
◎2012年3月31日(土)
<阿夫利神社駐車場(7:10)……西場の百観音(7:30)……西場城跡(7:42)……西場富士(7:49)……妙義山(8:33~8:48)……神社駐車場(9:05)>
今日は昼から出張に出かけないといけない。予報では、午前中の天気は何とか持ちそうだ。先日、みー猫さんが歩かれた大小山の記事の中に、「西場の百観音」というのがあって、以来気になっていた。いろいろと調べもした。保存状態も良いらしい。じゃ、西場富士を加えて行ってみようかと出かけた。天気次第では大小山まで足を延ばしてみる予定でいる。
(養老碑)

大小山は10年ぶりになるが、阿夫利神社までの道のりの記憶はまったくなく、神社に辿り着くまで、かなりの時間を要してしまった。駐車場には5台くらい駐まっていた。さすが人気の山、こんな天気でも歩く人はいるようだ。曇り空の中でウグイスが鳴いている。もう、春の陽気。空模様はどんよりで、生ぬるい強い風が吹いている。先ずは百観音を目指す。駐車場にも何とか辿り着いた具合だから、どこを歩いていいのかからきし分かっていない。道標もない。取りあえず東に向かって歩いた。向こうから、地元の方が歩いて来た。尋ねるつもりでいたら、フェイントをかけられ、曲がって行ってしまった。そのうち、左手に西場富士らしき山が見えてきた。みー猫さんのGPS軌跡を地形図になぞってきたから、百観音はあの南東の裾野にあるはず。一応、ほっとした。「養老碑」があった。江戸時代の分限者が建立した碑のようだ。この辺は、古くからある集落なのだろう。いつ雨が落ちてきてもおかしくないような空模様。先を急ぐ。
(稲荷神社。百観音に用事のない方はここから西場富士に登る)

(「百観音」の入口で見た石仏)

(百観音)

(一部をアップで)

稲荷神社の前を通る。門前の小振りの桜が咲いていた。またウグイスの声。西場富士にはここから入っていくようだ。そのまま車道を進むと「西場の百観音」の案内板があった。石物や石碑が置かれている。階段を登って行くと、山の中腹に百観音があった。なるほど、これが百観音か。江戸・寛政期の頃のものらしい。崩れることなく、整然と保存されている。いろんな顔、形をした観音様が百体。ゆっくりと見ておきたいが、風が強くなってきたから、まんじりもできない。だが、何とか天気も数時間は持ちそう。大小山にまで行ってみるか。少し戻るとお堂があり、その脇に、「大小山→」と読めなくもない案内板があった。ここを辿ってみる。民家の裏を行くようだ。しっかりした踏み跡。また桜。これから徐々に満開か。天気を察知したのか、もうウグイスの鳴き声は聞こえなくなった。
(正面に西場富士)

(西場城跡に置かれていた石仏と石碑)

やがて道は2分する。直進は里に下って行くような気配があり、右手に入る。突き当たりが西場城跡だった。ここに至ることは知らなかった。倒れた看板を見ると、平安末期に造られた、唐沢城の出城らしい。石仏と石碑が置かれている。ここで道は切れ、ヤブになっている。ただ、ここを歩く人もいるのか、かすかな踏み跡というよりも、枝を折って上に向かったような跡があり、ゴミも散乱している。行けなくもないだろうと、入り込んでみた。ひどいヤブではないが、しばらく登ると、左手からしっかりした道が上がってきた。想像するに、城跡下の直進は稲荷神社から西場富士に向かう道に合流するのではないだろうか。後は、ずっと、標識としっかりした道に沿って歩くことになる。
(西場富士山頂)

(山頂先で見かけた秋葉神社の石祠)

(大小山が見えてくる)

(キレット部。ここを通る方のほとんどのネット記事で、この写真を見かけた)

