももういいだろう。そういえば、桐生の鳴神山に、定番コースの駒形登山口から登ったことは最近ない。大滝からなら一年半前に歩いている。カッコソウは終わっているだろうし、せめて、ヤマツツジと新緑見物目的で行ってみようか。予定では、今日は富士山見物だったが、昨日の天気予報で、行こうとした山と富士山の間の雲量は50%以上になっていたので、富士見はやめていて、起きた気分次第で赤城にでもと思っていた。
(登山口までちょっと距離があった)
(駒形登山口)
(1時間10分とのこと)
(新緑がきれいだ)
平日だろうし、駐車スペースも空いているだろうと考えていたのは甘かった。すでに10台以上の車があり、下のスペースもふさがっている。致し方なく、さらに下の路肩にとめたが、そこでさえ、下山した時には、3台増えていた。
9時41分出発。もう暑い。半袖の方がよかった。登山口の案内板には鳴神山まで1時間10分とある。ということは、1時間30分とみておいた方がいいだろう。頭はすっきりしないまま身体もまただるい。前方を3人組が歩いているのが見える。抜きたくはなかったが、道が狭くなるところで早速休んでしまったので、抜かざるを得なかった。こうなると逆プレッシャーだ。幸いにも、自分が鳴神山から下るところで上がって来たので、随分とゆっくりしたお歩きだったようだ。その間、振り返りはしなかった。間近にいたら、煽られ気分になる。
(たいした沢ではないが、せせらぎには癒される)
(水量がもっとあったら、見ているだけで時間がかかったかも)
沢沿いの道を登って行く。沢の流れと苔むした石、そして、陽に照らされた樹々の葉の緑はきれいで、さらに姿は見えぬが、鳥のさえずりが加わり、安らぎさえ覚える。左の風景は見ない方がいいだろう。急斜面に杉の植林が続いている。安らぎと記しながらも、実際のところ、かなりゼーゼーしている。
(中間点)
(そして水場)
(むっとする緑だが、こうも深いと、木漏れ日ながらも暗い感じがする)
(レンゲショウマとあった。忘れなかったら、夏にまた来てみたい。花のことだし、おそらく忘れているだろう。)
中間点を過ぎて水場。特に休憩したい気もないので、すでにグッショリになった手拭いを洗っただけ。顔を拭いたらひんやりと気持ちが良かった。
前方を単独さんが歩いている。適当に立ち休みしながら登っている。自分の歩きレベルに近かったので、抜くつもりもなく、適度な間隔でしばらく付いて行った。ところが、今度は単独さんの方がオレを気になったようだ。そりゃ、うっとうしいだろう。追い越させるためだろうが、長い休憩に入ってしまったので、これまた仕方なく追い越した。オバちゃんの一人歩きかと思っていたら、オジちゃんだった。
(間もなく稜線に出る)
(こんなのを見て)
(雷神岳神社に到着)
(ここは狼らしい。そういえば、吾妻山との間に三峰山があった。秩父は狼だ)
気分的に上りが急になり、稜線が見えてきた。もう少しの我慢と稜線に出て神社に到着。神社の前で4人ほど休んでいた。稜線に出た際、バテバテ顔で南側から登って来た方がいたが、もしかして吾妻山からの縦走だろうか。ピストンで歩いたら、2千m近い高低差になる。10年前に自分もやってみたら、8時間近くかかり、帰路では足が痛くてつらかった。今、そんな苦痛歩きは、ちっとも楽しいとは思わなくなった。
(岩場にあった石祠。ここを登ろうとしてやめた。かなり脆そうだった)
(何ということはない。中間点から椚田方面に行けば仁田山岳を通るだけのこと)
ここで大きな勘違いをした。頭の地図が狂っていた。仁田山岳を先行しようとしてそちらに向かう。明瞭な道はない。岩の間に石祠があった。この岩を直登しようかと、岩に手をかけたら、岩が剥がれた。これはまずいと、桐生岳先行に変更。トラバースしての下りが急斜面でかなり恐かった。何ということはない。椚田峠に下るのなら、どちら先行といった不可解なことをせずとも、仁田山岳はボーっと歩いていても通過する。鳴神山には何度も来ているのにこのザマはいったい何だろう。悪夢のせいではあるまい。認知症らしい症状の覚えは今さらのことではない。
(鳴神山というか、桐生岳に到着)
(ぼんやりしているが富士山が見えている。アレっと思ったが、この日に前日まで予定していた神奈川の山では、当日は雲で富士山は見えなかったようだ。近くでは雲が下に降りていたのだろう)
(山頂の寂しげなヤマツツジ)
(山頂の神社)
(順不同になってしまったが、袈裟丸から男体山)
山頂到着。11時2分。出発から1時間20分。予定よりは10分早く、コースタイムからは10分遅れた。仁田山岳先行なんておかしなことをしていなかったら、コースタイムだったかも。山頂には10人以上はいた。皆、口に食べ物をせっせと入れこんでいる。不思議なものだ。どこの山頂でも必ず見かける光景。自分とて例外ではない。景色を楽しんだあとは大福を食べた。暑くてムンムンする。風はない。ハイカーが多いので山頂密度は高く、余計に暑く感じる。10分ほど休んで椚田峠に下る。
(仁田山岳)
(間近にすると瑞々しくはなかった)
(展望台から赤城山)
(ヒメイワカガミだそうな)
(椚田峠への下り)
(椚田峠)
仁田山岳を通過。さっきの危険な登りは何だったのだろうと苦笑い、というか、本当にまずい状態だなと思った。ここまでもヤマツツジを何度か見かけたが、ここもまた終わりかけなのか、新鮮な顔つきの花はなかったし、群れてもいなかった。少々がっかり。展望台に出ると、オジちゃんが景色を眺めていた。オレにポツリとこう言った。「いつも、この山に来ると、きまって方向感覚がおかしくなるんだよな」。オレの場合は、それとはちょっと違うような気がする。見当違いの思い込みに近い。
椚田峠までは長く感じた。アカヤシオの頃と違って、時季を過ぎれば退屈な下りになる。前をだれも歩いていない。寂しい気分になった。
(3分なら行ってみてもいいか)
(これかと思うが)
(中には入れない)
(案内板の写真に近いのはこれなのだが)
(峠に戻る)
椚田峠で<カッコソウ⇒3分>の標識を見てしまった。カッコソウどころか、草花に造詣はなく、その名前と、希少な花だということを知っているレベルだ。数日前の情報では、もう終わりかけのようで、果たして見られるかどうかは怪しいが、3分なら下ってまた登り返してもいいか。自生地に下る。
巡回コースの出入口はダイヤルキーで施錠されていた。周囲にはだれもいない。中には入れないが、フェンス越しに、これがカッコソウかなと思ったのを撮ってみたが、それは花びらが5枚で、標識のあった脇に置かれた解説板の写真では花びらがもっとあった。その、もっとあった花びらのカッコソウらしき花をかろうじて見つけたが、半分近く枯れている。帰宅してから調べると、カッコソウにもおおまかに二種あって、それぞれ花びらの数も違っていた。写真掲載した花がカッコソウかどうかの自信はまったくない。
峠に戻りかけると、下って来る5人ほどと行き会った。皆さん、山頂で記憶のある方々だ。カッコソウのことを聞かれたので、「自信はないですが、それらしき花がいくつか残っていましたよ」と無難に答えておいた。
(この雰囲気が根本山の沢コースに似て好きだ)
(何だか知らないが)
(ここからは作業道のように広くなるが、悪路)
(別に苦も無く越えられる)
(ヒイラギソウとのこと)
(林道に出る)
(段差のあるきれいな流れ)
(これくらいは知っている)
(何でもない流れだがつい立ち止まってしまう)
(まばゆい新緑)
(千手観音様を見かけた)
(ついつい見てしまう)
椚田峠からの下りは長かった。今回は、先まで行って尾根伝いに下るといった考えはまったくなく、あくまでも一般コース歩きだ。歩いた時間を鑑みれば、長く感じただけのことかもしれない。ただ、この下り道もまた沢沿いで、そのせせらぎを見ながら歩いていると、風は流れていないのに涼しく、気持ちが良かった。途中で出会ったのは、反対側から歩いて来た二人連れとマウンテンバイク一台のみ。
(登山口に帰着。この車、出発時にもあったような気がするが)
(自分の車の前に3台もあった)
(その脇にはこんなのが)
登山口に戻る。付近の車はかなり減っていたが、下の方は大方がそのまま。駐車地に着いたのは12時36分。かなり歩いた気がしたが、3時間も歩いていなかった。汗だけはたっぷりかいて、いささかくたびれた。横になりたい。
帰り道、宝徳寺の前にさしかかると、寺の駐車場は混んでいて、観光バスまである。何かこの時期のイベントでもあるのかと、駐車場に入ってスマホで調べると、「春の床もみじ特別公開」だそうな。赤くもないモミジを見ても面白くもあるまいと、車をすぐに出した。しかし、床モミジが評判になると、今度は新緑もみじ、そして風鈴まつりだのと、よくも考えつくものだ。坊さんは商売上手だ。檀家割引は有りなのかちょっと気になった。