程なく、三角点の置かれた西場富士に到着。「秋葉神社 稲岡中」と刻された石祠が1基。展望は悪い。道標に記された「妙義山」方面に向かう。やや下り気味になり、左手に大小山の文字が見えてくる。正直のところ、多少のアップダウンはあるものの退屈な道だ。ただ、次のピークが過ぎるあたりから、コースは方向転換しはじめ、頭の名の地図と地形図が一致しない。あいにくコンパスを持ってこなかったため、一時的に、完全に、方向音痴になってしまった。キレットに到着。あの下の隙間を通れるかなと試してみたい衝動にかられたが、やめておこう。気軽に試してみようと思うもの程、とんでもない目に遭うことが多いものだ。このキレット、鎖場になっていて、登りきると、展望の良い岩場に出た。展望が良いといっても、この曇天では、見渡せる範囲はたかが知れている。西場富士を確認し、ようやく方向感覚を取り戻した。
(大岩の岩棚に安置された石祠)

(石祠の先の展望地から西場富士を見下ろす)

(大小山)

(妙義山山頂。標識が画面に入りきらない)

(岩船山遠望)

(大坊山)

すぐに大岩にさしかかる。キレット以降、岩場歩きが大半になってくる。下部に石祠が据えられていた。年代は延享となっている。この岩の上からの展望もいい。大分、雲も黒くなってきた。妙義山はもう目の前だ。早足に切り替える。阿夫利神社からの道に合流する。このコースは、地形図の阿夫利神社の東側から派生する破線ルートではないだろうか。大小山の好展望地に到着。大小の字は斜めからになるため、すっきりはしない。オッサンが下りてきた。今度はロープが出てきた。岩は意外に尖っていて、転んだり滑ったりしたら痛いだろう。一登りで妙義山に到着。三角点がある。大坊山が見える。以前来た際には、大小山と大坊山をともに歩いたのではあるが、ボケのためか、記憶はなくなっている。岩船山の崩壊部分がはっきりと見える。昨年の震災で崩壊したらしい。
(戻って、下を探索。石祠があった)

(不動明王。なかなかいい感じだ)

さて、ここで何か忘れ物をしたような気がした。地形図への書き込みを見た。不動明王と記していた。これを見たいがために、わざわざ記したのだ。どこにあるか知らないが、一旦戻り、岩の下をうろつく。石祠があった。そして、ちょっと離れたところに不動明王の石像があった。これはなかなかいい。みー猫さんが見かけた「行き止まり」の看板も確認。妙義山に戻る。年配の夫婦が食事をしていた。地元の方らしく、この山域に精通されている。ここを行くと、巨大な何とか岩があって圧倒されるとか、いろいろと教えていただいたが、すべて忘れた。残念ながらメモの準備をしていなかった。解説していただいたのは、ダンナさんからなのだが、このダンナさん、余程、ゴム長スタイルが気になったのか、話をされている最中も、絶えず我がゴム長から目を逸らさなかった。
(この山の存在感)

(普門品五萬巻供養塔)

(男女坂の分岐)

妙義山を後にし、下りにかかる。赤土になった斜面を下り、鉄階段を降り、大小の字が掲げられた岩の真下に到着。文政年間の石碑が置かれていた。「普門品五萬巻供養塔」と刻されている。観音経をここに奉納したということだろうか。やがて、男坂と女坂に分岐する。迷わず女坂をセレクト。大した距離ではない。すぐに合流。「石尊の滝」は、樋から水を流したような状態になっていたが、どこが「滝」なのだろうか。これが本来の姿なのだろうか。非常に疑問になってしまった。滝の脇は林道状になっていて、神社の方から、ヘルメットをかぶった単独氏がやって来て、林道の先に歩いて行った。山頂で伺った、何とか岩にでも登るのだろうか。
(問題の「石尊の滝」)

(阿夫利神社)