夢見が悪かった。すでに過去になった人間関係がごちゃ混ぜで出てきた。楽しくはない陰鬱な夢だった。頭がぼんやりして、今日の山歩きはやめようと思った。寝直ししようとしたが眠れず、起きて犬の散歩やらの日常生活を始めたが、休みの今日一日が長くなりそうだ。天気も良い。せめて、地元の金山と思ったが、毎度毎度の間に合わせでは、夢見の悪さは消えそうもない。足利の山ももういいだろう。そういえば、桐生の鳴神山に、定番コースの駒形登山口から登ったことは最近ない。大滝からなら一年半前に歩いている。カッコソウは終わっているだろうし、せめて、ヤマツツジと新緑見物目的で行ってみようか。予定では、今日は富士山見物だったが、昨日の天気予報で、行こうとした山と富士山の間の雲量は50%以上になっていたので、富士見はやめていて、起きた気分次第で赤城にでもと思っていた。
(登山口までちょっと距離があった)
(駒形登山口)
(1時間10分とのこと)
(新緑がきれいだ)
平日だろうし、駐車スペースも空いているだろうと考えていたのは甘かった。すでに10台以上の車があり、下のスペースもふさがっている。致し方なく、さらに下の路肩にとめたが、そこでさえ、下山した時には、3台増えていた。
9時41分出発。もう暑い。半袖の方がよかった。登山口の案内板には鳴神山まで1時間10分とある。ということは、1時間30分とみておいた方がいいだろう。頭はすっきりしないまま身体もまただるい。前方を3人組が歩いているのが見える。抜きたくはなかったが、道が狭くなるところで早速休んでしまったので、抜かざるを得なかった。こうなると逆プレッシャーだ。幸いにも、自分が鳴神山から下るところで上がって来たので、随分とゆっくりしたお歩きだったようだ。その間、振り返りはしなかった。間近にいたら、煽られ気分になる。
(たいした沢ではないが、せせらぎには癒される)
(水量がもっとあったら、見ているだけで時間がかかったかも)
沢沿いの道を登って行く。沢の流れと苔むした石、そして、陽に照らされた樹々の葉の緑はきれいで、さらに姿は見えぬが、鳥のさえずりが加わり、安らぎさえ覚える。左の風景は見ない方がいいだろう。急斜面に杉の植林が続いている。安らぎと記しながらも、実際のところ、かなりゼーゼーしている。
(中間点)
(そして水場)
(むっとする緑だが、こうも深いと、木漏れ日ながらも暗い感じがする)
(レンゲショウマとあった。忘れなかったら、夏にまた来てみたい。花のことだし、おそらく忘れているだろう。)
中間点を過ぎて水場。特に休憩したい気もないので、すでにグッショリになった手拭いを洗っただけ。顔を拭いたらひんやりと気持ちが良かった。
前方を単独さんが歩いている。適当に立ち休みしながら登っている。自分の歩きレベルに近かったので、抜くつもりもなく、適度な間隔でしばらく付いて行った。ところが、今度は単独さんの方がオレを気になったようだ。そりゃ、うっとうしいだろう。追い越させるためだろうが、長い休憩に入ってしまったので、これまた仕方なく追い越した。オバちゃんの一人歩きかと思っていたら、オジちゃんだった。
(間もなく稜線に出る)
(こんなのを見て)
(雷神岳神社に到着)
(ここは狼らしい。そういえば、吾妻山との間に三峰山があった。秩父は狼だ)
気分的に上りが急になり、稜線が見えてきた。もう少しの我慢と稜線に出て神社に到着。神社の前で4人ほど休んでいた。稜線に出た際、バテバテ顔で南側から登って来た方がいたが、もしかして吾妻山からの縦走だろうか。ピストンで歩いたら、2千m近い高低差になる。10年前に自分もやってみたら、8時間近くかかり、帰路では足が痛くてつらかった。今、そんな苦痛歩きは、ちっとも楽しいとは思わなくなった。
(岩場にあった石祠。ここを登ろうとしてやめた。かなり脆そうだった)
(何ということはない。中間点から椚田方面に行けば仁田山岳を通るだけのこと)
ここで大きな勘違いをした。頭の地図が狂っていた。仁田山岳を先行しようとしてそちらに向かう。明瞭な道はない。岩の間に石祠があった。この岩を直登しようかと、岩に手をかけたら、岩が剥がれた。これはまずいと、桐生岳先行に変更。トラバースしての下りが急斜面でかなり恐かった。何ということはない。椚田峠に下るのなら、どちら先行といった不可解なことをせずとも、仁田山岳はボーっと歩いていても通過する。鳴神山には何度も来ているのにこのザマはいったい何だろう。悪夢のせいではあるまい。認知症らしい症状の覚えは今さらのことではない。
(鳴神山というか、桐生岳に到着)
(ぼんやりしているが富士山が見えている。アレっと思ったが、この日に前日まで予定していた神奈川の山では、当日は雲で富士山は見えなかったようだ。近くでは雲が下に降りていたのだろう)
(山頂の寂しげなヤマツツジ)
(山頂の神社)
(順不同になってしまったが、袈裟丸から男体山)
山頂到着。11時2分。出発から1時間20分。予定よりは10分早く、コースタイムからは10分遅れた。仁田山岳先行なんておかしなことをしていなかったら、コースタイムだったかも。山頂には10人以上はいた。皆、口に食べ物をせっせと入れこんでいる。不思議なものだ。どこの山頂でも必ず見かける光景。自分とて例外ではない。景色を楽しんだあとは大福を食べた。暑くてムンムンする。風はない。ハイカーが多いので山頂密度は高く、余計に暑く感じる。10分ほど休んで椚田峠に下る。
(仁田山岳)
(間近にすると瑞々しくはなかった)
(展望台から赤城山)
(ヒメイワカガミだそうな)
(椚田峠への下り)
(椚田峠)
仁田山岳を通過。さっきの危険な登りは何だったのだろうと苦笑い、というか、本当にまずい状態だなと思った。ここまでもヤマツツジを何度か見かけたが、ここもまた終わりかけなのか、新鮮な顔つきの花はなかったし、群れてもいなかった。少々がっかり。展望台に出ると、オジちゃんが景色を眺めていた。オレにポツリとこう言った。「いつも、この山に来ると、きまって方向感覚がおかしくなるんだよな」。オレの場合は、それとはちょっと違うような気がする。見当違いの思い込みに近い。
椚田峠までは長く感じた。アカヤシオの頃と違って、時季を過ぎれば退屈な下りになる。前をだれも歩いていない。寂しい気分になった。
(3分なら行ってみてもいいか)
(これかと思うが)
(中には入れない)
(案内板の写真に近いのはこれなのだが)
(峠に戻る)
椚田峠で<カッコソウ⇒3分>の標識を見てしまった。カッコソウどころか、草花に造詣はなく、その名前と、希少な花だということを知っているレベルだ。数日前の情報では、もう終わりかけのようで、果たして見られるかどうかは怪しいが、3分なら下ってまた登り返してもいいか。自生地に下る。
巡回コースの出入口はダイヤルキーで施錠されていた。周囲にはだれもいない。中には入れないが、フェンス越しに、これがカッコソウかなと思ったのを撮ってみたが、それは花びらが5枚で、標識のあった脇に置かれた解説板の写真では花びらがもっとあった。その、もっとあった花びらのカッコソウらしき花をかろうじて見つけたが、半分近く枯れている。帰宅してから調べると、カッコソウにもおおまかに二種あって、それぞれ花びらの数も違っていた。写真掲載した花がカッコソウかどうかの自信はまったくない。
峠に戻りかけると、下って来る5人ほどと行き会った。皆さん、山頂で記憶のある方々だ。カッコソウのことを聞かれたので、「自信はないですが、それらしき花がいくつか残っていましたよ」と無難に答えておいた。
(この雰囲気が根本山の沢コースに似て好きだ)
(何だか知らないが)
(ここからは作業道のように広くなるが、悪路)
(別に苦も無く越えられる)
(ヒイラギソウとのこと)
(林道に出る)
(段差のあるきれいな流れ)
(これくらいは知っている)
(何でもない流れだがつい立ち止まってしまう)
(まばゆい新緑)
(千手観音様を見かけた)
(ついつい見てしまう)
椚田峠からの下りは長かった。今回は、先まで行って尾根伝いに下るといった考えはまったくなく、あくまでも一般コース歩きだ。歩いた時間を鑑みれば、長く感じただけのことかもしれない。ただ、この下り道もまた沢沿いで、そのせせらぎを見ながら歩いていると、風は流れていないのに涼しく、気持ちが良かった。途中で出会ったのは、反対側から歩いて来た二人連れとマウンテンバイク一台のみ。
(登山口に帰着。この車、出発時にもあったような気がするが)
(自分の車の前に3台もあった)
(その脇にはこんなのが)
登山口に戻る。付近の車はかなり減っていたが、下の方は大方がそのまま。駐車地に着いたのは12時36分。かなり歩いた気がしたが、3時間も歩いていなかった。汗だけはたっぷりかいて、いささかくたびれた。横になりたい。
帰り道、宝徳寺の前にさしかかると、寺の駐車場は混んでいて、観光バスまである。何かこの時期のイベントでもあるのかと、駐車場に入ってスマホで調べると、「春の床もみじ特別公開」だそうな。赤くもないモミジを見ても面白くもあるまいと、車をすぐに出した。しかし、床モミジが評判になると、今度は新緑もみじ、そして風鈴まつりだのと、よくも考えつくものだ。坊さんは商売上手だ。檀家割引は有りなのかちょっと気になった。
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