阿夫利神社に到着。「石尊の滝」の解説板があった。「往時には四番滝まであった」「大変な賑いを示した」とある。滝はもっと先にあるのだろうか。よく分からん。車は10台くらいに増えていた。今日見かけた方は4人。それ以外の方々は岩登りを楽しんでいるのだろうか。まぁ、何とか天気が持ってくれて良かった。
(本日のルート図)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図メッシュ(標高)を使用した(承認番号 平23情使、 第832号)」
※GPS軌跡を掲載することもあるだろうと、正式に使用申請を提出し承認をいただいた。その際、「成果品を得たときは、速やかに1部提出してください」とあった。つまり、この記載のブログを送ればいいのだろうが、そんなこともあって、敢えて、ここでGPS軌跡を提示した次第。
<阿夫利神社駐車場(7:10)……西場の百観音(7:30)……西場城跡(7:42)……西場富士(7:49)……妙義山(8:33~8:48)……神社駐車場(9:05)>
今日は昼から出張に出かけないといけない。予報では、午前中の天気は何とか持ちそうだ。先日、みー猫さんが歩かれた大小山の記事の中に、「西場の百観音」というのがあって、以来気になっていた。いろいろと調べもした。保存状態も良いらしい。じゃ、西場富士を加えて行ってみようかと出かけた。天気次第では大小山まで足を延ばしてみる予定でいる。
(養老碑)

大小山は10年ぶりになるが、阿夫利神社までの道のりの記憶はまったくなく、神社に辿り着くまで、かなりの時間を要してしまった。駐車場には5台くらい駐まっていた。さすが人気の山、こんな天気でも歩く人はいるようだ。曇り空の中でウグイスが鳴いている。もう、春の陽気。空模様はどんよりで、生ぬるい強い風が吹いている。先ずは百観音を目指す。駐車場にも何とか辿り着いた具合だから、どこを歩いていいのかからきし分かっていない。道標もない。取りあえず東に向かって歩いた。向こうから、地元の方が歩いて来た。尋ねるつもりでいたら、フェイントをかけられ、曲がって行ってしまった。そのうち、左手に西場富士らしき山が見えてきた。みー猫さんのGPS軌跡を地形図になぞってきたから、百観音はあの南東の裾野にあるはず。一応、ほっとした。「養老碑」があった。江戸時代の分限者が建立した碑のようだ。この辺は、古くからある集落なのだろう。いつ雨が落ちてきてもおかしくないような空模様。先を急ぐ。
(稲荷神社。百観音に用事のない方はここから西場富士に登る)

(「百観音」の入口で見た石仏)

(百観音)

(一部をアップで)

稲荷神社の前を通る。門前の小振りの桜が咲いていた。またウグイスの声。西場富士にはここから入っていくようだ。そのまま車道を進むと「西場の百観音」の案内板があった。石物や石碑が置かれている。階段を登って行くと、山の中腹に百観音があった。なるほど、これが百観音か。江戸・寛政期の頃のものらしい。崩れることなく、整然と保存されている。いろんな顔、形をした観音様が百体。ゆっくりと見ておきたいが、風が強くなってきたから、まんじりもできない。だが、何とか天気も数時間は持ちそう。大小山にまで行ってみるか。少し戻るとお堂があり、その脇に、「大小山→」と読めなくもない案内板があった。ここを辿ってみる。民家の裏を行くようだ。しっかりした踏み跡。また桜。これから徐々に満開か。天気を察知したのか、もうウグイスの鳴き声は聞こえなくなった。
(正面に西場富士)

(西場城跡に置かれていた石仏と石碑)

やがて道は2分する。直進は里に下って行くような気配があり、右手に入る。突き当たりが西場城跡だった。ここに至ることは知らなかった。倒れた看板を見ると、平安末期に造られた、唐沢城の出城らしい。石仏と石碑が置かれている。ここで道は切れ、ヤブになっている。ただ、ここを歩く人もいるのか、かすかな踏み跡というよりも、枝を折って上に向かったような跡があり、ゴミも散乱している。行けなくもないだろうと、入り込んでみた。ひどいヤブではないが、しばらく登ると、左手からしっかりした道が上がってきた。想像するに、城跡下の直進は稲荷神社から西場富士に向かう道に合流するのではないだろうか。後は、ずっと、標識としっかりした道に沿って歩くことになる。
(西場富士山頂)

(山頂先で見かけた秋葉神社の石祠)

(大小山が見えてくる)

(キレット部。ここを通る方のほとんどのネット記事で、この写真を見かけた)

程なく、三角点の置かれた西場富士に到着。「秋葉神社 稲岡中」と刻された石祠が1基。展望は悪い。道標に記された「妙義山」方面に向かう。やや下り気味になり、左手に大小山の文字が見えてくる。正直のところ、多少のアップダウンはあるものの退屈な道だ。ただ、次のピークが過ぎるあたりから、コースは方向転換しはじめ、頭の名の地図と地形図が一致しない。あいにくコンパスを持ってこなかったため、一時的に、完全に、方向音痴になってしまった。キレットに到着。あの下の隙間を通れるかなと試してみたい衝動にかられたが、やめておこう。気軽に試してみようと思うもの程、とんでもない目に遭うことが多いものだ。このキレット、鎖場になっていて、登りきると、展望の良い岩場に出た。展望が良いといっても、この曇天では、見渡せる範囲はたかが知れている。西場富士を確認し、ようやく方向感覚を取り戻した。
(大岩の岩棚に安置された石祠)

(石祠の先の展望地から西場富士を見下ろす)

(大小山)

(妙義山山頂。標識が画面に入りきらない)

(岩船山遠望)

(大坊山)

すぐに大岩にさしかかる。キレット以降、岩場歩きが大半になってくる。下部に石祠が据えられていた。年代は延享となっている。この岩の上からの展望もいい。大分、雲も黒くなってきた。妙義山はもう目の前だ。早足に切り替える。阿夫利神社からの道に合流する。このコースは、地形図の阿夫利神社の東側から派生する破線ルートではないだろうか。大小山の好展望地に到着。大小の字は斜めからになるため、すっきりはしない。オッサンが下りてきた。今度はロープが出てきた。岩は意外に尖っていて、転んだり滑ったりしたら痛いだろう。一登りで妙義山に到着。三角点がある。大坊山が見える。以前来た際には、大小山と大坊山をともに歩いたのではあるが、ボケのためか、記憶はなくなっている。岩船山の崩壊部分がはっきりと見える。昨年の震災で崩壊したらしい。
(戻って、下を探索。石祠があった)

(不動明王。なかなかいい感じだ)

さて、ここで何か忘れ物をしたような気がした。地形図への書き込みを見た。不動明王と記していた。これを見たいがために、わざわざ記したのだ。どこにあるか知らないが、一旦戻り、岩の下をうろつく。石祠があった。そして、ちょっと離れたところに不動明王の石像があった。これはなかなかいい。みー猫さんが見かけた「行き止まり」の看板も確認。妙義山に戻る。年配の夫婦が食事をしていた。地元の方らしく、この山域に精通されている。ここを行くと、巨大な何とか岩があって圧倒されるとか、いろいろと教えていただいたが、すべて忘れた。残念ながらメモの準備をしていなかった。解説していただいたのは、ダンナさんからなのだが、このダンナさん、余程、ゴム長スタイルが気になったのか、話をされている最中も、絶えず我がゴム長から目を逸らさなかった。
(この山の存在感)

(普門品五萬巻供養塔)

(男女坂の分岐)

妙義山を後にし、下りにかかる。赤土になった斜面を下り、鉄階段を降り、大小の字が掲げられた岩の真下に到着。文政年間の石碑が置かれていた。「普門品五萬巻供養塔」と刻されている。観音経をここに奉納したということだろうか。やがて、男坂と女坂に分岐する。迷わず女坂をセレクト。大した距離ではない。すぐに合流。「石尊の滝」は、樋から水を流したような状態になっていたが、どこが「滝」なのだろうか。これが本来の姿なのだろうか。非常に疑問になってしまった。滝の脇は林道状になっていて、神社の方から、ヘルメットをかぶった単独氏がやって来て、林道の先に歩いて行った。山頂で伺った、何とか岩にでも登るのだろうか。
(問題の「石尊の滝」)

(阿夫利神社)

阿夫利神社に到着。「石尊の滝」の解説板があった。「往時には四番滝まであった」「大変な賑いを示した」とある。滝はもっと先にあるのだろうか。よく分からん。車は10台くらいに増えていた。今日見かけた方は4人。それ以外の方々は岩登りを楽しんでいるのだろうか。まぁ、何とか天気が持ってくれて良かった。
(本日のルート図)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図メッシュ(標高)を使用した(承認番号 平23情使、 第832号)」
※GPS軌跡を掲載することもあるだろうと、正式に使用申請を提出し承認をいただいた。その際、「成果品を得たときは、速やかに1部提出してください」とあった。つまり、この記載のブログを送ればいいのだろうが、そんなこともあって、敢えて、ここでGPS軌跡を提示した次第。
自分も西場富士と百観音は次回大小山へ行ったときには寄ろうと決めて早3年経過です。
2時間コースの予備用に寺久保山と一緒にとっておきましょ。
今回国土地理院の承認を取得されたのですね。
今後もMapが記載されるか少しだけ期待です。
このコース、ハイトスさんは未踏でしたか。でしたら、お薦めです。しかし、このままでは短すぎることは確実です。大坊山くらいは追加した方がいいし、ハイトスさんなら、寺久保山にいっても、さらに余りありではないでしょうか。
国土地理院の件ですが、無断で使ったこともありますし、掲載することもあるだろうと取得いたしました。実は、ハイトスさんのGPS軌跡に、何であんな但し書きがずっとあるのか、不可思議に思っていたといったレベルでしたよ。
http://73422uzawa.at.webry.info/200801/article_3.html
改めてノラさんの記事を拝見いたしました。なるほど、こういった歩き方もあるんだなと感心いたしました。
余裕があれば、ノラさんのような歩きも出来たのでしょうが、何せ、制限時間と天気具合の中でのことでしたので、こんな程度の歩きになりました。でも、これは言い訳です。
里山の歩きも、ノラさんのような、変化を付けての歩きというのもバリエーションでいいものですね。正直のところ開眼いたしました。次回から、早々に応用させていただきます。
さて、ノラさんは、こんな足利の山でも、何度も繰り出していらっしゃるんですね。私は、また、別の意味で、身近に、こんな史跡宝庫の山があったんだなと感慨を持ちました。安蘇の山もさることながら、こんな前線の山もまたおもしろいものですね。
百観音からの道、なんとなくそうは思ってたのですが、やはりつながっていたのですね。また、観音様や地形や出来事の緻密な描写・・・失礼ですが、たそがれさんは、ご職業は物書きでもあられるのでは?
自分は文章表現が苦手なので地図をだして、楽をしようとしていましたが、そうですね、使用申請も考えます。私にはあのHPが難所(笑)
みー猫
「物書き」ですか?汗かきではありますが。あまりおもしろくもありませんね。
原稿書きやら編集といった仕事が多いのは確かです。本心からではなく、相手をその気にさせるような文章を書く機会が多いものですから、山歩きのレポートとは自ずと性質が違ってきますよ。ただし、詐欺まがいの文章作りではありませんので誤解のないように。
このだらだらとした文章は、いずれどうにかしないと、とは思っていますが、クセでしょう。仕方ないですね。
申請に関しては、下記に答えがあります。
http://www.h-yoshida.com/3d.shounin.kashimir.htm
何とか見つけました。この「サンプル」を見てください。これをそのまま自分に置き換えて書いて、提出するだけです。下の「成果入手年月日」はブランクのままで結構です。一週間もすれば、認可がおりますよ。試してみてください。
これを探していました。早速やってみますね。
本日、高戸山に行ってきました
地図使用申請は、今回まで勘弁で・・・・
それと誤解は全くないですよ。ご心配なく
みー猫